008 闇夜の星
「お~い。こっちエール5杯頼みますぞ~」
「おいおい、飲み過ぎじゃねえか?」
「飲まないとやってらんないでござるよ。くそったれ」
ウオノメはスバルが働く酒場に来て酒を呷っていた。ヴォルフに客間に通された後、洞窟の変化やグレートコボルトについて根掘り葉掘り質問された。その情報の謝礼と、不備のお詫びとして大金をもらったので、その金で亡くなった仲間への供養として酒を飲み交わすことになったのだった。
「お待たせしました」
ウェイター姿のケイゴが仏頂面でエールを持ってきた。
「ケイゴ殿。こっちは客ですぞぉ? もっと愛想を振りまいたらどうです?」
「すみません」
「スバル姫はなんでいないんですかなぁ?」
「俺もわかりません。無断欠勤です」
「つまんない返答でござるなぁ。スバル姫に癒されに来てるようなものなのに、これじゃ酒が不味くなりますぞ」
「失礼しました」
ケイゴはスッとテーブルから離れた。ウオノメは赤くなった顔をくしゃくしゃにする。
「本当に面白く無いでござる。さて、気を取り直して我らが同胞に献杯しましょうぞ」
「みんな、もったか?」「おう」「あ、お前まだ飲むなよ」「あ、やべ、つい」
「よし、それでは故人をしのびまして。献杯」
顔の近くまで上げたジョッキを黙って飲み干す面々。ゴッゴッゴッ。乾いた喉にエールビールが染みわたる。
「かーっ! うめえな! わりいなウオノメ~。本当に奢ってくれんのか?」
「男に二言はござらん……今日は拙者が勘定を持つでござるッ! 好きなだけ飲むで候!」
「ひゅー!」「ウオノメさん素敵ー!」
「しかしあいつ、良い奴だったよなぁ……太ももフェチの変態だったけどさ」
「そうだよな。あいつ姫の太ももの良さについての話ばかりしてたもんなぁ……」
「しかし災難だったなぁ。他人の女に入れ込んで死ぬなんてさぁ」
「他人の女って?」
「おれ、知ってんだぜ。スバルちゃんって、酒場の一室であの無愛想なウェイターと同棲してるんだってよ」
「……なんですと?」
「くっそ、あんな可愛い子とあれこれしてんだろうなぁ。美味しい思いしやがって。異世界に来ても、イケメンは爆発してほしいよなぁ」
「それ、本当なんでござるか!?」
「ああ、とあるファンが酒場前でスバルちゃんの出待ちしてたのに、一向に出てこなかったんだってさ。その後も張り込み調査してわかったらしいぜ。ってかこれ完璧ストーカーだよな?」
「嘘だっ!! 姫は、そんな子じゃないッ!」
「な、なんだよ。つーか『ござる』忘れてるぞ」
「……そんなわけない、でござる。姫はとても優しくて、別け隔てなく愛してくれる、天使みたいな子だっ! 確認してくるッ!」
ウオノメは立ち上がり所々ぶつかりながら店外に飛び出していった。
「ウオノメっ!」「待てよっ!」
いつもの仲間2人も慌てて駆け出す。
「おいおい、勘定お前が持ってくれるんじゃねえのかよっ!?」
取り残された酒飲み仲間の2人は呆気にとられた。
「うーん。こりゃやべえかもしんねえな」「どうすっか? 手持ちねえぞ」
「お客様、どうしましたか」
ケイゴが騒ぎを聞きつけて来た。彼の顔の表情は氷のように固まっており、嘘は通用しそうにない。
「あらら……こりゃ話さないと俺らが怒られそうな感じだね……」「……だな」
酒飲み仲間達は、仲間を売るか、無銭飲食の罪に問われるか、急遽二択を選ばされることになった。
◆ ◆ ◆
「う~無断欠勤しちゃったよ~。ますます会いづらい。どうしよう……」
