第一章 邂逅編②
②
【翌火の日正午】
決まって火の日には、この平屋を訪れる者たちがいる。その訪問者のためムネチカは準備をしていた。準備といっても昨日作成した使い捨ての篭手を使用していない麻袋に入れるだけの作業だ。 ムネチカの鍛冶屋としての仕事は二つ。一つは外れの農村への協力、そしてもう一つは拳側への武具補給だ。後者は自分が刀鍛冶とバレないよう身を隠すためのもの、そして理由はもう一つ。
「そろそろか。」
ほぼ作業場兼居間の上座にふんぞり返って何かを待つムネチカ。すると間もなくして、戸の前に人影が二つ立ち、そして戸は叩かれることもなく勢いよく開け放たれる。
「相変わらず汚ねぇ家だなおい、ゴミ捨て場かぁ。」
「遠路はるばる国都から来てやったんだ、茶くらい出せや。ま、片輪者の淹れた茶なんぞ吐き捨てるけどな。」
ムネチカのような、障害のあるものを軽蔑の意味を込めて片輪者と呼ぶ。幼少の頃には村のものらからも陰口のように幾度となく言われてきた過去があるが、今ではあまり気にしていない。
拳闘士団所属・簡単に言えば下っ端であるカマセとイヌマが篭手の回収にやってきた。毎週火の日正午に決まってやってくる二人は、この田園地帯が過去刀剣士団と親しくしていたことにより、厳しい税収や社会的に下にいることをいいことに憂さ晴らしも兼ねて、いやほぼほぼ憂さ晴らしのためにやってくる。
拳闘士団は武力主義の、強い奴が偉いといとても分かりやすい組織だ。先頭において秀でた功績をあげていないものは徴収など地味な仕事を行っていた。
鍛冶屋にとって仕事場は神聖な場、女子供も立ち入ってはいけない場である。あろう事かその場をゴミ捨て場と揶揄するこの二人を今にもぶん殴ってやりたいと手に力を込めるが、軽率な子行動は身を滅ぼすと我に返り、瞬時に重い気持ちを落ち着かせる。
「こ、これはこれは。カマセさん、イヌマさん。お待ちしていましたぁ。」
最大限の愛想を振りまいて、ぎこちない接客をする。
「…おい、今の聞いたか。」
「あぁ、聞き間違いじゃねぇよなぁ。」
ずいずいと、土足で家の中、居間に押し入る二人。
「誰に向かってさん付けで話しかけてんだこらぁ。」
「様で呼べって何回言わせんだァ。」
戸や近くにあった桶、作業道具などを蹴散らしていく。
「てめぇらみてぇな、鈍ら鉄臭野郎達と仲良しだった疑わしい奴らが、さん付けでゆるされるわけねぇだろ。」
「この一帯の稲作が国都の米を担ってるからって調子に乗ってんなよ。」
「す、すいません。」
深々と頭を下げるムネチカ。
「躾が必要みてぇだな、表出ろ。」
カマセが指図するとムネチカは大人しく外に出る。
「謝るときはどうすんだ、立ったままでいいのか。」
意味ありげにイヌマが詰め寄る。
いつの時代においても、膝まづき、額を地面にこすりつけるいわゆる土下座は、服従の証であり、屈辱以外の何者でもない。しかし、ムネチカはある目的のため、腸の煮えくりを沸騰間際で抑え、徐々に膝を付き、そして、額をつけようとしたところでイヌマに足で頭を踏まれ強制的に地面に着く形となる。
「右目が見えねぇだろうから手伝ってやったぜ、礼を言えよ。」
「……。」
「あぁ。聞こえねぇな。」
土下座しているムネチカの顔近くに顔を寄せるイヌマ。
「あ、りがとう、ございます。」
「ざまぁねぇぜ、俺なら自殺もんだ。」
二人で、聴くに耐えない、金属をこすり合わせたかのような不快な笑い声を出し大笑いする。
拳闘士団の統制が始まって暫くすると、こういった武人とは名ばかりの輩が後を絶たなくなった。正義の名の元、限定的にでも人を見下しても良い風土が出来、捉えた刀剣士団の人間を自由に出来るという、非人道的なことが暗黙の中で罷り通っていた。始末したと言って奴隷扱いし、かつて同族であった者をモノのように扱う。
それでもムネチカが彼らに従うのは、ただ一つ、己の野望のため。そして、ここで抵抗してしまえば農村の皆が同じ目に遭うことは分かりきっていたため。
一頻り笑い終えるとイヌマが指図する。
「いつまでもてめぇの汗臭い頭を地面様につけてちゃかわいそうだろ。立て。」
ゆっくり立ち上がるムネチカ、後ろから羽交い締めにするカマセ。
「おらぁっ。」
イヌマが叫ぶと、拳に黄色い気を纏い、ムネチカの鳩尾を貫く。
古来より、【気】という、自らの意思の力とも言い換えられるものが存在する。この気は生まれたての赤ん坊から年寄りまで存在し、命尽きるときに消え去る。この気は色で強さがあると言われ、青、黄、赤、紫、白となる。生まれたては青気から始まりまた【生気】とも呼ばれる。両士団入門は黄気(またの名を【応気】)を持つものから入団でき、赤で隊長、紫で近衛となる。白は伝説上のものと言われており、内乱勃発前の両士団の長二人がそれぞれ白気だったと言われている。
