第1話 白蝶草の乙女④
宗次郎が疾走しながら、腰の弾倉ポーチにぶら下げていたパイナップル状の手榴弾MK2の一つを手に取り、セーフティーレバーを握ったまま安全ピンを抜く。
「ようっ、剛。だいぶ苦戦しているようだな」
M800のリロードを終えた矢河に声をかける。
「俺様も加勢してやろう、ありがたく思えよ」
セーフティーレバーから手を離し、きっかり3秒数えてから新しい獲物を見つけて接近してきたアメーバの触手に向けて力いっぱい投擲する。
「呑気に見物してた分は、しっかり働いてもらうぞ」
「あらら。やっぱバレてたか」
悪戯が教師にばれた時の子供のような表情をしながら、矢河と二人で身を地面に臥せる。
大きく放物線を描きながら落下していく手榴弾が、アメーバに接触する直前に派手に爆炎を上げる。爆風にのって触手の半分以上が飛散し、辺り一面にゲル状の雨を降らせる。
その際ゲルの一部が矢河と宗次郎の衣類を焦がし、穴を開けた。
「おいっ、宗次郎」
起き上がりながら、矢河が訊ねる。
「なんだ?」
「……おまえ、また弄っただろ」
「んにゃ、俺はなぁんにも弄ってないぜ?」
「…………」
無言の問いかけに、宗次郎は両手を上げて降参のポーズを取る。もちろん、それは敵魔導士にではなく、矢河に対してだ。
「はいはい、分かりましたよ、白状しますよ。この前、マルコの親父から買ったんだよ。安くしとくって言われてな。ここまで威力があるとは俺も予想外だった」
「いくらだったのか、帰ってから領収書を見せてもらおうか」
「そんなモン、とっくに捨てた」
「では、後ほど夕子を通じてマルコに確認する。ちなみに代金は給与から天引きだ」
「ファァァッッック!!」
宗次郎が叫ぶや否や、二人は図ったように左右へそれぞれ跳んだ。直後に、すでに爆発のダメージから復活をとげたアメーバの触手が地面を抉り取る。
「いくら抵抗しようとも無駄な事だ。貴様らも大人しく喰われてしまえっ」
「うるせえ、アホンダラ! こちとら生活が懸かってんだよ。そう簡単に死ねるか」
「宗次郎……少し黙っていろ」
トゥーラーの悪態に対し、どこか的外れな意見を返す宗次郎。そしてその宗次郎に対し、表情を変えないまま呆れる矢河。
とても緊迫感のある戦闘状態でなされる会話とは思えない。
そんな男たちを他所にトゥーラーが別の呪文を唱える。今度は地面の其処彼処から地虫――いわゆる魑魅魍魎どもを召喚。伊達に大魔導士と名乗っていないことが伺える。
「クッソ……スライムもどきに加えて、今度は百鬼夜行かよ。とことん和洋折衷な変態野郎だ。どんだけの術が使えるんだよ」
「さすがは、かつて魔導士ギルドの幹部まで上り詰めただけのことはある。外法魔導士とはいえ、ギルド内部に未だに心棒者がいるのも頷ける」
「敵に感心払ってる場合かよ。どうすんだ!?」
悪態をつきながらも、懐のホルスターから愛用する大口径自動拳銃――デザートイーグル.50AEを神業の速さで抜く。
安全装置はとっくに解除済みだ――スライドを引いて薬室に一弾目を装填。
目前まで飛び掛かってきた凶悪な顔で牙を剥き出しにした小鬼に対し、こちらの男も片手で発砲する。
“ハンドキャノン”の異名をもつ大口径銃独特の咆哮が轟き、空薬莢が排出される。
本来であれば、この手の大口径銃は大人でも片手で撃つと手が痺れるどころか、肩の骨を脱臼しかねないほどの大反動がある。にも拘わらず、大口径回転式拳銃を扱う矢河と同じように宗次郎もそれをものともしない。
弾丸には高僧によって不動明王の梵字が彫ってあるため、妖怪たちにも通用する。
体の半分以上を吹っ飛ばされた小鬼が地面を転がった後に、巨人の足元で止まった。そのまま巨人の脚からアメーバが伸びて新しい餌を吸収する。
どうやら、巨人の供物は人間だけでなく妖怪や妖物も含まれるようだ。
「心配するな――策はある」
迫る小鬼たちの群れを斬り捨てながら、矢河が宗次郎に駆け寄る。そして背中越しに何かを告げると、すぐさまその場を離れる。
「ったく、相変わらず人使いの荒い所長様だぜ」
明らかに不服だという表情を浮かべ、ストレス発散とばかりに敵の群れに残った改造手榴弾を転がす。
数秒遅れて、再び派手な爆発があがった。爆風により妖怪たちの肉片が飛び散り、それを相変わらずアメーバが捕食している。
生き逃れた残党は、煙の中から飛来する梵字入りの投げナイフで「ぎゃっ」と悲鳴を上げ消滅する。
もちろん、アメーバ巨人への攻撃も忘れていない。
宗次郎が地面を蹴って前へと跳躍し、大手を振るう巨人の脇をすり抜ける。
すれ違いざまに伸びて来た複数の触手を、ハンドキャノンを連射して迎え撃つ。
反動を利用し巨人の背後に移りながら、弾倉に込められた全弾を撃ち尽くす。
マガジンキャッチのボタンを強く押し込んで、空になった弾倉を吐き出させる。
弾倉ポーチから素早く予備弾倉を取り出し、交換。足が地面と接する前に、スライドをしっかり引いて装填まで完了させる。
一切無駄のない、戦歴の兵士の動きだった。
