Lesson 1 化粧? 何それ? 美味しいの?
私が転生してから数日が経った。私の病状も回復し、私が憑依することになった元ローズマリーさんの記憶も思い出すことができた。どういう仕組みか知らないが、魂かなんかが融合してしまったのだろう。だけど、人格は私が自覚している限り、私だ。もしかしたら、私が長く生きていた分、私の人格の方が強かった、ということかも知れないなんて考えた。
そして、私がこのローズマリーに憑依した理由。どうやら、この世界での私も、庭の木の下に生えていたキノコを食って倒れたらしい。どこの世界にも同じようなことをする無茶な人はいるもんだなぁって一安心。
まぁ、どちらも前世、現世の私なんだけど——。
どうやら私は、ボルゴグラード伯爵の娘に転生したらしい。ローズマリー・フォン・ボルゴグラード、愛称はローゼ。それが私の名前で、現在12歳。
父親の名前は、レナード・フォン・ボルゴグラード。母親は、ソフィア・フォン・エカテリノダール。苗字らしきものが違うのはおそらく夫婦別姓だからだろう。そして、私にはやはり弟がいた。2歳年下のレオナルド・フォン・ボルゴグラード・エカテリノダール、愛称はレオ。何故か弟は、両親の姓を両方受け継いでいる。私は、父親の姓だけ。その仕組みは良く分からないけど、まぁ私の知ったこっちゃーない。
1つだけ言えることは、貴族の家に生まれた私は勝ち組ってこと。優しい両親と可愛い弟。屋敷では多くの召使いを召し抱えているというお金持ちっぷり。
ベッドから出ることが許されて、家の中を動き回る。家と言っても、とても大きく屋敷って感じの洋館だ。部屋の数は1階2階合わせて、20以上ある。
部屋を1つ1つ探すが、有るべきものが無い。お母様、ソフィアさんの部屋の鏡付きの化粧台のような家具の抽斗をあけても、それは見つからない。
抽斗の中には、売ったら一生遊んで暮らせそうな高価そうな宝石のネックレスや、細かい装飾の施された金銀のアクセサリーがあるだけ。
あれ? 化粧道具が無い。綺麗なドレスも衣装室には数え切れないほどある。着飾るアクセサリーも山の様にある。だけど……化粧道具は……?
家族で一緒に食べる朝食。お父様は、お城仕えの国家の重鎮。現在風に言えば、高級官僚。
『Viva 公務員、Viva 安定! 一家の没落の気配なんて無し! この国の由緒正しき貴族として、末代までこのボルゴグラード家は栄え続けることでしょう! 』
私は、数日の捜索空しく化粧道具が発見できないことに焦りを憶え、家族団らんの場で、直接聞いてみることにした。
「ねぇ。お母様。舞踏会に行くときは、化粧をされないのですか?」
『赤ワインでじっくりと夜通し煮込まれた牛の頬肉。口に入れた瞬間、トロトロに融けていく。うめぇー。そのまま食べても美味しいけれど、それを新鮮なレタスに包んで食べても旨い。輪切りにされたフランスパン的なものに乗っけて食べても旨い。朝からこんな贅沢な料理が出るなんて、最高だわ。肉なんて、インスタントラーメンに付いていたチャーシューを食べて以来だわ』
「化粧? それは何かしら?」とお母様のソフィアさんは首を傾げている。
『え? マジですか?』
「ローゼ。その化粧というのは、なんなんだい?」とお父様が優しく問いかける。
「女性を美しく引き立てるために顔に、唇に紅をさしたりすることですわ」と私は答える。
「唇に紅?」とキョトンとするお母様。
『しまった。白粉って言った方が分かりやすかったかな?』
「こらこら。まだ、この前のことに懲りていないな? 庭に生えているキノコや花。あれは食べるものじゃない。口に入れたら毒の物もあるんだよ。もう絶対にあんなことはしちゃいけないよ」とお父様は少し咎めるような口調で言う。
どうやら、また庭に生えている紅花を食べるつもりだと、お父様は勘違いをしたようだ。
「分かりました」と私は言う。
「良い子だね。私の可愛いローゼは」と今度は優しい顔でお父様は言う。
『化粧が無いってどういうこと〜〜〜。言葉は不自由なく通じてるのに、『化粧』が通じないってどういうこと!!』
「パソコン、新幹線、スマホ、携帯、テレビ、ラジオ」と私は、前世の言葉を喋る。
「お姉様? 何を喋っているの? 外国語?」とレオが不思議そうな顔をしている。
そうか……。この現世に存在していない物は、言葉として通じないらしい。化粧という概念が無いのかも知れない。
「あなた。もう少し、学校をお休みさせた方がいいのじゃないかしら?」と私を心配そうに見つめるお母様。
「そうだね。今日も休ませたほうが良いかも知れないね」とお父様もそれに同意する。
『え? 学校? いま、学校と仰いました? 私、学生だったんだ。私はてっきり、自分は深窓の令嬢兼、自宅警備兵だと思っておりましたわ』
私はお父様から自宅安静を言い渡される。このまま、自宅警備兵に永久任命してくださっても良かったのに……。
何もすることが無いので、とりあえず寝ていたら、ノックの音。
「ローズマリーお嬢様。お昼をお持ちしました」と私専属のメイド、メアリーの声がする。私が意識不明の状態から目覚めた時に、家族を呼びに慌てて出て行ったあの女性だ。
「ありがとう」と言って、私は部屋の中にあるテーブルに移動する。
「お礼など結構でございますよ。なんだか、あの病気以来、ローズマリー様はお人が変わったような、素晴らしいご令嬢になられましたね」なんてメアリーは言って、私に給仕してくれる。
