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聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第6章空を仰ぐもの
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騒がしい夜

 




 家族の言葉である。


 それは、磨耗してしまった記憶の果て。


「――貴方たちは選ばれたのよ」


 そう言って、母は目を伏せた。


「――役目を果たしなさい」


 そう言って、父は目を細めた。


「――ひとつになり、全てを受け入れるのです」


 そう言って、祖母は泣いた。


「――それこそ我らが運命(さだめ)


 そう言って、祖父は嗤った。


 今や顔すら思い出すことも叶わない、家族の言葉である。




 ***




 ああ、頭が痛い。


 疼くような痛みで、意識が覚醒する。

 ぼんやりとした視界に不快感を覚える。辺りは闇に包まれており、日が暮れていることを否応なし気づかされた。


 ……俺は、どうなったんだ。


 横になっていた身体を起き上がらせて、手探りで自分の位置を確かめる。荒いリネンの布団。滑らかで生暖かい肌。小さく聞こえる甘い吐息。それを感じ、思わず息を呑んだ。


 その時、月明かりが窓から差し込んだ。


 光を追うように目を走らせる。そして、目を見開く。口が戦慄いた。目の前の存在に、脳内がショートする。


「ソフィア、さん」


 隣にはソフィアさんが横たわっていた。……裸で、横たわっていた。そして、自分自身も一糸纏わぬ姿だった。


「俺は、まさかソフィアさんと、寝た、のか?」


 言葉に出して、納得した。

 部屋に充満する濃い女の匂い。不自然に湿った布団。ソフィアさんの白い肌を蹂躙するがごとく散りばめた赤い跡。全てが物語っていた。ああ、手込めにしたのだ。俺が、ソフィアさんを。どうしてそうなったのか、記憶が抜け落ちているが、言い逃れできない証拠が目の前にあった。


「――ふっ、くくっ、あはは」


 酷く動揺している筈なのに、笑ってしまった。笑うしかなかった。楽しい訳ではない、嬉しい訳でもない。ただ、目の前の事実を受け止め切れないだけだ。……そうでなければならない、と思った。


 どくり、と心臓が踊る。


 まだ食べたいとでも言うように、躍動する。なんて、貪欲なんだ。お前は十分器を満たしただろう? これ以上何を望む。おぞましさを感じ、心臓を押さえる。これ以上、求めるな。これ以上、汚すな。これ以上、愛すな。


 そうだ。そうならないために、俺は逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて……あれ、そして、どうなった?


「アマル」


 彼女の名前を呟く。

 会いたい。アマルに会いたい。

 裏切った癖に、他の女を抱いた癖に、厚顔無恥にもただただ会いたかった。ベットから抜け出す。ぎしり、と軋む音がした。それにうすら寒い気持ちになりつつも、脱ぎ捨てられた服を床から拾い集め、ぎこちなく着用する。


 それから、覚束ない足取りで歩きだす。床を蹴る音が石畳に反響する。


 ひたりひたり。


 静寂に響く。


 ひたりひたりひたり。


 静寂に、響く。


 ひたりひたりひたりひたり、カラン。


 ――静寂に、響く?


 クスクス。


 誰かが笑った。

 何かが嗤った。

 雑踏が聞こえる。

 静寂なのに騒がしい。

 夜はこんなにも、騒がしい。


「ねぇ、振り向いて」


 振り向けば終わりだ。それだけが分かった。それ以外分からなかった。目をぐっと閉じる。それは絶対に見ないという精一杯の意思表示。


「振り向いて、振り向いて、振り向いて……お願い、私は貴方が欲しい」


 繰り返される言葉。俺はそれに答えない。本能がそうしてはならないと警鐘を鳴らしている。


「わたしを見つけて。わたしの名前を呼んで。わたしを愛して……」


 耳元で囁かれた。

 濡れた声音。聞き慣れたようで、聞きなれない声。どこまでも餓え、昴揚する心がその声に滲み出ていた。


 息ができない。酸素が巡らず、血中の飽和度が著しく低下する。意識が遠退く。


 死ぬ死ねる死にたい死死死死死死死死――――


 ――――死ね。


「ねぇ、わたしはだぁれ?」


 最後に聞こえた彼女の声は、あまりにも寂しげだった。




 ***



「……アンディ様?」


 名前を呼ばれた。目を開く。窓から夕日が差し込んでいる。視界にはベットに腰掛け、俺の顔を心配げに覗き込む少女がいた。思わず息を呑む。驚きからではない。途方もない罪悪感からである。


「あ、まる。おれは、俺は」

「アンディ様、大丈夫ですか? うなされていたようですが、怖い夢でも見てしまいましたか?」

「ゆめ、あれは、夢か?」

「ええ、夢です。アンディ様、とてもお辛そうでした。だから、起こさせて頂きました」


 そうか。全て夢だったのか。巡礼棟に行ったのも、ソフィアさんを寝かし付けたのも、彼女を抱いたのも、全て夢だったのか。

 そう思うと、肩の力が抜けた。良かった。俺はアマルを裏切ってなどいなかった。


「そうか。アマル、ありがとう」

「はい、アンディ様」


 アマルの手を引いて、抱き寄せる。アマルは抵抗しなかった。それどころか嬉しそうに俺の胸板に顔を擦り付けた。いつものマーキング。ふんわりと、仄かな薔薇の匂いが鼻を擽る。


「アンディ様が私を見つけて下さったから、私の名前を呼んで下さったから、私を愛して下さったから……私は私でいられるのです」

「アマル?」

「アンディ様は誰にも渡さない。渡すものか。例え誰であっても、アンディ様に触れるなど許さない。貴方様だけが、私の光。私の全て。私の愛しい人」


 アマルは顔を上げて、微笑えんだ。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新待ってましたー! アマル可愛い…何が起きてるかさっぱりだけどとにかくアマル可愛いのは間違いないね
[良い点] 主人公やらかしたけどソフィアさんみたいな美人だとしょうがないと思うんだ・・・ ソフィアさん全力で逃げてー!
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