八:いたずらモグラに成敗を
「ふみいい、しょっ。ふみい……重いにーっ!」
クロエが黒雲に嘆いた。
直径十センチ、厚み五センチほどの石ブロックを両手に抱え、小さな体で一生懸命に運んでいた。
ドサッ、運ばれた先はカウオーズのところ。既にブロックは十個ほど置かれており、その中の六個を両腕で抱えると、えっさほいさとさらに別の人のところへ。
「ぶもー。頼むも!」
僕は置かれた石ブロックを拾い上げ、地面に描かれた枠組みに沿って、一センチのズレもないように置いた。
「ふう……」
一息をつくと、エミーはよちよちバランスを取りながら、黒い液体が入ったバケツをジェミに届ける。
ジェミはエミーにお礼を言うと、黒い液体を布につけて、石ブロックの上に塗りたくる。
そう。僕たちは今、魔界の再建を頑張っていた。
それぞれが役割を持って、キビキビと行動する。
本当はもっと仲間がいれば手分けせるのだけど、今の僕たちでは一か所に集中するのが精いっぱいだ。
「もぐ。リナの作ったドーナツは最高だ!」
「お気に召されたようでなによりです、魔王様」
力仕事を頑張っている僕たちを他所に、エクスが口を動かしていた。
小さなミニテーブルにドーナツと紅茶が置かれてあり、椅子に腰を掛けながら唯意義な時間を過ごすぐうたら魔王……エクス。
リナさんに限ってはすぐに魔王を甘やかすし……魔界が復興したところで、色々と大丈夫なのだろうかと不安が残る。
「頑張れ、頑張れ! フィルちゃん、皆ぁ! 応援してるからねぇ、きゃふふっ」
鋭利な腕を口元に置いて笑う、女郎蜘蛛は高見の見物。
僕はそろそろ頭の線が限界になった。
本当に魔界を復興したいの……?
「だああ! エクスもアラクネも手伝ってよッ!」
勢いよく立ち上がり、思わず魔王と女郎蜘蛛に指差した。
「わたしはぁ、あとで接着のお仕事があるのー。だから今だけ休ませてちょうだい?」
どうやらアラクネには理由があったらしい。
グッと鋭い目をエクスに向ける。エクスは怖気づくどころか、反論してきた。
「俺は魔王なんだぞ! 魔王の命令は聞くものだろ! 皆の者、魔王のために身を粉にして働くのじゃー」
どこの王様のマネだよ! こんな暴君、嫌だよ!
「ま、まあまあ……フィル様」
「リナさんも! 甘やかしすぎですよ!」
「それは思った」
僕の背後からそんな声が聞こえてきた。クロエとカウオーズが激しく頷いている。
「こんな小さい子まで動いているんだよ!?」
「ジェミニは幼くないぞ! 少なくとも俺よりも生きてるぞ!」
「そういう問題であっても、そういう問題じゃなーい!!」
ああ言えばこう言う、これは誰もついてきたがらないわけだ!
「ジェミイィ、あるじ様が、こあいぃ……」
「エミー、よしよし。主様はぼくたちのために言ってくれてるんだよ」
エミーはジェミの裾を引っ張って、僕の気迫にすっかり怯えていた。
その状況を把握して、なんとか息を抑える。
「リナさん! やっぱりリナさんからも何か一言――」
言いかけた時、彼女のスカートが風に煽られたカーテンのようにふわっと空気を含んだ。
「え?」僕が零した声と同時に、周りの男性皆が目を伏せる。
――ふとももが見えかけた時。
「いやあああッ! 何事ですかっ!?」
ばふっ。彼女がスカートを抑えた。
よく見ると、彼女の背後で何者かが暗躍していた。
あんなに硬い質の土が、クワで耕されたかのようにこんもりとしている。
誰かが地面を掘り進んでいるのは間違いない。
「はあ、はあ、もう。誰ですか、こんな子どものような遊びを……」
リナさんの言葉とほぼ同時に、再び彼女の背後からにゅるりと何者かが姿を現した。
それは頭に数本の毛を生やし、茶色い何かが顔を見せた。土にこもっていて全容は見えないが、とんがった鼻が特徴的の、サングラスを掛けた――モグラ?
