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聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第1章 悪夢からの目覚め
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魂の苦悩


 俺は部屋に戻って、あの時のアマルの様子を考えていた。

 あんなアマル初めて見た。

 やはりおかしい。

 

 いつもなら今頃俺の部屋に来て、夕食の準備をしてくれているのに……。俺は取り敢えず部屋にあった林檎を噛って腹を満たした。


 よし。

 うだうだしててもしょうがない。

 アマルを訪ねて見るか。


 俺はそう思い、自室を出てアマルの部屋へと向かった。



 ***



 アマルの部屋に着くと、ドアをノックして声をかける。


 ……反応はない。


 俺は少し迷ったが、そのままドアを開く。

 部屋は真っ暗で明かりは灯されていなかった。

 

 俺は一旦廊下に戻ると、壁に掛けられた燭台を取って来て再びアマルの部屋へと戻る。

 蝋燭で照らし部屋を見回すと、ベッドがこんもりと膨れていた。どうやら布団を頭まで被って寝ているみたいだった。

 流石に起こしたら可哀想かと思い、部屋を出ようとすると微かに嗚咽が聞こえてくる。

 

 ―――泣いて、いるのか。


 俺は燭台を机に置くと、ベッドに寄ってそっと布団を捲り上げた。

 

 アマルは丸くなり何かを胸に抱いて、涙を流していた。

 綺麗な銀髪は乱れ、ただでさえ真っ赤な瞳を涙でさらに赤くしている。

  

 俺はベッドに腰かけ、アマルっと名前を呼ぶ。

 頬を優しく撫で涙を拭い、それからゆっくり話しかけた。

 

「アマル……なぁ、どうしたんだ?」


 アマルは、唇を噛んでぐっと黙り込む。

 俺は苦笑して、頭を掻いた。


「……ほら、黙ってたら分からないぞ」


 頭をポンポンと撫でる。

 アマルは駄々を捏ねるように、いやいやと頭を振った。

 体感で10分程度、そうして話しかけてみたが効果はない。


 ……困った。これはお手上げだ。 


 アマルが落ち着くまで、少し距離を置いた方がいいのかもしれない。溜め息を吐いて、立ち上がる。


 机の燭台を回収して、俺は部屋を後にしようとして――


「やだ、まって、まってよぉ、アンディさまぁ!」


 ――悲痛な声に呼び止められた。


 それと同時に、後ろからどさっと、落ちる音がした。

 慌てて振り向くと、アマルが床に倒れ伏している。

 わんわんと、子供のように泣きじゃくり、床をもがきながら這ってなんとか俺に近づこうとしていた。

 

「うああっん、ひぐっ、やだぁっ! うあっ……いかないで、やだやだぁ! お、おいてかないで! アンディさま、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」


 錯乱し、頭を振り乱しながらアマルは俺を呼ぶ。

 俺は燭台を床において、アマルに駆け寄った。


「おい、アマル大丈夫か!」


「ああっ、アンディさま、アンディさま!」


 アマルは俺にすがりつき、強く抱きついてくる。慰めるように背中を撫でながら、どこか怪我をしていないか確認する。目立った傷は無さそうで、ほっとした。 

 

 俺はアマルを横抱きにして持ち上げベッドに座らせる。


「いかないよ。側にいる」


 まだ泣き続けるアマルに、何度もそう言った。



 ***



 どれくらい時間がたっただろう。

 アマルはやっと泣き止んで、俺の胸に顔を埋めていた。


 身体を冷やさないように布団を引っ張ってアマルにかける。すると、ベッドの上にあの蝋板が置かれているのを見つけた。アマルはこれを胸に抱いていたのか。


 俺とアマルの名前が書かれた蝋板。

 それを抱きながら泣いていた。

 アマルの様子がおかしかったのは、やはり俺が原因なのだろう。

 俺は髪を優しく撫でながら、アマルに話しかける。


「なぁ、アマル頭とか打ったりしてないか。どこも痛いところはないか」


「……は、い」


 アマルは小さくかすれた声で答えた。

 答えてくれたことに安心する。


「……一体何があったか、俺に教えてくれるか」


 アマルは、数分考えるように黙ってから言葉をひとつひとつ呟いてくれた。


「……礼拝が終わって、アンディ様のお部屋に……。アンディ様がいないの。探し……て。それから、それから……だ、談話室で、アンディ様の声が。楽しそうな声が……」


 アマルはそこで一旦言葉を切った。

 俺は無言で、アマルを待つ。


「……他の、他の女の声も。アンディ様は、アンディ様は……他の女と、話してた。楽しそうに、話してた。私の、私のなのに。名前まで、呼ばせてた。私だけの名前! アンディ様の名前を!」


「……アマル」


「私の、私の、私だけの! 私……私は、アンディ様だけなの。あ、アンディ様しか、いないのに! アンディ様は、私のっ! 絶対に、絶対に渡さないっ! 取ろうとした、許せない、許さない、あの女、あの女っ!!!」

 

 俺は唖然として、言葉が出なかった。

 それは、壮絶なほどの嫉妬。執着。独占欲。

 それがアマルの胸中に渦巻き、激情として溢れでていた。

 アマルは堰を切ったように、声を荒上げる。

 憎しみに染まった声音で、ケイティを攻めた。


「止めろ、アマル!」


 思わず、叫ぶ。

 

 ケイティは、悪くない。

 全て俺が悪い。アマルの気持ちに答えず。ずっと、それに甘えてた。アマルはきっと今まで不安だっただろう。いつか俺が離れるのではないか。どこかに行くのではないか。その疑心暗鬼の心が、いつも俺に引っ付いて離れない理由だったかもしれない。


 俺たちの間には、宣言も誓いもない。


 小さな約束事しか、繋ぐものはなかった。その不安が、その危うさが、アマルをずっと苛み続けていた。それがケイティと話す俺を見て爆発したのだ。


「ひっ、あ、あんでぃさま。ご、ごめんなさい。ごめんなさい。あやまります。あまるは、あやまりますから。おきらいにならないで。あまるを、あまるを。どうか。あんでぃさまに、きらわれたら……わたくし、もう、いきて、いけない」


 ごめんなさい、と繰り返す。アマルのその異常なほどの怯えように、驚いてフリーズしてしまうこと数秒。彼女の身体が震え初めて、これは泣く一歩手前だぞと、慌てて答える。


「違う。違うんだ。アマルは悪くない。悪くないよ。ごめんな。嫌いになったりしない。絶対に」


「――――アンディ様」


 アマルは、俺の名前を呼んだ。

 顔を上げて、泣き張らした瞳で俺を見つめる。


「アンディ様。私は、ずっとひとり、でした。暗く、冷たい牢獄ようなこの場所で。でも……貴方様が来てくれた。私に笑いかけ、誰もが恐れ忌み嫌った私を綺麗だと、そう言ってくれました。その笑みに、その言葉に、どれだけ救われたことか」


 アマルは、微笑んだ。

 夢を見るように淡く、微笑んだ。


「貴方様は、私の光。私の主。私の愛しい人。アンディ様がいないと、もう、どう息をしていたのか、分からない。どう生きていけばいいのかも、分からない。……ねぇ、アンディ様。いつか、貴方様がここを去る、そのときが来たら、私を――」



 アマルは瞳を閉じた。

 祈るように、懇願するように、懺悔するように。


 それは、聖句であった。

 それは、切望であった。 

 それは……


 

「――どうか、私を殺して下さい」

 

 

 ……それは真に、呪詛であった。

 

 

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