この気は、精神、肉体を鍛え、己の限界を超えた時に一段階進化すると言われているが、半端な努力では実らず、また一生をかけても上げられなかった例も少なくなく、未だ詳しいことは判明していない。また、この気を身体に纏うことにより、攻撃にも、防御にも使える。拳に気を纏い自らの肉体でのみ戦うのは拳闘士団固有の戦法であり、刀側はまた違った戦闘方法である。
殆ど不良であったが腐っても武人、的確に急所を必要に狙って殴打する。
「……。」
悲鳴も一片の声も上げず耐えるムネチカ。 一発、二発、三発、四発……。殴られるたびにムネチカの体は振動する。
「そろそろ交代しろ。」
カマセが羽交い絞めの役を交代するよう言う。
こうして数刻の間、ムネチカは殴られ続けた。己のため、農民たちのため、人知れず耐え続けた。
正午に二人がやってきて、直に夕刻を迎えるかという時、二人は満足したのかムネチカを解放し、地面に叩きつける。
「すっかり発散させてもらったわ。また徴収の時には頼むぜ木偶の坊君。」
地面に倒れているムネチカの頭を弐回ほど叩き、その場から離れるカマセ。
「おいカマセ、用を忘れてんじゃねぇ。今日中に使うもんだ。拳王様に殺されるぞ。」
ムネチカの居間に置いてあった麻袋と何かを抱えてイヌマがやってくる。
「お、そうだムネチカ。居間にあった食料、まとめてもらっていくぜ。」
「な…。」
イヌマが持つそれは昨日の晩、佐倉のおばあさんから頂いた料理だった。ムネチカの好物である煮物をわざわざ作り持ってきてくれたのだ。
「中身は…ってなんだよ、根菜だらけの煮物じゃねぇか。しけてんなぁ。」
「さすがは下民、根っこなんか食う習慣があるんだな。こんなもん腹の足しにもならねぇ、むしろ壊しちまう。捨てちまえ。」
そうカマセが言うと、ムネチカの前でイヌマが料理の入った陶器を逆さにする。好物たちが、佐倉家が手塩に育ててきた野菜たちが無残にも一つずつ地面に落ちていく。
ムネチカと佐倉家はかなり長い付き合いだ。親代わりに育てられたといっても過言ではない。昔ほどではないが稲作や畑仕事も手伝っていたため、自分ならともかく老人が行う作業としてはかなりの重労働だということも理解していた。
苦しい暮らしの中で、笑顔で畑仕事に営む二人の顔を思い出すと同時に、地面に転がる煮物の無残な姿をみて、まるで二人がこの役人たち二人に貶されている錯覚に陥ってしまった瞬間だった。
我慢していた感情の箍が外れかけてしまい、ムネチカの身体から赤い気と周囲を激しく覆いこむ圧力が放たれる。
「な。」
イヌマの動揺した声に我に返り、落ち着けるよう自分に言い聞かせる。ここでばれたら何もかも、それこそ自分だけではなく、ただでは済まない。
「……。」
怒りや憎しみといった意思は比較的簡単に気を起こしやすい。負の感情は抱きやすく、また他を拒絶する意味合いが強いゆえに、攻撃に転換しやすくもある。また、敵意があるという証明にもなりうる。
「き、きのせいか。こんな貧相な鍛冶屋にあんな気が宿ってるわけねぇ。」
カマセが動揺とともに笑い飛ばすと、二人は踵を返す。
「じ、じゃあな、今度来るときはまともなもん用意しとけ。」
どこから出しているのかわからない、人のものとも思えない笑い声を二人で上げながら、来た道を帰っていく二人。
気配がしなくなったところで、むくりと起き上がるムネチカ。
「……。」
転がり砂利まみれになった好物をじっと見つめる。次の瞬間、徐に地面に落ちた煮物を一つずつ、噛みしめながら食べ始める。
ところどころガリガリっという音が口内に響き渡り、ざらざらとした不快な舌触りが襲い掛かる、しかし。
「…うめぇ。」
ムネチカはただただ笑顔で、好物を平らげた。
佐倉家の煮物は、大根、蓮根、牛蒡や人参など根菜類がほとんどだ。しかしその仕事は丁寧で、臭い取り、あく抜き、下ごしらえまで、前日から煮物のための手間を欠かさない。それは一重に佐倉の爺さんやムネチカ、食べてくれる人への最大の感謝である。
この世界には様々なものに気が宿る。刀鍛冶が自身の気を刀に宿すように。拳闘士団が籠手に気を宿すように。思い、意思が強ければ強いほど、本人の思惑があろうとなかろうと、何にだって宿るのだ。それを感じられるのは気に長けたものだけというのが現状ではあるが、佐倉家の料理には、他者への【慈しみ】という意思がこれでもかと入っていた。
さっきまでの憎しみの気持ちなど忘れさせ、本人を笑顔にさせるほどに、ムネチカは佐倉のお婆さんの料理が大好物なのだ。