スバルは酒場から離れた路地裏にて身を隠しつつ、店の灯りを確認して悩んでいた。もう営業時間になっているのに、どうしても店内に入ってケイゴと顔を合わせる勇気が出ない。そもそもケイゴに怒鳴られるなんて経験は長年一緒にいてほとんどなかった。いつもケイゴは優しくしてくれていたので、怒られたら何をどうすればいいのか見当もつかない。スバルは自身を鼓舞するように独り言をつぶやき始めた。
「勇気だ……勇気を出すんだスバル。やれば出来る子って、散々言われてきただろ? そう! 今がそのやる時なんだ! よーし! 今日は他の宿を探そう!」
スバルはコソコソと路地裏を通って酒場と反対方向の宿に向かい始める。
「うう……やっぱりケイゴ怖い……今日は分が悪いよ……マスターごめんなさい……」
「そこの人!」
「ひゃい?!」
スバルはいきなり呼びかけられてびっくりした。魔法灯は数が少なく、路地裏は薄暗い。更に酒場付近には人が住む家屋はない。酒を飲んで馬鹿騒ぎする声が夜の騒音になって住民との摩擦が起きるからだ。人の気配がない路地裏で、不審者に出くわしたらどうしよう――声を掛けられてから初めて危険な状況だと気づいて怖くなった。誰か確認しようと声の方を見やり目を凝らす。するとウオノメがこちらに足をもたつかせながら走ってきていた。ホッと胸を撫で下ろすスバル。
「ああ、なんだ良かった。ウオノメさんでしたか。具合は大丈夫ですか?」
「はぁっはぁっ、スバル姫、どうしてこんなところに? 今日は酒場の仕事はなかったでござるか?」
「う。確かにあるんですけど、ケイゴと喧嘩しちゃって。今あいつと会いたくないんですよ」
「喧嘩って、買い物の時の事でござるか?」
「はい、ケイゴと喧嘩したことほとんどなくて。なんて話しかければいいか怖いんです」
「怖い、でござるか……」
「はい……」
「そんなに、あの男が特別なんでござるか?」
「と、特別? うーん。そう、なのかも。小さい頃から一緒で、臆病な僕をいつも助けてくれましたから」
「……それは、好きって事でござるか?」
「え? 嫌だな、好きとかそういうのじゃないですよ」
「す、好きでもない男と……同棲しているでござるかッ!?」
「どっ同棲!? それどこで聞いたんですか?」
「ハハハ、どこで聞いたのかは問題ではござらぬよッ!! 今までなんで隠してきたんでござるかッ!?」
「ど、どうしたんですか。落ち着いてください」
「落ち着けないでござるよッ!! 友達が死んで、憧れてた女の子が他の男と寝てたなんてッ!!」
「誤解ですっ!」
「五月蝿いッ! 言い訳なんて聞きたくないッ!! 空創獣を殺して、殺伐とした心もお前と会ってごまかしてきた! お前の為に、金もつぎ込んできた!! そのお前にも裏切られたら、これ以上、この狂った世界で生きていられないんだよォ!!」
「違うんです! 最初から言ってるじゃないですか! 僕は元々男なんですよ!」
「ここまで来て、言えることは嘘だけかッ!? そんなに言うなら確かめてやるよッ!! 〈低位召喚〉!」
ウオノメがスキルを唱えると、突如魔法陣が空中に展開、目玉が一つ入った大きなゲル状の液体がドチャッと音を立てて地面に落ちた。緩慢とした動きと液体の中で蠢く目玉が気味の悪い空創獣だった。
「ひっなんですかこれ?!」
「メルトスライム……〈命令〉、捉えろ!」
スライムは一瞬蒼く光ると、液状の身体を大きく広げてスバルを一瞬で飲み込んだ。
「ぐっ……!」
スバルはスライムが自身の中に入らないように目と口をつぐむ。身体をばたつかせ脱出しようとするが、抜け出せない。音もくぐもって聞こえないし、視界も遮られているので状況が掴めない。次第に身体がピリピリと痛み始めた。焼けるような痛みが全身を襲う。するとスライムが顔の周りを外に出してくれた。スバルは息を必死に吸い込み目を開ける。ウオノメとその仲間2人が話し合っているようだった。
