第一章 邂逅編④
④
【3日後の金の日正午】
徴収から3日後、ムネチカの家からは鉄を叩く音が聞こえてきていた。
「……。」
未だ涼しさも残る5月の中頃、この鍛冶場だけは季節の移り変わりがなく、屋内でも年中真夏の炎天下にいるようだった。
唯々ムネチカは熱して赤く変化した鉄塊を、それと同等の熱をもった目と意思をもって叩き続ける。この鉄の叩いている間は、外からの雑音、呼吸音、衣擦れの音ですら聞こえない程の轟音で、かえって集中できる。人一倍見開かれた左目はまたも赤く煌く。
刀の工程は鋼を選ぶところから始まるが、刀に使用できる玉鋼はなかなかお目にかかれるものではなく高価なものだった。故にムネチカは卸し鉄という、古釘や鋼以外のものを加工する方法で刀の素材を生成している。タハタの近くには、国都で出た廃棄物をためる場所が存在し、そこには鉄屑もゴロゴロと転がっている。見る人が見れば宝の山であった。時折佐倉のおじいさんと共に宝探しへと赴くのだ。
現在ムネチカが行っている作業は皮鉄造りの鍛錬である。
刀とは、『頑丈』と『鋭利』であることが強みだ。頑丈というのはただ硬く折れないというだけでなく曲がらないというのも重要なことだ。しかし、折れないと曲がらないは一見同義であるが違ったことを意味している。鋭利であることと、曲がらないというのは硬くなくてはいけないが、曲がらないというのは逆に柔らかくなくてはいけない。この矛盾したものを実現させるために柔らかい鉄を担う心鉄と、それを覆う硬い鉄を担う皮鉄が必要になる。心鉄を皮鉄で覆うことで『折れず、曲がらず、良く切れる』刀が出来上がるのだ。
ムネチカが行っている鍛錬は、叩いて伸ばした鉄を、折り曲げ重ねて叩く、これを繰り返す下鍛えというものだ。本来であれば、二人でやらなければいけないところを、ムネチカは一人で行っている。なぜ一人で行っているかというと、もちろん人手がないのと、父親がそうだったから、というのもある。
熱して太陽の如く赤く変化した鉄をすぐに叩き伸ばす。十分伸びたところで折り返しさらに叩き伸ばす。本来二人でやる作業を一人で行うのだ。それを実現するムネチカの身体能力と集中力は計り知れない。横に折り返すと次は縦、また次は横と、十字に重ねるように鍛錬していく。これを15回ほど繰り返す。
鍛えていると時折火花がはじけ飛ぶ。鉄の中の不純物が火花となってなくなっていく。ムネチカは刀の工程の中でこの瞬間を好んでいる。こうして不純物が抜けていくと、自分の中の雑念や刀鍛冶として不要なものもなくなっていくような感覚になる。鉄を鍛えていくと同時に己も鍛え上げていく。
この不純物がなくなった火花が出た瞬間に、不純物のあったその隙間に自身の気を流し込む。ムネチカの身体、足先から頭のてっぺんまで鍛え上げた赤気が覆いこむ。手にもつ鎚に気を纏い、ひたすら叩く。
「叩く…。叩く…。叩く…。」
気に込める意思を発言することでより力を籠めるムネチカ。しかしその中には、復讐という雑念も混じりこむ。
下民と蔑む拳闘士団、惨殺を続ける拳闘士団、家族を殺した拳闘士団。気は意志の力、ムネチカの目的が復讐のための一振りである以上、この意思を籠める作業において、雑念が入るのは仕方がないのかもしれない。
正午だったのが直に夕刻へ移ろうかというころまで、ムネチカの作業は続いた。
疲労も、空腹も、眠気も、すべてを忘れてひたすら負の念を叩き鍛える姿は、どこか虚無を感じさせ。
【前火の日から一周りした火の日 夜】
ムネチカの家には寝床という寝床はない。決まって刀作成後には緊張の糸が切れ、どこだとしても倒れて寝てしまうからだ。鍛冶場の火を消した瞬間、水を飲んだ後の井戸の淵、囲炉裏の灰の中に頭が埋まっていたこともある。そのたびに夕餉の時間にやってくる佐倉のおばあさんに救出されていた。大抵は料理の匂いを嗅がせれば飛び起きるのだが、酷い時にはおばあさんもやむを得ず鬼と化し、井戸の桶に水を張り起きるまで顔をつっこむ。ムネチカが料理の匂いに敏感なのは恐怖心からかもしれない。
