第一章 邂逅編①
遥か昔、いまだ戦乱の劫火が各地で巻き起こり、各国が己の信じる武具を極め、世界の覇権を握らんと戦いに明け暮れている時代。各国は、己の意思の強さを身や武器に気として纏い、それぞれの戦い方で信念を貫いていく。その一国に、鍛え上げられた肉体は不動の山の如く鉄壁の防御を誇り、振るう拳は巨岩を砕くと言われる【拳闘士団】と、並外れた動体視力で回避に長け、片刃の刀を自在に操り鉄をも両断すると言われる【刀剣士団】の両柱により、長きに渡って何人も侵攻を許さず、不動と畏怖された国・フラクが存在した。
しかしそんな国で両士団同士の内乱が勃発し、刀剣士団はほぼ壊滅、拳闘士団による統一がなされた。
この物語は、拳闘士団が統一する国で、刀剣士団の生き残りと、一人の鍛冶屋が再び一国を統一するまでの物語である。
①
【五月初頭月の日正午】
連なる山々の頂きにまだほんのり雪が見える広大な田園地帯、田植えから少し成長が見て取れる緑の稲が芝生のように広がり山から駆け下りてくる風に揺られている。周辺の川には山からの雪解け水が流れ、斜陽による煌きの効果も相まって、視覚からもサラサラという音が聞こえてくるようだ。所々に魚影が見られ、優雅に、時折跳躍し、命の脈動を感じる。青々と茂る森林には猪や鹿といった野生動物が生息し、木の実や植物を食べ、または育み、命の営みを謳歌している。この連峰から成る自然の営みは、山々の恩恵によりまた一つの確立した世界と化していた。
そんな大自然の中、ひっそりと佇む一件の平屋があった。見るだけではひっそりと言う表現がぴったりだが、その家からは強く、強く金属を叩く音が一定のリズムに乗って響き渡っていた。ここら一体には山、森、川、田んぼと、この家があり、外れには農村が存在する。しかしこの家は孤立化しており、尋ね人も少なく一定の刻にやってくる者たちだけの静かな場所だ。故に騒音被害と訴える近隣住民もおらず、何かに集中するにはもってこいの場所だ。こんな説明をしている間にも、金属音は鳴り止むことを知らず、唯唯一定のリズムで、一定の力で鳴り続けていた。この家に住む鍛冶師・ムネチカはこの時間にはいつも仕事に励んでいる。
「ふっ…、ふっ…。」
彼の作業場はまさに灼熱、地獄の釜茹でのごとく煮えたぎっている。額だけでなく体中から汗が噴き出し、足元に垂れては乾き、身につけている衣類には白く塩が噴いている。右目は盲目のため固く閉ざされ、しかしその分見開かれた左目はただ一点を見つめる。一つのみの眼球は瞬きすると熱をもって瞼の裏に伝う。炎のせいか、彼の左目は赤く煌めいて見える。
「……こんなものか。」
どこか下らないとでもいいたげな言葉を吐き、冷却用の水に浸ける。素手で触れるほどに冷えた金属を、同様のものが山のように積まれた一帯へ投げ捨てる。その金属の山を持って作業場から出ると、囲炉裏のある居間に向かう。居間といっても殆どここも作業場と化しており、手袋のような布切れがこれまたゴミのように山積みにされていた。手袋の山の近くに鉄の山を起き、どかっと、まさにここの主のように堂々と座ると、慣れた手つきで手袋の甲の部分に先ほどの金属を取り付ける。筋骨隆々、頭に手拭いをまいた甚平姿の見た目に反して手先が器用。次々と篭手を完成させてゆく。しかし皮の部分は所々ほつれがあり、また金属部分は叩いた痕が残り、とても綺麗な仕上がりとは言えなかった。
「結局は消耗品、丹精込めて作ったところで壊れれば捨てるだけ。…つまらん。」
自らが作ったものに唾を吐き捨てるかのような視線を浴びせる。
ひと段落ついたところで喉が渇いていたことに気がつき、玄関から外へ出て井戸から水を汲み、まずは頭からかぶる。蒸気でも出ている錯覚がしたがそんなことはない。頭に巻いていた手拭いを洗って顔を拭くとさらにその後水を桶ごとごくごくと太い喉仏をうねらせ飲み干す。
ムネチカの炭のような黒髪が、汗と水によって、黒曜石のような輝きを放つ。先程まで焼き付くほどの熱が感じられた黒目が鋭く見開かれる。右目は白く濁っており、その瞳には光がささない。
「っはぁ、さぁこっからが本番だ。」
さっきとは打って変わって気合を入れ直す風なムネチカだが、腰を折るように頭に頭巾を被った一人の老人が訪れる。
「これムネチカ、一昨日頼んどった包丁はどうなっとる。」
いかにも農民といった風体の老人は、佐倉という外れの農村に住む農民の一人。妻と二人暮らしで、稲作の他に畑も営んでいる。
「佐倉の爺さんか、仕事が立て込んでてよ、届けるの忘れちまったわ。」
「相変わらず半端な仕事しかせんなお主は。婆さんが楽しみにしとったというのに。これはもう今晩の差し入れはなしじゃな。」