「ウオノメさんっ……なんでこんなことするんですかっ!? お二人も、お願いです! ウオノメさんを止めてください!」
振り返ったウオノメの仲間達は暗く淀んでいた。彼らは汚らしいものを見るような目つきでスバルを見下ろす。
「騙してたのかよ……」「はは、俺ら道化だな……あいつは何のために死んだんだ」
二人から放たれた嫌悪の言葉がスバルの胸に突き刺さる。
「そんなっ、そんな、誤解ですっ!! 僕の話を聞いてくださいっ!!」
「お主の話なんか信用しないでござるよ。それより、自分の身体を確認してみては?」
スバルが自分の身体を見ると、衣装が破け溶けつつあった。肌色が少し覗いていた胸元を急いで隠す。
「やだっ! 何ですかこれっ?!」
「メルトスライムはゲル状の身体で動物を捉え、消化液でじわじわと食べるのでござるよ」
ウオノメはじっとりとなめ回すようにスバルの肢体を観察する。その目つきが恐ろしくてスバルは背筋を震わせた。
「み、見ないでくださいっ!」
「ふん。元男なら裸でも恥ずかしくないでござろう?」
「そういう問題じゃないですっ! お願いだから離してくださいっ!!」
「喚くな!」
ウオノメはスバルの顔を殴りつけた。
「うっ……」
「ふむ。これで丁度いいですな。〈帰還〉」
スライムの上に魔法陣が展開され、陣が降りると共にスライムは消えていった。地面に落ちるスバル。
「スバル殿は収穫以後のLPの仕様を知っているでござるか?」
「ごほっげほっ……知らないです……」
「自分のLPゲージを確認してくだされ」
スバルは視界の隅にある自分のLPゲージを見てみる。いつもは緑色で埋まっているゲージが、全て無くなり空になっていた。
「えっ……!? 僕、死んで……?!」
「どうやら、LPは身体を自動修復するゲージらしいんですな。これがギリギリ尽きても死にはしない。ただ、5分間そのゲージは回復薬や回復魔法を使っても増えないし、メニュー画面やスキルも使えなくなるでござる。新しい形の一時戦闘不能ですな」
「それって――」
「LPが尽きた姫は5分間、いつでも殺せる無防備な状態になっているということです」
ウオノメは短剣を取り出してスバルの首元すれすれに突きつけた。
「元男というなら、身体を弄んでも恥ずかしくないでしょう?」
スバルの全身にぶわっと鳥肌が立った。
「嫌だ……嫌……! 助けて、誰か、誰か助け――」
ウオノメは取り乱し叫ぶスバルの口を手で覆い、肩に短剣をなぞらせる。なぞった後が切れてプツッと血が滲んできた。
「いいですか、次騒げば、刺すでござるよ……! それに、減るものじゃないでしょう。どうせあいつに食われているんですからな。おい、腕を抑えてくれ」
「お願い、やめてください……」
ウオノメの仲間2人はスバルの腕を取って羽交い締めにした。その目はスバルの柔肌に注がれている。ウオノメが荒く呼吸しながらスバルの服を取り除き始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……許して、ください……」
スバルの身体は身体の芯が凍てついたかのように節々が震えて動かない。赤ら顔で自分の服を脱がすウオノメが怖くておぞましく、見たくない現実から逃げるためにスバルはぎゅっと目を閉じた。
自分の身体を弄り撫ぜる手の汗が、毒のように身体に擦り込まれ身体を凍えさせる。荒い呼吸の音と酒臭い匂いが目を閉じても迫ってくる。