ムネチカの刀鍛冶としての作業期間は火の日夜から土の日の夜までの大体四日間である。陽の日から月の日は籠手の作成や農民たちの仕事を行う。例によって土の日の夜まで作業したのち、本来であれば籠手の作業に移らねばならないところを陽の日に移った際に夕刻まで目覚めず、月の日は徹夜をして籠手の作成に励んだ。その晩の鍛冶場からはムネチカの危機迫る叫び声と、いつにもまして高速な金属音が響いていた。
そんな作業も相まって、本来徴収に来るはずの正午を通り過ぎ、夜になって目が覚めてしまったムネチカ。今回の寝床は引き戸と居間の間、地面に転がっていた。
「な、い、今…よ、夜だと…。」
目覚めなかったのは疲労からくるものもあっただろうが、佐倉のおばあさんが来ていないためでもあった。
「…変だ、婆さんもあの二人も来ていないだと…。」
暫く考えていると、家の外から男二人の声と、何かが殴打されるような音が聞こえてくる。聞こえる距離からして家からそう遠くなかった。
「何の音だ…。」
引き戸をあけ外を確認すると、夜で外は真っ暗だが、耳障りな笑い声で誰だかははっきりした。カマセとイヌマが何かに対して暴行していたのだ。
その何かまでは暗くてよくわからず、ただ、うずくまった人であるのは察した。ピクリとも動かない。よもや死体にまでも暴行する下衆になり下がったのかもしれない。しかしもし生きていたとしたら、もしかすると、外れの農民、もしくはキコリ村掃討から逃げ延びた同胞の可能性も捨てきれず、たまらず二人の元へ駆け寄って声をかけた。
「あ、あの、お二方、いったい何を。」
「見てわからねぇのか木偶、殴ってんだよ。」
カマセが息を切らせ、やたら興奮気味に答える。
何故やっているのかを聞きたいんだよ脳なし。という言葉が頭から喉元までたどり着いたがぐっとこらえ尋ねる。
「何かこの者が気に障ることを…。」
「本当に目がねぇ木偶野郎だな、背中の紋を見ろ。」
暴行を受けていた者の背中には刀の鍔の紋が施されていた。
刀剣士団員は刀を見ればそうだと判別つくが、それ以外の関係者は背中に鍔の紋を背負いって拳闘士団との区別を図っていた。それは拳闘士団側の申し入れであり、武器使用する者らと一緒に見られたくないという意見が多くあったからだ。
鍔には、所有者の武勲や繁栄など様々な意思が籠められる。故に刀剣士団は鍔を背中に背負うことで、より一層志高く生きてきた。
背中まで確認できたところで夜目が効いてきて判明した、女だった。
髪は長く腿まであるだろうか、先端で白い布で結ばれている。背丈は50寸ほどか。桃色の着物を着ている。この夜でも、いや夜だからこそ映える雪のように白い肌をしていた。その肌が見えたからこそ人であることが家からわかった。顔はうずくまっていてわからない。
この二人はどうやら人であることをやめたらしい。こいつらからすれば敵とはいえ元同胞であり、なおかつ女だ。何をここまでする必要がある。
「こいつはな、キコリ村から逃げ延びてやがった女なんだ。夜になってこそこそと移動していたんだろう、こんなところにまで逃げてやがった。」
イヌマが答える。ムネチカは何とかこらえるのに必死で、気が付けば手からは血がにじんでいた。
「始末するために追っていたんですか。」
「キコリ村掃討戦には俺もカマセも参加してたんだよ。そこですげせ美人な女がいたのを俺もこいつも覚えていてなぁ。でもその場では殺さねぇといけねぇしわざと逃がしたんだ。」
何のために、と聞く前にカマセが話し出す。
「知ってんだろ、刀側の奴は殺したことにして玩具にできるってよ。一目見た時から決めてんだ、こいつは俺の世話係にしてやるってなぁ。」
「てめぇ舐めてんのか、俺の女だ。」
と、カマセに詰め寄るイヌマ。どうどうと宥めるカマセ。