やつは鋭い爪がついた丸い手で、彼女のスカートを――。
「リナさん、後ろです!」
「――っ!」
ドンッ。彼女が赤面しながら勢いよく地面を踏みしめた。しかし不発。やつはすぐに地面に潜ってしまい、攻撃を受け付けなかった。
……と思うと、もこもこと地面から顔を出し「キシシシ」と嘲笑う。
その正体が、ついに口を開いた。
「へえー。今日のリナさんの下着の色はク――おっと」
ドンッ、力を込めた彼女の踏み付けが、またも不発した。
と思ったら、再び姿を現す。
リナさんが思い切り大地を踏んづける。しかしモグラは軽々と姿を隠し、再び顔を出して嘲笑した。
「か弱きモグラを踏もうとするなんて、危ないやないですかー」
「ステルス様! こんなしょうもないいたずらを……」
「いたずらはぼくの醍醐味ですやん? かわいいモグラのいたずらや思うて、ここは一つ堪忍な」
一生懸命に働く僕たちをも嘲笑するモグラ。
どうやらもう一匹、説教をするべき相手がいたようだ。
「まー底辺は、一生そうやって力仕事をやっていればいいんとちゃいますかー?」
「てっ……あなた! 魔王様と皆様にお謝りなさい!」
「壊れた魔界を今さら……はああ、あほくさ」
見事に周りのイライラを募らせるモグラ。
そんなモグラを伏せんとする切り口を作ったのは――。
『おいテメー。黙って聞いていれば』
「これはこれは魔剣デュベル様。久しぶりでんなー」
『オレの命令だ。それ以上でも以下でもねえ――斬るぞ』
「おーこわ。魔界の大地がぼくの血肉で飾られたら、えらいこっちゃあ!」
ステルスは土を掻き分け潜っていく。
「ほななー」去り際にそう残して、気配を消した。
なんて失礼なモグラなんだ。理由があったって、許されることではない。……なんて、昔の僕なら確実に思わなかっただろうな。
魔界にきて少しずつ意識が改変されていってるかもしれない。
「……皆様」
唐突にリナさんが告げた。
声を震わせ、拳を握り、誰もが危険を察知した。
「そのまま建物の修復をお願いします。フィル様は、わたくしと一緒に」
顔を俯かせ、その表情までは窺えなかったが……。
明らかに怒っている。あのリナさんからは想像もつかない威圧感だった。
「ジェミィィ!! りなもこあいいぃ!」
「エミー! 大丈夫だから、ね?」
ジェミニのやり取りにも反応することなく、スタスタと歩き始めた。
僕は周りを見渡しながら、リナさんを追いかける。彼らはしばらくの間、ぽかんと口を開けてリナさんの背中を追っていた。
『ったく。腐れ根性め』
僕の腕の中で、デュベルが苛立ちを口にする。
どうしてステルスは僕たちに罵倒なんかを吐いたんだろう。
そこには何か、理由があるはずなんだけど。
彼もきっと、内はいい子だと信じたい。
『もともと、やつは熱くなるのが嫌いでな。常に冷めてる……つうか群れるのすら嫌ってるんだよ。昔からな』
「どうして?」
『んなことオレが知るかよ』
群れることが嫌い、かあ。
確かにステルスの態度は、とても群れに特化したような態度じゃないけど。
「昔もいたずら好きだったの?」
「ええ。と言っても、人魔戦争が終戦してから唐突に……と言った方が正確ですね。決して頻度は多くなかった気がします」
うーん。皆と仲が悪かったのか。謎が謎を呼ぶ。
ピリピリとした空気が重苦しい。この中の誰もが、きっと「なんとしてでもいたずらモグラをとっちめる」と考えているに違いない。
いたずらを心から楽しんでいるのか、それとも深い理由があるのか。
ああ、考えてもわからない。
けど、あの笑いには何か意味があるものとしか思えなかった。
『フィル!』
「へ?」
僕はデュベルの声に合わせて咄嗟に見上げる。
――そこには、三つほどの大きな岩が……投擲されてきたのだ。
ぶつかる。気づいた時には既に遅かった。
――ゴオオッ!! 土煙を巻き上げて、岩が破裂する。
「ううっ……あれ?」
思わず身構えていた体を立て直す。