――あのおっさんも、なかなか強いじゃねえか
こっそり工場内から外に出ていた実奈美が、宗次郎の戦いぶりをみて舌を巻く。ただの中年というイメージはすでにない。
宗次郎から「素人の出る幕は無い」と言われ、当初はむっとしていたが男たちの戦いを目の当たりにしては、悔しいが納得せざるを得ない。それでもなお、実奈美に無謀な行動を取らせるのは、ただ守られるだけは嫌だという無意識の心理が働いたためだ。
体勢を低くして見つからないように、そっと移動し、外に放置してあった機械設備や役目を終えてもなお、電線を垂らし続ける鉄塔に身を隠す。
幸いなことに外法魔導士は男たちへの攻撃に夢中になって、こちらに気付いていない。しかし自分には彼らのように一人で戦うだけの力はない。何が出来ることはないかと、懸命に考えを巡らせる。
何度目かの空気を劈く乾いた銃声が響く。アメーバ触手が破裂し、地面にゲルが散らばる。そのうちの幾つかは、再生能力を失ったのか地面に留まっているのを見つけて、実奈美にある考えが閃いた。
「うまくやれるかどうか。でもやってみるしかない」
実奈美がそんな行動を取っているとは夢にも思っていない宗次郎は、徐々に劣勢を強いられつつあった。執拗な敵の攻撃により、工場の壁まで追いつめられていたのだ。
「剛のやつ、早くしやがれってんだ」
さすがに年齢のせいもあるのか、息が上がってくる。
予備の弾倉は使い切り、残っているのは拳銃に薬室に装填された一発とマガジンに残された二発の計三発のみ。
さきほどから矢河は姿を晦ませたままだ――何を目論んでいるのだろうか。
必死の抵抗を嘲笑うようにトゥーラーが嫌味たっぷりに口を開く。
「頼みの所長殿がいないようだな。貴様を見捨てて逃げ出したか?」
「逃げ出す? あいつが?」
身を横に反らして、触手攻撃を躱す宗次郎。肩で息をしながらも、口元に笑みを浮かべる。
「本当にそうなら、俺も是非ともその姿を拝みたいものだな。けどよ、そんなのは例え天地がひっくり返ろうが、西から陽が昇ってもあり得ない話だ。残念だけどな」
「ほう、何故そう言いきれる?」
僅かに怪訝な表情をしながら訊ねる。
「知らないのか? あいつはあの矢河剛だぜ――最強の不死鳥と呼ばれる理由を、な」
「御託は聞き飽きたわ。貴様から血祭にあげてくれる」
声とともに、触手の先端が尖った槍のような形状に変形を遂げる。一本だけではない、二本三本と数を増やしていく。
「おいおいおい、冗談だよなあ」
宗次郎の額に脂汗が流れ、思わず後退りする。
「俺は冗談だが嫌いでな――ゆけ」
トゥーラーがもう一度、嘲笑を浮かべて命令を下す。
ゲル状の槍が風を切って、獲物の頭部や胸元をめがけて飛来してくる。
「くそったれっ!」
体勢を低く保ちながら右側に身を投げる――直後に工場の壁に槍が突き刺さった。
宗次郎の左肩が裂け鮮血が迸る。完全に避けきれていなかったのだ。
苦鳴を漏らし、壁伝いに疾走しながら右手で傷口を抑える宗次郎。
後から遅れてやってきた槍たちは、壁に突き刺さる寸前に軌道を直角に変え、誘導装置付きのミサイルとなってまっすぐ宗次郎を追いかける。
「サイドワインダーじゃあるまいし……どうせ追いかけてくるなら、キャバクラのお姉ちゃんだけにしてくれよ」
疾りながら、背後に迫ってくる槍にデザートイーグルが残りの弾を与えた後で、弾切れを知らせる。
それを合図とばかりに、槍の群れが一斉に襲い来る。
絶体絶命――そんな宗次郎を救ったのは、意外にも実奈美であった。
「大丈夫……かよ、おっさん」
突如現れた軟体の分厚い壁が、悉く槍の攻撃を防いた。いや、防いだというより吸収したようにも見える。
「助かったよ、嬢ちゃん」
攻撃を防いだのは、散らばったゲルを吸収させた大量の砂――即席のサンドスライムのようなものだった。
「ど、どう……だ。こんなオレ……でも役に……立った……だろう」
最大限の能力を発揮したのだろう。強がりを言いつつも、ふらついて、宗次郎に支えられる。
「まったく無茶しすぎだ」
怒るのを通り越して呆れる宗次郎。
「借りは返したぜ……」
「ホント、負けず嫌いな娘だ」
外法魔導士とアメーバの巨人が宗次郎と実奈美に歩み寄ってくる。
「随分と手間を取らせてくれたな。だが、ここまでだな」
「……そうかな?」
追い詰められているにも関わらず、不敵に笑う。
「時間は稼いでやったぜっ、剛っー!!」
宗次郎が空に向かって叫ぶ。いや、正確には鉄塔の上に立つ人物に向かって。
トゥーラーが弾かれたように、首をその方向に向ける。
斜陽が西の空を金色に染め上げ、鉄塔と人の影が地面に大きく伸びる。
高飛び込みの水泳選手が躊躇いなく水面に飛び込むように、矢河も同じ行為をやってのける。ただし回転などはなく、足からそのまま垂直に落下していく。
落下先もプールの水ではなく、巨人の頭部であった。
ズブン。
ヘドロにダイブしたような音を立てて、半透明のゲル液――濃硫酸でもある――の中へと侵入を果たす。
これが矢河の策なのかっ! 誰が見ても自殺行為そのものである。