死にたくない。死にたくない。生きて帰れるか。我慢してればいいのか。早く終わってほしい。これは違う。そう、これは僕の身体じゃないんだ。そうだ。これは僕の身体じゃない。所詮借り物のカラダ――――なんて思えるはずない! 嫌だ! 怖い! 嫌だ!! 助けて、助けて、ケイゴ、助けてよ、いつも、助けてくれたじゃないか、お願い、ケイゴ、僕を助けて、
「助けて! ケイゴぉ!!」
スバルは目から大粒の涙を溢しながら悲痛な叫び声をあげた。ウオノメは焦って腹を殴る。
「黙ってろ!! 減るもんじゃねえだろ! こっちはお前に騙され貢がされ、人が死んでんだ!!清純ぶった売女が、抵抗してんじゃねえ!!」
スバルは蹴られる。
「ふふっ、あいつは来ないよ!! 大体あいつが来て何になるでござる? たかがレベル1の男一人で、拙者達に敵うわけないだろ!!」
「――お客さま、お勘定は払っていただかないと困りますね」
瞼の裏の暗闇の中で、スバルは確かにその低い声を聞いた。目を開けて声の方を見る。路地裏の入り口には、魔法灯の光を背中から浴びて立つケイゴがいた。
「ケイゴ……!」
「…………これは失敬。忘れていたでござる。後で払いに行きますよ」
「ハハ。うちの大事な店員に手を出すクズ共が信用に値するとでも? 今この場でツケを払ってください」
スバルが見えたのはケイゴの顔の輪郭のみで表情はわからない。ケイゴの言葉はいつも通りの皮肉めいた言い回しだったが、その重く低い声には抑えきれない怒気が漏れ出ていた。
ケイゴはメニュー画面を開き装備を変える。重い鎧が身体を覆い、手に長剣を携えた。ウオノメはのっそりと立ち上がる。
「相変わらず愛想のない店員ですな。拙者、その綺麗な顔面をぐちゃぐちゃに潰してやりたい気分でござるよ」
「……やってみろよ。死ぬ覚悟が出来てるならな。〈迎撃用意〉」
ケイゴがスキルを唱えて石壁に手を叩きつける。石壁がうにょんとうねり路地裏の通路を幾重にも遮るようにせり出た。護衛士のスキル〈迎撃用意〉は戦闘環境を自身の思うように形成するための魔法だった。
「あいつのレベルはたったの1だ! ということはスキルを修得するためのポイントも1だけ! こんな攻撃に向かないスキル一つだけしか使えない雑魚、拙者達3人なら楽勝ですなぁ! それじゃお前らは前衛を頼むでござる!」
後衛職の召喚師であるウオノメは直接攻撃に向かない。そのためウオノメは前衛職である友人の軽戦士と重戦士に前衛を任せ、自身はスバルを拘束する役に回った。仲間二人はケイゴの方へ通路を進んでいく。
「さ、拙者達はケイゴ殿の悲鳴を聞きながら楽しみましょうぞ」
「……そんなこと、あるもんか!」
ウオノメの顔につばを吐くスバル。ケイゴが傍に来てくれている。小さい時から積み重ねてきたケイゴへの信頼が、スバルに勇気を振り絞らせた。
「……ふふふ。それでこそ姫。生娘を演じてくれるとは、実にありがたいですな。その身体で抵抗出来るなら、どうぞしてみてくだされ」
ウオノメはスバルに馬乗りになって殴りつける。しかしスバルは痛みで目を細めても、相対する敵の顔から目を逸しはしなかった。
その頃軽戦士と重戦士は壁が形成され奥が見えない道を進んでいた。
「〈天壁突破〉!」
ドゴォン! 重戦士が黄色の光を纏った剣を壁に振るうと、石壁に亀裂が走り粉々になった。重戦士は形成された石壁を念のために建造物破壊スキルで壊して進んでいた。
一方軽戦士は重戦士を残して先へと進んでいた。初期装備のレベル1なら簡単にねじ伏せる自信があったからだ。形成された壁に身体をつけて壁の向こう側を覗く。誰もいない。突如、軽戦士の腹部に冷たく硬い感触が走った。
