絶対に追い付けないもの
その日の午後、俺は再度談話室を訪れていた。
「えっ、もうここを出るのか!? 昨日来たばかりじゃないか!」
思わず、大きい声が出てしまった。
ケイティは、申し訳なさそうに肩を搾める。
「ええ、ごめんなさいアンディさん。お父さんが今すぐに王都に行くって言うの。まさか、こんなに直ぐだなんて思わなくて」
ケイティのその顔に勢いが萎えてしまう。俺は努めて、笑った。
「……そっか。しょうがないよな。これで最後の別れって訳じゃないし。また、次ここに来たときに話を聞かせてくれ」
「もちろん。……でも、お父さんにも困ったものね。何もこんなときに王都に行かなくてもいいのに」
「こんなときって?」
俺は頭を捻る。ここには、王都どころか近隣の情報さえ流れてこない。興味が引かれ、ケイティに聞き返す。
「先日、陛下が崩御されたの。皆不安がっているわ。王権と教会の均衡が崩れてしまうって。只でさえ、混乱が続いているのに……」
「そんなところに行って、大丈夫なのか?」
ケイティは、微笑んだ。
「秘密よ」っと、言って言葉を続ける。
「……本当言うとね。行きたくなんてないわ。王都では、教会が幅をきかせているって噂になっているわ。それに合わせて、魔女狩りや異端審問も盛んになってきたって。悪魔や魔女と、いつ自分が貶められるか分かったものじゃない。でも……お父さんの言うことは守らないといけないの」
俺はそれを聞いて、余計心配になった。
魔女狩りや異端審問。
このせいで多くの人々が犠牲になった。
神の名の元に無実の人々を食い物にする。最悪の諸行だ。
そこには誠の信仰などあったのだろうか。血でその腐敗した手で汚し、貶めただけではないか。購いなどなく、振り返ることすらない。ただ殺戮と陵辱が繰り返された。
「気を付けて。でも、大丈夫さ。神様はきちんと見てくれるから」
そうであったらいい。
そうあって、ほしい。
気休め程度の言葉を白々しく言うしかできない自分の無力さに、そっと目を伏せた。
「アンディさんも気を付けてね。貴方は異国の人だから、目立ってしまうわ。でもここにいる限り大丈夫よ。神様のお膝元ですもの」
「ああ、ありがとう」
「私、とても楽しかった。一日しかお話しできなかったけど、貴方はちっとも高圧的ではないし、女だからって見下したりもしない。ずっとそのままの貴方でいてね。そうして、また一緒にお話ししましょう」
「勿論だ。俺こそ楽しかった。また絶対に会おう。それまで、どうか元気で」
「ええ、貴方も」
俺たちは笑顔で、握手をした。
ケイティは準備があるからと談話室を後にする。
俺はそれを見送って、椅子に座り込んだ。
これでまた外の情報源がなくなってしまった。ため息をつく。
この時代は酷く不安定だ。
目に見えないものを守るために戦が起こる。人の命など、信仰より軽いとでも言うように。妄信的な狂気が渦巻く世界だ。
だからこそ外の情報が重要なファクターになる。俺には情報が必要だ。手遅れになる、その前に。
俺はもう一度、深いため息をついた。
窓を見やる。
その先には、憎らしいほどの青空が広がっていた。
***
部屋に戻ると、アマルが俺のベッドに横になって枕に顔を埋めていた。クンクンと匂いを嗅いでいる。
「アマル、お前何してるんだ」
「……アマルは怒っているのです」
むすっとした声で、返事が返ってきた。
俺はベットに腰かけて、苦笑する。
「一体何を怒っているんだ?」
「また二人で会っていました。昨日の今日なのに、アンディ様はひどい殿方です」
俺は笑った。こうやって不満をちゃんと言ってくれている。俺の言い付けを守って、律儀に努力している。その健気さに、そしてその可愛らしさに笑った。
「何にもないって言っただろう。アマルは心配症だなぁ」
「心配にもなります! アマルはアンディ様だけですもの。でも、アンディ様はそうじゃないから……」
「まったく……すぐにそんなことを言う。こうやって一緒にいるのはアマルだけだよ。アマルといると一番落ち着くからな」
「っ、アマルは誤魔化されません!」
アマルは、ぱっと顔を上げた。
嬉しそう。
笑みを殺しきれてない。
誤魔化されてる。絶対に誤魔化されてるぞ。
……チョロすぎないか?
「どうしたら信じてくれるんだ?」
笑いを堪えながら、俺はアマルを見た。
俺の言葉を聞いてアマルは、無言で両手を広げる。
抱きしめろ、という訳か。俺は靴を脱ぎ、ベットに上がってアマルを正面から強く抱きしめる。甘く良い匂いが、ふんわりと広がった。
首元に顔を埋める。アマルはくすぐったそうに、身体を捩った。クスクスと笑い声が聞こえる。ソプラノの透き通る声だ。
抱きしめると良く分かる細く華奢な身体。その豊満な胸。そのアンバランスさが、何とも言えない色気を醸し出していた。
駄目だ。ムラムラしてきた。
今朝のあの柔らかい感触を思い出し、俺は心の中で般若心経を唱え始めた。煩悩退散。
そんな俺の努力を尻目に、アマルは更に強く抱きついてくる。胸がひしゃげる。甘い香りが強くなる。
ごくりと、唾を呑む。
俺は我慢できなくなって、そのままアマルをベットに押し倒した。駄目だ。ほんと、駄目だ。
アマルはきょとんとした赤い目でこちらを見詰めてくる。長い銀髪がベットに広がった。頬を撫でると、アマルは頬を上気させ愛しそうに微笑んだ。ぐっと、その唇に顔を近づけそうになるのをなんとか理性で抑え込む。
いやいや、落ち着け自分。不味いだろう。さすがに、駄目だ。
俺は一生懸命言い聞かせる。このまま手を出したら、終わりだ。いろんな意味で終わりだ。自分の気持ちを落ち着かせるために、俺はアマルにそっと聞いた。
「アマル。その、お前今何歳になるんだ」
「歳ですか……? 数えで、15になります」
思わず、固まる。
数えってことは、いまじゅうよん、14歳かー。そっか、なるほど。詰まるところ中2か……そっかそっか。ふーん。
……現代なら即効アウト、余裕でお縄確定でした。
大人びて見えるから、てっきり18~20歳ぐらいだと思っていた。
14歳と27歳。
ほぼ一回りの歳の差だ。
そこには、絶対に追い付けないものがあった。
俺はひゅんとして、冷静になる。
アマルから身を離して、ベットから降りて座り直す。考える人のようなポーズで、頭を抱えた。
――これから自制しようと、強く心に決めた瞬間だった。