ムネチカの仕事場はほとんど孤立状態だが、外れの農村の住民から仕事を受け持つ代わりに食べ物を恵んでもらっていた。しかし、熱心になるとありとあらゆるものを忘れてしまうムネチカは、頼まれていた包丁を届けるのを忘れてしまっていた。つまりは、農民らからの信用がなくなれば、ただ飢え死にするだけなのだ。
「そいつは困る、農民の皆からはいろいろなものを恵んでもらっているが、佐倉の婆さんの飯ほどうまいものはない。悪かった、この通りだ。今持ってくるからちょっと待ってろ。」
ドタドタと音を立てて家に入ると、中からまたより大きな、ものが落ちる音がする。先ほどの篭手の鉄山の中にどうやら紛れていたらしい。あった、と年老いてそれなりに耳が遠い佐倉にも聞こえる声が響くと、息を切らせて飛んでムネチカがもどる。
「はぁ、はぁ、ほらよ。」
ぜぇぜぇと前傾で下を向きながら刃が白い布に覆われた五寸程の包丁を手渡す。布を取り、まじまじと刃を見ると刃こぼれはなく、陽に照らされて輝く包丁は、見るだけで切れ味を感じさせる。佐倉が何やら目を細めると、薄く赤い気を放つ様にみられる。
「ほう、流石じゃな。これほどいい鍛冶仕事だけはするのに…勿体ないのぉ。」
「昨日は、いいのが出来そうだったもんで気がついたら夜が明けてやがったんだ。」
「また打っておったのか。見つかればただでは済むまい。用心するんじゃ。」
「わかってる。親父を超える刀を打つまでは拳闘士団の奴らに見つかるわけには行かねぇ。」
この国は数年前まで拳技と、刀による剣技を極めた者たちが守護する武装国家だった。しかし、国民からの人望も厚かった国王が、刀剣士団長・刀神によって暗殺されたことを切っ掛けに、激怒した拳闘士団は刀側の人間を女子供、老若男女関係なく撲殺、今では拳側が覇権を握り統率され、未だ刀側の掃討は続いている。
戦火のなか農村に逃げ込み、刀側に恩義を感じている農民らにより保護、匿われている生き残りが存在するがそれはひと握りで、殆どは国王殺しの恨みを買われ、突き出されるのが多数だった。ムネチカはというと、鍛冶屋から派生した刀鍛冶の生まれで、村に戦火が広がるよりも前に師匠でもある父親から先に逃がせられ、現在の農村に逃げ延びた。幸い、この農村は元々刀鍛冶と密接な関係があり、刃物を特注で作成してもらうなど協力関係にあった。その為か他の村や国からの圧力が強く、肩身が狭い思いをしている。ムネチカが刀鍛冶の人間と知られればこの農村も危険であった。
「親父、か。あのクニツナ殿の腕を超えるとは、刀神の息子といえど恐れ多いことを。」
ムネチカの父、クニツナは伝説の刀鍛冶と言われており、元々拳でしか戦えなかったこの国の武人に刀を伝えた人物の一人と言われていた。クニツナ作の刀を握れば山をも両断出来る、とまで言われる程で、刀神と刀鍛冶が似ていることから、より強い刀を打てるものが刀神である説も誕生しており、暗殺者として刀剣士団側からも恨みを受けている武人としての刀神は忌み名として扱われている。
「ところでお前さん、今更刀なんぞ打ってどうする、妙なことを考えているのであれば止めておけよ。」
「妙なこと。ある訳無いだろ、第一振るうやつもいないんだ。しょうがないだろ。」
「では何のために危険を冒してまで。」
「…刀鍛冶としての血、とか。」
鼻を掻きながら照れくさそうに話すムネチカ。
「お前さんにそんな先祖を重んじるような繊細さなどあるわけなかろう。刀神様でもあるまいし。」
「刀神、ね。親父はそう言われることを嫌っていたが。」
「なんと謙虚なお方だ。それに比べてお前は」
また小言が長くなりそうな予感がしたためムネチカは発言を遮った。
「わかったわかった、小言はもううんざりだ。早くその包丁を婆さんに届けてやってくれ。」
「おぉ、そうじゃった。ではまたの。」
牛歩の歩みで離れていく小さな背中が見えなくなるまで見送ると、ムネチカはまた、灼熱の釜の中へと身を投じた。
そういえば、いつだったか親父が言っていた。
『我ら刀鍛冶は使い手がいてこそ存在理由や価値が出てくるものだ。よい刀も、最強の一振りも、使い手がいなければなまくら同然。だから、我らが神などと呼ばれることなど烏滸がましいのだ。ムネチカよ……。』
何か、刀を打つうえでの心構えのようなことを教わっていたような気もしたが、幼いころの話ゆえに鮮明に思い出せない。
鍛冶屋の自分には、剣の才能なんかないのはわかりきっていた。そんな人間が復讐だなんてただの無駄死にだ、俺は死にたいわけではない。
しかし、打たねばならない。鍛冶屋の血と言われればそうなのだろう。
どんな奴でも構わない、いつか剣術の筋が少しでもいい奴に渡ればいい。
巨岩の如き拳闘士団を両断する、復讐の怒気を振るう一太刀を。