『え? 人格が変わったことばれてる?』
「ねぇ、メアリー。病気をする前の私って、貴女から見てどうだったのかしら?」と私は聞く。
「とても我が儘で可愛らしいお嬢様でございましたよ。今は、聞き分けの良い可愛いお嬢様でいらっしゃいますが」とメアリーは言う。
どうやら、以前の私は我が儘だったらしい。
「ど、どんな風に我が儘だったかしら?」と私は、昼食のシチューに入った人参やジャガイモを食べながら言う。
「例えば…… 嫌いな人参が入っていたら、『どうして人参が入っているのよ!』と、皿をひっくり返し、私を鞭打っておりました……」と遠い目で見るメアリー。
『え? 鞭? それって酷くね?』
思わず、口の中のシチューを吐きだしてしまいそうなくらい驚いた。
「それは申し訳なかったわ。アイラインとアイブロウの違いも分からないような、未熟な私だったわ」と私は謝る。
キョトンとしているメアリー。
「あ、ごめんなさい。右も左も分からないような、未熟な私だったわ」と私は言い直す。
「いえ。とんでもございません。ローズマリー様のご成長された姿を間近で見ることができて、誠に光栄の至りでございます。私の息子など、30歳になってもまだ子供のようでございます。それなのに、ローズマリー様はもう12歳で分別を弁えていらっしゃる。さすが、レナード様とソフィア様のご子息でございます」とメアリーは言う。
「子供が30歳? 」と私は驚く。メアリーは、どう見ても20歳前半という外見だ。お母様と同じ年齢くらいだと思っていた。え? 30歳の子供がいるってことは、40歳代、もしくは50歳代?
「ええ。私が17歳で生んだ息子でございますよ? 大工をしております」とメアリーは平然と言う。
『えっと、メアリーって47歳なの?』と私は尋ねる。
「そうでございますよ?」
「嘘だぁ」と私は思わず言った。どう見ても、20代前半じゃないの。47歳だとしたら、相当な美魔女だ。いや、詐欺でしょ。それに、化粧をしてないスッピンで、その肌年齢。この世界は、化粧はないけど、相当なスキンケア技術が発達しているのだろうか? だが、スキンケア用品もお母様の部屋はおろか、屋敷中探しても見かけなかった……。
「本当でございますよ?」
「どうしてそんなに若々しいの? 不老不死の薬か、魔法でもこの世界にはあるの?」と私は言う。なんだ? この世界は、ファンタジーの世界なのか? 人間かと思っていたけど、実はエルフっていうオチ? それなら、屋敷で働いている女性含めて、この屋敷全員が超絶な美人であるという理由にはなるだろうけど。
「そんなおとぎ話を信じていらっしゃるなんて」と笑い出すメアリー。いや、メアリー改め美魔女。50歳間近のくせに、スッピンでどう見ても20代前半という外見。本物の魔女なの??
私が信じられない目でメアリーを見ていると、「ダーウェン博士の進化論でございますよ?」とメアリーは言う。
「何それ?」と私が聞くと、「たしか図書室にあったと思います。探して参りますので、少々お待ちください」と言って、メアリーは部屋から出て行った。
そして、私が昼食を平らげたころ、メアリーは1冊の本を持って戻って来た。そして、本を開き、読み始める。
「『我々人類は、鼠に代表されるような多産動物ではない。1度の出産で産まれる子供の数は1人。希に2人という程度だ。それに1人産むまでに、十月十日という長い歳月を要する。これは、子孫を残すという生物学上のデメリットと言う他無い。適者生存の法則に従えば、我々はその生き残り競争において早々と負けて絶滅する運命にあっただろう。しかし、我々人類の祖先は、驚くべき進化を遂げた。それは、生殖可能な年齢を長く維持するという進化である。他の動物は、人間の寿命に当てはめると、20代を過ぎると老化の傾向が現れはじめる。しかし、人類は、60歳を過ぎるまでは老化は進行せず、20代のような外観とそして旺盛な生殖能力を維持し続け、60歳を越えると急激な老化を迎えるのという特性を人類は手に入れたのである。これによって、人類は生存競争に生き残ってきたのである』ということでございます」と本を読み上げたメアリーは平然と言う。
『『ということでございます』じゃないでしょうが。何!? そのどっかの戦闘民族みたいな設定は!! 満月を見たら危ないんじゃないの!?』
「無学な私は、これ以上の説明は出来ません。それに、もう少ししたらローズマリー様も学校で詳しく学ばれると思いますよ。楽しみですね。ですから、明日は学校に登校できるように、今日はゆっくりと養生されてくださいね」とメアリーは言って、食事を終えた私をベッドに行くように促す。
私は、ベッドに横になりながら考えた……。なるほど、この世界は、美男美女しか存在しない世界であろう。確証は無いが、家族を含めて、屋敷に働いている人を見ても美男美女ばかりだ。別の言い方をすれば、スッピンでも十二分に美しい女性しか存在していない。
そして、例のダーウェン博士の進化論……。60歳位になるまで、老化というものが存在しない。つまり、60歳を迎えるまでは、若さを保ち続けることができる世界。若さ全盛期が長い。戦える年齢が長いってことであろう……。まるで、サ○ヤ人……。
皺が増えてそれを隠すための化粧なんてものも不要だ。若作り、なんて言葉も無いのかも知れない……。
こりゃぁ、「化粧」という考えが産まれなかった訳だ……。