僕の目の前には、リナさんが両腕を広げて立っていた。
黄色い障壁が彼女の前に広がって、それが僕たちを護ってくれたのだろう。
「あ、ありがとう、リナさん」
「いいえ。主様のお役に立つのも、私の役目ですから」
笑って返した。
すると、悪魔のような笑い声が飛んでくる。
「ちょっとちょっと、リナさん。人間を護るなんて聞いてまへんてー」
鼻をひくひくさせ、改めて僕が人間であることを確認するステルス。
「ステルス! どうしてこんなことするの!?」
「あんさんには関係ありまへんやん。無駄に熱い人は嫌いやで?」
「関係あるよ! だって……」
「御託はぼくに勝ってもらってから聞きましょか。あーけどぼく投擲兵やったわ。今のんで投げるもんないし……どないしよ」
ステルスがうーんと考える。
こっちとしては、ただ話をさせてもらえたら十分なんだけど……。
『おい腐れ根性モグラ』
「なんや、うっさい剣やわ……。今、考えてるとこや。邪魔せんといて」
『なッ』
ガタガタガタ、わかりやすいようにデュベルの刃先が震えている。僕は悟った。
ああ、堪忍袋の緒が切れたんだなと。
『フィル。モグラ潰しの始まりだ』
「ええ……?」
『リナ。サングラス没収』
「承知いたしました」
デュベルの指示通りに、剣を抜いた。
こちらの不穏な動きに、ステルスはひどく警戒しているようだ。だが攻められるのであれば、土に潜ってしまえばいい。
にやりとステルスの口角が歪にあがる。それは何かを企んでいる時の表情だ。
けど……デュベルにはその魂胆が見え見えだった。
「何度やっても同じことでっせ? 少しは学習しいやー」
読み通り、鋭い爪の生えた手を使って硬い大地に潜ろうとしていた。
黒い大地に爪を引っ掛け、ザクッと土に手が入り込んだ瞬間――。
デュベルが僕の腕を力一杯に振り下ろさせ、剣の中心部まで深く大地に突き刺さった。目玉のような赤い宝石が、鈍く光る。
「あれ……おかしいわ」
先ほどまで好調に掘れていた大地が、急に掘れなくなったようだ。本人の一生懸命さも、今や爪とぎにしか見えない。
すかさずリナさんがステルスのサングラスをひょいっと取り上げる。
サングラスを取ることで目視できるようになった、つぶらな瞳をシパシパとさせるステイル。
途端、煽っていた彼からは想像もできないほど情けない声が上がった。
「ひええ……眩しいわ。そんないじわるせんといてー! 何もみえへん!」
眩しい……? こんなに大地は真っ暗なのに?
空を見上げると、やはり黒雲に覆われている。
しかし必死に宙を掻くかの如く、ステルスは手を動かしてサングラスを取り返そうとしていた。
目をつぶっているので当然、取り戻すことができない。なんだか可哀相。
「返してーや、ぼくの目となる部品! もう観念するからああ!!」
『リナ。返してやれ。どうせ、もう土は掘れねえよ』
「わかりました。どうぞ、ステルス様?」
クスリ、バカにした笑いで先ほどの借りを返すリナさん。女の人って、怖いなぁ。
やがてステルスにサングラスが返された。
ぜえ、ぜえと息を上げ、ステルスは文句を発す。
「デュベル様。えげつないことしてくれますな……」
『この大地はオレのもんだ。まあ、使う機会がないけどな、こんなしょぼい技』
「くう……ホンマ不覚とったわ。人間、もう逃げへん、好きにしい」
僕は一つ、頷いて先ほどの質問を試みた。
「さっき、関係ないって言ったよね?」
「正直に言っただけですやん。何度でも言う、人間のあんさんには関係あれへんやん」
「関係あるよ。僕も何度だって言う。僕はデュベルの主であり……キミの仲間だから」
「ナカマ……」
ステルスの表情が強張った。そのサングラスの奥に潜む感情はわからないが、彼は何かを考えこむ。
「だって、皆……一生懸命に頑張ってるんだよ? そんな子達をバカにするしかできないなんて、すごく切ないというか……」
「もうやめろや!!」
「……っ」