「……あ? っがぁあああ!!」
軽戦士は後ろに倒れた。彼の腹部は横に避け血が大量に出ていた。よく見ると壁には横に細長い隙間が作られており、赤黒く染まった長剣の刀身がそこから出ていた。ギィンッと刀身が石と擦れる音と共に引込む。
『どうした!?』『LPが削れてるぞ! 状況を話すでござる!』
軽戦士はパーティチャットに状況を話そうとするも、壁の向こう側からケイゴが現れた。先程つけた鎧はつけていない。ケイゴは動く際の金属が擦れる音を嫌って外していたのだった。
「背中を預ける相手は選んだ方がいいぞ」
「ひっ、〈絶電〉っ」
軽戦士の剣が電撃を帯びる。しかしケイゴは間合いを一瞬で詰め、剣を持つ腕を貫いて剣を落とさせた。カランッ。落ちた剣からは電撃が消えた。ケイゴはそれを蹴って手が届かないようにし、倒れた軽戦士の鎧を避けて何度も肉体を斬りつけた。
「やめッ、助けッ、がァッ! いでええええッッッ!!」『おい! もうすぐ着くぞ!』
瞬時にその傷口は塞がっていく。しかし同時に治癒した分のLPゲージは減っていき、治癒途中でゲージが尽きた。血だらけで震える軽戦士。それを見下ろすケイゴの顔は微動だにしなかったが、据わった瞳には業火の如き怒りを内包させていた。
「ひ、ひぃいい……! イカれてるッ……!」
軽戦士は間近に迫る死の恐怖から腰が抜けて動けない。ケイゴは足音が近づくのを聞いて、鎧を装備しなおした。
「〈鎌鼬〉!」
風の斬撃が飛んできた。それをケイゴは横に跳ねて避ける。重戦士がようやく到着しケイゴと軽戦士の間に割って入った。
「大丈夫か!?」
「遅すぎだッ! こいつヤバイぞッ! 俺はごめんだッ!」
軽戦士はよろめきながら全速力で後方に逃げた。走る度に燃えるような激痛が節々にはしるが恐怖がそれを鈍らせる。
「おい、何があったでござるか……?」
スバルの上に乗るウオノメが話しかけるが、それも聞こえていないのか血だらけの軽戦士は走り去った。パーティチャットで会話を聞いていたウオノメはケイゴが十分な驚異だと考えを改めた。
「仕方ないでござるか……〈中位召喚〉!」
空中に先程より大きい魔法陣が展開され、そこから白くヌメリのある触手が十本出てきた。触手の大きな吸盤が壁に吸い付く。頭部は長く、大きな眼球がギョロギョロと動く。クラーケンと呼ばれる巨大イカの空創獣が現れた。ウオノメは召喚で失ったMPを補給するために魔素注射器を腕に打ち込む。召喚は出現させる時だけでなく、指示をし、それを維持するのにもMPを消費するためだった。
「〈命令〉、重戦士と連携し、護衛士を捕らえてLPを削りきれ」
クラーケンは一瞬蒼く発光する。ウオノメが放つ命令魔法のエフェクトだった。クラーケンは建物の壁を吸盤を使って音もなく上に登っていき、ケイゴの形成した壁より更に上方にたどり着く。眼下ではケイゴと重戦士が一進一退の攻防を続けていた。クラーケンは壁を触手で蹴りケイゴ目掛けて飛び降りる。落ちる直前に路地裏の両端壁面に触手を二本伸ばして勢いを殺し、残りの八本でケイゴに襲いかかった。ケイゴは上空からの攻撃に不意を突かれ、触手に四肢を締めあげられ捕らえられた。
「くっ、何だこいつは!?」
「はぁっはぁっ、ウオノメが間に合ったか……まさか、こいつを召喚するほど手こずるとはな……」
