魂の苦悩
俺は部屋に戻って、あの時のアマルの様子を考えていた。
あんなアマル初めて見た。
やはりおかしい。
いつもなら今頃俺の部屋に来て、夕食の準備をしてくれているのに……。俺は取り敢えず部屋にあった林檎を噛って腹を満たした。
よし。
うだうだしててもしょうがない。
アマルを訪ねて見るか。
俺はそう思い、自室を出てアマルの部屋へと向かった。
***
アマルの部屋に着くと、ドアをノックして声をかける。
……反応はない。
俺は少し迷ったが、そのままドアを開く。
部屋は真っ暗で明かりは灯されていなかった。
俺は一旦廊下に戻ると、壁に掛けられた燭台を取って来て再びアマルの部屋へと戻る。
蝋燭で照らし部屋を見回すと、ベッドがこんもりと膨れていた。どうやら布団を頭まで被って寝ているみたいだった。
流石に起こしたら可哀想かと思い、部屋を出ようとすると微かに嗚咽が聞こえてくる。
―――泣いて、いるのか。
俺は燭台を机に置くと、ベッドに寄ってそっと布団を捲り上げた。
アマルは丸くなり何かを胸に抱いて、涙を流していた。
綺麗な銀髪は乱れ、ただでさえ真っ赤な瞳を涙でさらに赤くしている。
俺はベッドに腰かけ、アマルっと名前を呼ぶ。
頬を優しく撫で涙を拭い、それからゆっくり話しかけた。
「アマル……なぁ、どうしたんだ?」
アマルは、唇を噛んでぐっと黙り込む。
俺は苦笑して、頭を掻いた。
「……ほら、黙ってたら分からないぞ」
頭をポンポンと撫でる。
アマルは駄々を捏ねるように、いやいやと頭を振った。
体感で10分程度、そうして話しかけてみたが効果はない。
……困った。これはお手上げだ。
アマルが落ち着くまで、少し距離を置いた方がいいのかもしれない。溜め息を吐いて、立ち上がる。
机の燭台を回収して、俺は部屋を後にしようとして――
「やだ、まって、まってよぉ、アンディさまぁ!」
――悲痛な声に呼び止められた。
それと同時に、後ろからどさっと、落ちる音がした。
慌てて振り向くと、アマルが床に倒れ伏している。
わんわんと、子供のように泣きじゃくり、床をもがきながら這ってなんとか俺に近づこうとしていた。
「うああっん、ひぐっ、やだぁっ! うあっ……いかないで、やだやだぁ! お、おいてかないで! アンディさま、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
錯乱し、頭を振り乱しながらアマルは俺を呼ぶ。
俺は燭台を床において、アマルに駆け寄った。
「おい、アマル大丈夫か!」
「ああっ、アンディさま、アンディさま!」
アマルは俺にすがりつき、強く抱きついてくる。慰めるように背中を撫でながら、どこか怪我をしていないか確認する。目立った傷は無さそうで、ほっとした。
俺はアマルを横抱きにして持ち上げベッドに座らせる。
「いかないよ。側にいる」
まだ泣き続けるアマルに、何度もそう言った。
***
どれくらい時間がたっただろう。
アマルはやっと泣き止んで、俺の胸に顔を埋めていた。
身体を冷やさないように布団を引っ張ってアマルにかける。すると、ベッドの上にあの蝋板が置かれているのを見つけた。アマルはこれを胸に抱いていたのか。
俺とアマルの名前が書かれた蝋板。
それを抱きながら泣いていた。
アマルの様子がおかしかったのは、やはり俺が原因なのだろう。
俺は髪を優しく撫でながら、アマルに話しかける。
「なぁ、アマル頭とか打ったりしてないか。どこも痛いところはないか」
「……は、い」
アマルは小さくかすれた声で答えた。
答えてくれたことに安心する。
「……一体何があったか、俺に教えてくれるか」
アマルは、数分考えるように黙ってから言葉をひとつひとつ呟いてくれた。
「……礼拝が終わって、アンディ様のお部屋に……。アンディ様がいないの。探し……て。それから、それから……だ、談話室で、アンディ様の声が。楽しそうな声が……」
アマルはそこで一旦言葉を切った。
俺は無言で、アマルを待つ。
「……他の、他の女の声も。アンディ様は、アンディ様は……他の女と、話してた。楽しそうに、話してた。私の、私のなのに。名前まで、呼ばせてた。私だけの名前! アンディ様の名前を!」
「……アマル」
「私の、私の、私だけの! 私……私は、アンディ様だけなの。あ、アンディ様しか、いないのに! アンディ様は、私のっ! 絶対に、絶対に渡さないっ! 取ろうとした、許せない、許さない、あの女、あの女っ!!!」
俺は唖然として、言葉が出なかった。
それは、壮絶なほどの嫉妬。執着。独占欲。
それがアマルの胸中に渦巻き、激情として溢れでていた。
アマルは堰を切ったように、声を荒上げる。
憎しみに染まった声音で、ケイティを攻めた。
「止めろ、アマル!」
思わず、叫ぶ。
ケイティは、悪くない。
全て俺が悪い。アマルの気持ちに答えず。ずっと、それに甘えてた。アマルはきっと今まで不安だっただろう。いつか俺が離れるのではないか。どこかに行くのではないか。その疑心暗鬼の心が、いつも俺に引っ付いて離れない理由だったかもしれない。
俺たちの間には、宣言も誓いもない。
小さな約束事しか、繋ぐものはなかった。その不安が、その危うさが、アマルをずっと苛み続けていた。それがケイティと話す俺を見て爆発したのだ。
「ひっ、あ、あんでぃさま。ご、ごめんなさい。ごめんなさい。あやまります。あまるは、あやまりますから。おきらいにならないで。あまるを、あまるを。どうか。あんでぃさまに、きらわれたら……わたくし、もう、いきて、いけない」
ごめんなさい、と繰り返す。アマルのその異常なほどの怯えように、驚いてフリーズしてしまうこと数秒。彼女の身体が震え初めて、これは泣く一歩手前だぞと、慌てて答える。
「違う。違うんだ。アマルは悪くない。悪くないよ。ごめんな。嫌いになったりしない。絶対に」
「――――アンディ様」
アマルは、俺の名前を呼んだ。
顔を上げて、泣き張らした瞳で俺を見つめる。
「アンディ様。私は、ずっとひとり、でした。暗く、冷たい牢獄ようなこの場所で。でも……貴方様が来てくれた。私に笑いかけ、誰もが恐れ忌み嫌った私を綺麗だと、そう言ってくれました。その笑みに、その言葉に、どれだけ救われたことか」
アマルは、微笑んだ。
夢を見るように淡く、微笑んだ。
「貴方様は、私の光。私の主。私の愛しい人。アンディ様がいないと、もう、どう息をしていたのか、分からない。どう生きていけばいいのかも、分からない。……ねぇ、アンディ様。いつか、貴方様がここを去る、そのときが来たら、私を――」
アマルは瞳を閉じた。
祈るように、懇願するように、懺悔するように。
それは、聖句であった。
それは、切望であった。
それは……
「――どうか、私を殺して下さい」
……それは真に、呪詛であった。