「ってなわけで血眼になって探してようやく見つけたんだが、女のくせに抵抗しやがってよ。一通り殴って動けなくしてから憂さ晴らしもかねて輪姦してやろうとしたんだが、こんなとこまで時間かかっちまったぜ、だがようやくだ。」
「ま、今日の徴収も済んでなかったし、ちょうどよかったぜ。てめぇの汚ねぇ家でもすること出来る場所にはなんだろ、貸せ。」
こいつらには妖が憑りついているのだ、でなければ、こんなことを平然と、笑みを浮かべてげらげらと騒音を上げながら言えるわけがない。
よく見れば女にはまだ息があった。何か救える策はないかと考えると、たまらず口を開く。
「そ、そうですね、どうぞ家をお使いください。しかし、本日徴収分の籠手が幅を取っています。片付けますので、お二人はどうぞ家で寛いでいてください。女は私が運びます。」
ムネチカは頭が賢くはない。出てきた機転は気休め程度だったが、同じくして二人も頭が悪かった。
「いつにもなく気が利くじゃねぇか。地面に座るよりかはましか。」
そういうと、二人はムネチカの家へ入っていった。
その隙に女の元へ駆け寄る。
「…生きているか。」
「……。」
女は答えない。しかし先ほどとは違い、呼吸をしているようだ。
「なぜ鍔の紋など未だ背負っている。殺されたいのか。」
うつぶせになっていた女を膝に乗せるように抱えると、ようやく顔が確認できた。が、原形を留めていない。目は腫れ、曲がった鼻、口からは血が流れ歯が欠けていた。きっと元は美しい女だったのだろう。
うつぶせになっていたままではわからなかったことがもう一つあった。子を抱えていた。33寸程の男児だった。片目が見えないことも相まって、この田園地帯に明かりはムネチカの家しかなく、暗闇の中抱えているものまでは見えなかったのだが、一つだけ変わっていることがある。しかしそれを考えるよりも、この子にも殴打の痣が見え、気を失っているようだった。
「こ、の、子を…。」
消え入りそうな声、灯は消える間近なのだろう。顔を近づけるムネチカ。
「あの、か、たの子を…どうか、どう、か…。」
「しっかりしろ。」
そう言い残すと、女はこと切れたように動かなくなった。
腕の中脱力する女の重みは、鍛冶屋であるムネチカにしてみれば軽いものだ。しかし、鎚よりもなによりも重たく感じられた。
体中痣だらけだ。おそらく体中のいたるところの骨が折れているだろう。生きているのが不思議だ。それでも生きていたのは、唯々子を守る母親の意思だったのだろう。どれほどの気をもってここまで来たのか。おそらくこの女は知っていたのだ、タハタ村が避難場となっていたことを。出なければここに、俺に預けることなど。
うっすらとある母の記憶と重なる。
子を、動かなくなった女のそばに置き、頭の手拭いを女の顔に当て覆う。子の顔も見られないようん女の袖で隠す。
その瞬間しびれを切らした二人が家から勢いよく出てきた。
「おいムネチカ、いつまで待たせんだ、そろそろ籠手もって戻らねぇと」
イヌマが口を荒げる。口をはさむムネチカ。
「イヌマさん、きっと殴りすぎたのでしょう、もう死んでしまっています。」
「なんだと。」
女の元へ駆け寄る二人。
「な、何死んでやがるこの女。」
「てめぇがやりすぎたからだろうが、ボケがぁ。」
「それを言うならお前だって。」
喧嘩する二人をしり目に家に入り、籠手の入った袋を持ってくるムネチカ。
「お急ぎでしたよね、どうぞ急いでお戻りください。死体は私が片づけます。」
「く、くっそがぁ。」
興奮冷めやらぬ、納得できない状態で二人は急いできた道を戻る。夜中の田園地帯は一層静かで、二人の喧嘩はいつまでも聞こえて耳障りだった。
女と子供の元に戻る。
時間がたったおかげか多少冷静になる。子の名がわからない。何か子の衣類にないかと探すと懐に硬いものがある。
それは刀の鍔だった。
目を凝らすと、そこには気が宿っていた。
この女の肌のように、夜にこそ映える、伝説上の白い気が。