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第四話 ワイルドカード④ ~付け焼刃~

「ほらクリスッ、そんなへっぴり腰じゃ蝶々が肩に止まるわよぉ! ジャングルなめんじゃないわよ……あと中庭三週追加!」

「行く予定ないんっ、だけどっ……」


 ゴリ美の怒号に励まされ、てはいないが。それでもクリスは息を絶え絶えにしながら言われたとおりにランニングをしていた。


「ヘイヘイ貧乳息上がってるー」

「うっさいわね! ったく何なのよこのトレーニングは……」


 ベンチに座ってコーラをあおるご機嫌なショーコに悪態をつきながらも、クリスは走り続ける。これで三日連続である。


「何なのよ、じゃないわよっ! あんたねぇ、それで優勝できると思ってんのぉ!? 相手はあのアスカなのよ、また無様に負けたいのぉ!?」


 今度はクリスは言い返さない、いや言い返せなかった。敗者復活戦が何なのか、クリスにはわからない。それでもその先にいるのは、間違いなくあの女だった。




 ――手も足も出なかった。




 それは敗北したクリス自身が誰よりも理解していた。


「よしっ……終わり!」


 最後の一歩を踏み出せば、そのままクリスは膝をついた。頬を伝った汗がそのまま地面に染みこむ。肩で大きく呼吸すれば、ショーコは指して笑った。


「ったく体力ねーなお前!」

「うるさいわね、こっちは頭脳派なのよ頭脳派」

「じゃあその頭脳で、こいつの意味を考えてもらおうかな」


 そう言ってショーコはベンチ脇に置いてあるバットを掴んだ。


「何よ野球でもするつもり? 悪いけどソフトボールしか経験ないわ」

「まぁそんなとこかな。もっとも」


 二度三度、ショーコは素振りをする。それからニヤッと笑ってクリスに向かって走り出す。


「ボールは……テメェだけどなあっ!」

「いっ!?」


 クリスは振り下ろされたバットをすんでのところで避けた。それを見たショーコはもう一度ニヤリと笑う。


「何すんのよ!」

「何すんのよ、じゃねぇだろ? 基礎トレーニングはみっちりやったからな、こここからは実践的な戦闘訓練って奴だ」

「疲れてんだけど」

「じゃねぇと……意味ねぇだろ!」


 バットを振り回しながらショーコが距離を詰める。そのまま後ろに下がろう、としたところでクリスの足がもつれて倒れた。


 それを見逃さないショーコ、そのままクリスは頭を目掛けてバットを振り下ろす。


 鼻先の手前でそれは止まる。聞こえて来たのはフフンと鳴ったショーコの鼻息。


「ま、喧嘩の素人じゃこんなもんだな」

「……ご忠告どうも」


 ゆっくりと起き上がろうとするクリス。そして手を差し伸べたのは、ショーコではなくゴリ美だった。


「立てる?」

「まぁ、何とか」

「そうじゃあ」


 そのままクリスは持ち上げられる。え、という間抜けすぎる声が出た瞬間、彼女はゴリ美の強靭な筋肉でぶん投げられた。それこそボールか何かのように。


「第二ラウンド……行くウホ―――――――――――――――ッ!」






「いやゴリラに勝てる訳無いでしょ……」


 その夜満身創痍のクリスは、病院の食堂で一人遅い夕食を済ませていた。もっとも口の中が切れているせいで、味なんてものはよくわからなかったが。


「やぁクリス、調子はどうだい?」


 と、さらに遅い夕食をとるのがもう一人。相変わらず胡散臭そうな声のチャールズが笑顔でそんな事を尋ねる。


「ゴリラとヤンキーにボコボコにされて調子良い人間っているかしらね」

「いないだろうね……けどまぁ仕方ないよね、君弱いから」

「弱……ハッキリ言うわね」


 クリスの正面に座るチャールズ。机の上に置かれたのは一本のコーラとブロック状の栄養食品の箱だった。


「そりゃあね、君が倒すのはあのアスカだよ? それに君と戦うとなればまた懲りずに殴り合いを所望するだろうさ、だから訓練は有効さ……はいコーラ、好きだろう?」


 そう言って言葉よりもよく冷えたコーラをクリスに差し出す。それを受け取るクリスは小さく頭を下げる。


「よく覚えてるわね」

「プロテインも入れなよ?」


 プロテイン。少なくともこのコーラには合わないだろうなと思い、その言葉を無視するクリス。とりあえず一口飲んでみたものの、口の中の傷に炭酸が染みてすぐやめた。


「で、これいつまでやればいいのよ」

「そうだね、今が三日目だから……あと二日かな」

「短かっ」


 予想外の期間にクリスは思わず声を漏らす。


「短期集中トレーニングってことで」

「効果はあるんでしょうね」

「いやぁ……ないだろうね」


 笑いながらチャールズは答える。五日程度鍛えたところで得られる効果などたかが知れている。


「でも付け焼刃ですら必要だろう?」


 それでもそのたかがすら、クリスには必要だった。


「そうね、腹立つけどその通りだわ」


 アスカに負けた惨めさを思い出し、渡されていたプロテインをコーラに混ぜて一口飲む。が、味はひどいものだった。


「……合わないわね」

「不味い?」

「飲む?」

「いやいい」


 断るチャールズ。それから少しづつコーラを胃に流し込むクリス。


 開けっ放しの食堂の扉から、ぼんやりと病院を歩く人々を眺めるクリス。そのほとんどが虚ろな目をした廃人で、数名がそれを介助している。




 ――今なら理解できる。




 この多すぎる病人達は、あの質問で薬を選んだのだと。7、8割と言っても過言ではなさそうだ。


 もしあんなものが無かったら。不意にそんな疑問が浮かんだ。


「ねぇ、あんた……何で麻薬なんて作った訳? こんだけ色んな設備があったら普通に暮らせるんじゃないの」

「そうだね、その通りさ。けれどね……僕らは皆ある欠陥を抱えている」

「欠陥?」

「死ねないんだよ、僕らは。言ってしまえばここは地獄だからね、自殺出来ないんだ。ただ苦しみが続くだけ」


 だからチャールズは、自分でも唾棄すべき物を作り上げた。天才という彼の設定は、皮肉にもこの場所で役立った。


「ま、そういう理由。納得した?」

「頭ではまぁ、理解できたわ」

「そうだね、それで十分かな」


 正しい等とは思わない。もしそんなものがこの世にあるとすれば。


「ああでも」

「でも?」


 つい漏れた言葉に、思わず口を抑えるチャールズ。


「いや、何でもないよ。それよりそろそろ食後のランニングの時間じゃない?」

「はいはい覚えてますよっと」


 そう言って席を立つクリスを彼はいつまでも見つめていた。


 ――正しさ。


 こんな異常な場所にそんなものがあるのなら。




 その遠ざかる背中だけだった。

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