ステルスが怒鳴った。
歯をギリリと立てて、先の余裕が一ミリもないことが理解できる。
「ナカマ、ナカマナカマ。無駄な根性論は嫌い言うたよな!」
「ステルス……」
「もうぼくのことは放ってくれまへんか。あんたの考える綺麗なナカマは、ぼくにはあれへんよ」
逆に怒らせてしまったらしい。
ステルスは鼻をひくひくさせて、やがて悲しそうにうつむいた。
……やっぱり、彼にも訳があるようだ。
「ステルス様。では、なぜいたずらを仕掛けるのかは……教えていただけませんか?」
リナさんは腰を低めて、丁寧に告げる。
「ま……それくらいならええけど」
ステルスも、うつむき加減に言葉を続けた。
「むかつくからや」
「むかつく?」
「無駄に……煌びやかな連中に、むかついたから言うてるやろ」
僕は彼の言葉がに「真実」を灯していない気がした。
ステルスの言葉に首を振る。そうして「本当は一人だったんじゃないのか」と告げた。
お節介かもしれないけれど、これが僕の精一杯の言葉だった。
「……一人やってん」
「え?」
「ぼくをいじめてた連中、いつか見返したいと思うてるうちに、人魔戦争で亡くなったんよ。ぼくは性格悪いからな、心の底から喜んでやった。
これが報復やと」
明らかになった、ステルスの過去。嬉しそうに語るその様から、壮絶ないじめが想像できる。
「けど、ぼくの心はどうにも埋まることはなかった。同時にぼくを護ろうとしてくれた友人まで失ったからや」
その場の誰もが黙り込んだ。
こんなに身近にいたリナさんとデュベルだって、静かに聞き入れる。
「次第に淋しいなって、日常に目を向けた。そしたら、なんなん。人魔戦争に日常を壊されても、明るい連中ばっかりやん。
「……なんでわろうてられるん? 理解、不能や」
「嫌いやわ」と苦虫を噛み潰した表情で告げた。
『わかるよな。ドンパチ起こしてもいいが、魔族を貶すことだけは、死に値するって。これ掟な』
「ああ、それは謝りますって。ほんならなに……ぼくの血肉、引っ張りだしてもかまへんよ」
しゅんとした顔を見せて、額を黒い大地につけた。
デュベルは静かに受け入れると、僕の腕を使って振り上げる。
僕は慌てて「ちょっと待って」と声を掛けた。
カタン。力が抜けたように、腕が軽くなる。
「しかたないって、僕も思うよ」
「……あんさんに何がわかるん」
「淋しい気持ちは、人一倍に感じてきたつもりだから。いつしか友達ができると、むしろ一人がいいだなんて気持ちが芽生えたけど。
やっぱり一人は寂しいよね」
「……なんや。あんさんは変わり者ですな。どうして憎たらしいぼくを宥めてくれるん」
「僕も、一人だったからね。淋しさから泣きじゃくるくらいに」
瞬間、ステルスが口ごもった。
もう、何も言うことはないようだ。
『あー、淋しいトークのとこ悪いが……改心するんだな?』
「もう、反論せえへん。男やからな。けど、配下には戻らへん」
ステルスはこくりと頷いて、自分の口で語る。
「キラキラは、やっぱり苦手や。戻りとうもない」
「いいよ……でも」僕はそう言い、腰をかがめてステルスの目線に合わせた。
彼もどきりと反応を示して、僕の目を見る。
「ピンチになったら、その時は助けに来てほしいな。凄腕の投擲兵として」
「――っ」
僕の精一杯の笑顔に、彼は体震わせて、口をつむいだ。
心なしか赤くなった頬には、サングラスの下から流れ落ちる一粒の淋しさの結晶が流れ落ちた――。
「ああ。必ず、あんさんの力になってみせる」
「ステルス、ありがとう」
「だからそれまで、死ぬんやない。死んだら、あんさんの骨をバキバキに……輪廻転生できんくらい食い倒してやるからな! 覚悟しときいや!」
「あはは。うん、心しておくよ」
やがて僕たちはステルスのもとを去った。
これで、彼のいたずらはおさまるはず。リナさんと笑いあいながら、デュベルを鞘に収めて腕の中に抱きながら、頑張る皆のところへと帰った。