重戦士は自身のゲージを確認して戦慄する。LPが九割方削られており、もう少しで無防備になるところだった。急いで回復注射器を摂る。にわかには信じがたいことだった。重戦士はレベル上げで身体の頑丈さに補正がかかっており、防具もしっかり買い揃えていた。ケイゴは初期装備な上、たったのレベル1。ケイゴの類まれな動体視力と反射神経がこれを可能にしていた。敵の攻撃を極力避け、避けきれない攻撃には自身の鎧の頑丈な部分に当てさせる。重戦士はその戦闘センスに嫉妬すら覚えていた。
「散々斬りつけてくれやがって……!」
重戦士は捕らえられたケイゴの生身の部分に剣を突き立てる。
「ぐッ……!」
更に傷口を広げるようにグリグリと剣を捻る。
「があッ……うッ……!!」
ケイゴは自身のLPを視界の隅で確認する。抉られる度に傷口が燃えるように痛み、ゲージが削られていく。腕や足を動かそうとするも、クラーケンの触手に締めつけられ動かせないうえ、鬱血して四肢が痺れてきた。現状を打開する策はないか激痛に耐えながら必死に考えるケイゴ。そこにウオノメがスバルを連れて現れた。
「ケイゴ!」
「ス……バル……!」
スバルはウオノメの手を振りほどきケイゴの元へ走り寄る。クラーケンの触手を剥がそうと必死に引っ張るがびくともしなかった。
「無駄ですぞ。クラーケン!」
クラーケンはケイゴを拘束するのに余らせていた触手を、スバルに伸ばして締め上げる。
「ぐぅっ……くそっ……!」
「ふふふ。ケイゴ殿、言い様ですな。このまま絞め殺すのは簡単ですが、最後は拙者が介錯してやるでござるよ」
ウオノメは短剣を取り出し、ケイゴの脇腹に何度も刃物を突き立てる。いつの間にかケイゴのLPは尽きていた。
「はぁっはぁっ……ふふふ……ケイゴ殿、これ以後貴殿はいつでも殺せる状態になったわけですな。スバル殿を諦めて逃げ出すと命乞いすれば、助けてやってもいいですぞぉ?」
「…………すみませんでした。命だけは助けてください」
「ふふ、意外と素直ですな。拙者、お主の土下座が見たくなったでござるよ。もちろんしてくれますな?」
「……はい」
ウオノメがクラーケンに手で合図を送る。四肢の拘束を解き、崩れ落ちるケイゴ。身体を弛緩させて倒れるケイゴの頭をウオノメが蹴る。
「倒れてないでさっさと土下座をするでござる!」
「……はい」
ケイゴは満身創痍と言った風体で土下座の姿勢をとる。その頭にウオノメは足を乗せグリグリと地面に押し付けた。
「ぶははははッ!! 愉快痛快でござるなぁ! 姫に情けない姿を見られながら死ぬといいですぞっ!」
ケイゴを刺し殺そうとウオノメは短剣を振りかぶる。
「ケイゴ避けてっ!」
ケイゴは自身の頭に乗ったウオノメの足を掴んで引っ張り、体勢を崩させた。
「ぬおっ!?」
「動くなぁ!」
襲いかかろうとする重戦士の目に、ケイゴは倒れた際拾った石ころを投げつけた。
「がッ……!」
重戦士が怯んだ隙にウオノメに覆いかぶさり、その胸を短剣で突き、えぐり、刺した。
「くっ卑怯者ォッ!」
「ハッ! プライドで、人を守れるかよッ……!」
「がっぐっ……クラー、ケ……!」
宙で待機していたクラーケンがぬるりと降りてきた。触手をケイゴ目掛けて横に薙ぐ。ケイゴはすぐに気づき、体勢を立て直そうとする。しかし身体が思うように動かず、ふっ飛ばされた。
「がはッ!」
ケイゴは背中から壁に激突した。鎧では逃しきれなかった衝撃がボロボロの身体に重く響く。余りの衝撃に意識が遠のきそうになったその時。
「ケイゴォ! もういいよ! もういいから、早く逃げてッ!」
