六:アラクネ・パニック
「ぶもおおお! リナの飯はいつ食ってもうまいもー! ふんぐ、ふんぐ」
――食堂。
「にいい、食べ方が汚いにい! わっぷ……米粒を飛ばすなにい!」
ついつい食べる手が止まった。
昨日出会ったミノタウロスのカウオーズが、巨体を支えながら小さな丸椅子に座っていることも驚きだし、こうして仲良く食べている光景が不思議でたまらない。
昨日まではあんなに拒絶され、戦いまで繰り広げていたのに。
喜ばしきことなのだけど、違和感しか感じない。
――パリンッ!
――きやあああ!!
唐突に甲高い悲鳴が聞こえた。
何かが割れる音……? リナさんに何かあったんじゃあ!
しかしこの状況に対し、誰一人動かない。
クロエが呆れた様子で「またかに」と答えた。
「料理と掃除の腕はいいのににゃぁー」
「もー。食器ブレイカーのリナと呼ばれるだけあるもー」
カウオーズが口に頬張りながら告げた。
食器、ブレイカー……?
「あれ、でも。リナさんってヘプシオン家の才女なんだよね。メイドの腕に対して」
僕の何気ない質問は、デュベルに拾われた。
『あれ、言ってなかったっけか。他が酷すぎるんだよ。脳筋長女、おっとり次女、短気三女』
「たまたま適性者がリナさんだっただけ……だったんだね」
『そういうこと。もう三人とも、戦争に巻き込まれてこの世にいないけどな』
「ごめん……」
『なんでテメェが謝るんだよ』
無い鼻で笑うようにして、デュベルが言い放った。
なんとなく、謝らなければならない気がした。こうして普通の生活があるのに、どうして戦争なんて起こそうと思ったのだろう。
発端は、どこにあるのだろう。
考えてもわかるわけないんだけど。
そういえば、僕も……こうしてクラールと囲って食べたっけ。
懐かしいなぁ、もう随分の時が経ったみたいだ。実際はまだ一週間も経っていないのに。
「ん? フィルー、元気ないなー。そのご飯いらねーの?」
ひょいっ。机に身を乗り出し、陽気な声でエクスが僕のおかずを一つ取り上げた。
「にい! なんて教養がなってない魔王に!! フィルどのに返すに!」
「あはは、いいんだよ。クロエ、ありがとう」
僕の笑顔は、そんなに歪だったのだろうか。
カウオーズから、質問を投げられた。
「ぶも。本当に元気がないもー。ほーむしっくってやつかも?」
「ホーム……シック。あはは、そうかもね」
的確な問いに、僕はゆっくりと頷いた。
「僕もこういう暮らしがあったんだ」切り口にそう言って、皆に話し始めた。
*
「んーっ! さすが母さんのメシはうめえや! ――もぐもぐ」
「わぷ! もう、クラール! ご飯が飛んできてるよ!」
「あ、すまんすまん。つい」
実は、僕には親がいなかった。どうして人でいて、どうして生まれたのかもわからない。
ただ人だった。それだけだ。
ある日、道に迷って泣きじゃくっていたことがあった。
足が痛いし、歩き疲れるし、子どもながらに泣くことしかできなかった。
クラールとの出会いは、その時だったんだ。
泣きじゃくる僕に手を伸ばし、村長さんに紹介してくれて、ご飯までご馳走してくれて。
少なくとも一人暮らしが出来るようになるまでは、村長さんの家でお世話になった。
「じっちゃん! 知ってるか? 近所に誰も行ったことがない草原があるんだって! 今度、冒険に行ってくるよ!」
思えばクラールの好奇心は、小さい頃から何一つとして変わらなかった。
「クラール。あまり無茶をして怪我するんじゃないぞ。お前は英雄の子孫なんだからな」
「わあってるって!」
村長さんはよく、クラールに「英雄の子孫」だからと伝えていた。実際に資料をこの目で見たわけじゃないから確証はない。
けれどクラールも、自分が英雄の子孫だからと将来の夢を英雄にするほど、その憧れを抱いていた。
僕はこの他愛もない会話が大好きだった。無茶をするなという村長さんの声を、ありったけの元気で無視をする。そんなクラールが唯一の気兼ねない友人だった。
「なっ! フィルもそう思うだろ? まだ見ぬ大地、気になるよな! 行こうぜ!」
無理強いも、この頃からだった。
「フィルや。お供としてクラールのことをしっかりと護るんじゃぞ」
「なに言ってんだよ。か弱い姫は俺に護られるべきなんだからな!」
「ははは、そうじゃったな。なんせ、お前は立派な――」
*
「……ッ」
思い出して、頭を押さえた。
微笑ましい記憶が、歪んでいってる気がして。
――。なんだか、頭の奥がズキッと痛む。この、違和感はなに……?
「フィルどの!!」
「っ! あ……ごめん。話してた途中、寝てたかな」
「違うに。急に顔色を悪くして……」
「っははは、大丈夫。大丈夫だよ。ただの軽いホームシックで」
言いかけた途端、細い糸のようなものが僕の頬をくすぐった。甘い香りがほのかに漂う。
次に頭部に糸が巻き付いてくる。ねばっとしていて気持ち悪い。
追い打ちをかけるように、糸が顔の辺りを回転していく。突然の出来事に冷や汗が止まらない。
あれ……これは、一体。
頭が追い付いていない状況下の中、壁に立てかけられているデュベルが叫んだ。
『アラクネ!!』
顎を覆われながら、はっとして天井を見る。
そこには……黒を基調とし、黄色がほのかに彩るぷっくりとしたクモの下腹部。クモ独特の八本足……。
人型の上半身。しかし人間の腕という概念は存在せず、その八本足全てがクモだった。
クモは天井に張り付き逆さまになって、舐めるようにこちらを見ていた。
なんだか、この上なくおぞましい生物を見た気がする。
その女性は鋭利な腕を口元に当て、クスクスと笑う。
アラクネ……あれが。
『アラクネ、どういうつもりだ!』
デュベルの声を「え?」ととぼけた様子で返すアラクネ。彼女は「どうもこうも」を口にすると、小ばかにしたような笑みを浮かべた。
「人間のお方に興味があったのよ。ほらぁ、クモは少しずーつ、何が起こったのか理解する間もなく、獲物を絡めとるでしょう?」
じゅるり。舌なめずりが部屋の静寂に溶けていく。
「ふふふ……」
アラクネの妖艶な笑みに、クロエとカウオーズが唐突に立ち上がった。
椅子が蹴飛ばされるように転がされ、轟音を奏でる。
「目がハートになってるに……せっしゃ用事を思い出したに!」
「ぶも……我も素振りの続きを――」
カッ、アラクネの目がクロエとカウオーズにロックされた。
二人はまるで金縛りにあったかの如く、動けなくなる。
「に、にいい!」
「ぶ、ブモオオ!」
「私はね、用事があって来たのよー? ふふふ、自らぁ、出向いてあげたのー。ほめてー?」
舌を出して笑い始めたアラクネ。心なしか息も荒い。
怖い……怖すぎるよ……。
皆が恐怖を訴える中、デュベルが率先して声を掛けた。
『用事ってなんだよ』
「魔王の配下に、再びついてあげるう。面白そうだしっ」
『はあ? 率先して逃げたテメェがどの面下げて』
「あれはぁ、ぼっちゃんだけだと将来が不安じゃない? でも今はデュベルの使い手さんも現れたことだし、私も気分、わくわく! なんちゃってー」
つ、ついていけない。
アラクネのテンションについていけない……。
「そ、の、か、わ、りい」
『あぁ?』
「条件があるの。今回はぼっちゃんも強制参加だから、よろしくーきゃふふふっ」
独特の笑いを飛ばし、エクスを見つめる。
ペロペロ。こんな状況にもかかわらず、エクスは料理の皿を綺麗に舐めて……そうして一言、放った。
「えーやだよ。めんどいし。アラクネに関わるとロクな……」
「シャアアアァ」
「わっ!」
パリンッ!
連鎖的に食器が破壊されていく。あの巨大な体躯が、天井から降り立ったのだ。これにはリナさんも何事かと、駆けつけてきた。
「あ、アラクネ様!?」
「リナァ、あんたの躾が悪いんじゃなくて?」
「も、申し訳ありませ……ん?」
なぜ怒られているのかわからず、お辞儀しながら首をかしげる彼女。
なんだかとんでもない魔族と出会ってしまった。
「嫌だと言うのなら私は一生、魔界のためにならないわよ」
アラクネが細い足でエクスの鼻先をつつく。
しかし魔族に耐性があるのか、エクスは動じない。それどころか口を突き出して、文句を言おうとする始末。
「別に俺は……」
「魔王様!!」
リナさんは突然と大声を上げ、魔王エクスの頭をガッと掴む。
「アラクネ様、この通り! ぜひ魔王様にもお手伝いさせてくださいませ!」
「ぎゃああ!!」
ドン、ドン。額を机に打ちつける。魔王の威厳とはいったい、と考えさせられる場面だ。
「きゃふっ、素直でよろしい」
ペロリ、彼女の舌なめずりを見て、返事を締めた。
僕たちは……アラクネの考える「ゲーム」に挑戦することとなった――。