スバルの声が聞こえた。まだ、倒れるわけにはいかない――唇に歯を立て噛み締める。じわりと滲む血の味と痛みが遠のいた意識を戻していく。ケイゴは剣を杖代わりに無理矢理身体を起こし、スバルを助ける方法を思索し始めた。満身創痍の身体では、敵の攻撃を視覚で捉えていても身体の動きが追いつかず避けきれない。横に薙ぐ触手の一撃は上にも横にも避け難い。それなら、下しか無い。残りのMPを確認しつつスバルに呼びかけた。
「スバル! 俺は逃げない! これから、イカ野郎の意識を逸らす! 拘束が緩んだら全力で逃げろ! 〈迎撃用意〉!」
手を地面に叩きつけるとクラーケンとケイゴを結ぶ直線上の石畳がみるみる陥没していく。異常に気づいたクラーケンが触手を横に広げて構え、ケイゴ目掛けて薙ぐ。ケイゴは自身の身長以上に陥没した溝に入り、走り始めた。石畳スレスレをクラーケンの触手が薙ぐ風切り音を耳で確認しつつ全力で走る。振る腕や着込んだ鎧は狭い溝の壁をかすめぶつかる。クラーケンは触手を上に伸ばし、溝に叩きつけた。ゴォオン! しかし触手は溝に入りきらない。ケイゴは触手の攻撃が自分に届く不安を拭い去り、無我夢中で走っていた。クラーケンが降ろした触手を上げた瞬間、ケイゴは溝から這い出て、クラーケンの巨大な双眸に長剣を振るった。
「キュロロロロ!!」
眼球からは硝子体と言われるゼリー状の透明な液体がどろりと溢れだし、クラーケンの甲高い悲鳴が木霊した。クラーケンの触手が緩まり、スバルの身体がずり落ちる。ケイゴは宙に放り出されたスバルを両腕で受け止め、クラーケンから離れるように、抱きかかえながら走りだした。
「ハハ、わるい……遅くなった」
呼吸を荒げながらも、事も無げな言葉回しを使うケイゴ。しかしその身体はどう見てもボロボロで、腹部の裂傷からは血が止まらない。スバルはケイゴの腕の中で涙ぐみ、ギュッと抱きしめ返した。
「キュイィイイイイ!!」
激痛と怒りで暴れだしたクラーケンは触手を石壁や石畳をデタラメに叩きつけた。ケイゴが最初に作った〈迎撃用意〉の壁がガラガラと音を立てて砕かれていく。
「お、落ち着け、クラーケン! 〈命令〉、〈命令〉! な、MPが切れて――」
衝撃がウオノメの身体を打つ。暴れるクラーケンの触手にふっ飛ばされて石壁に叩きつけられた。
重戦士がようやく治った目を開くとクラーケンが触手を伸ばしてきていた。
「なっ、相手は俺じゃないぞォ! うぉ!?」
触手は重戦士を掴みクラーケンの触手の根本に近づけられた。長い頭を傾けるとそこには鳥の嘴のような鋭利な二つの顎板があった。
「ま、まさか……やめろ、やめろぉぉおおおお!!」
顎板で重戦士の胴体を噛むと鎧をバキバキと砕きながら食べ始めた。
「や、やめるでござる! そいつはケイゴ殿ではござらん! 〈帰還〉! くそ、魔素注射器を使わねば帰すことも……!」
急いでメニュー画面を開こうとするが、反応しない。先程のクラーケンの攻撃で打った肉や折れた骨を治すのにウオノメのLPは尽きていたのだった。
「ウオノメッ、た、助けてくれッ、あ、あああああッッッ!!」
「むり、無理でござる……拙者は一時戦闘不能でござるよ……!」
「助けッいたいぃい、あああ、あ……」
「これは、違うでござる……ぜ、全部あいつのせい、ケイゴのせいでして……」
ボリボリと人体を咀嚼する音がしばらく響くのをウオノメは呆然として聞いている。クラーケンは重戦士を食べ終えるとまた暴れだした。
「キュオオオオオオ!」
〈迎撃用意〉の壁と路地壁の隅でケイゴとスバルは身を潜めていた。ケイゴは身体中を襲う激痛と、失った血液による寒さと目眩に苛まれていた。スバルは一時戦闘不能の制限時間を終え、メニューのアイテム欄から回復注射器を出してケイゴに注射する。小さい直管蛍光灯のような、シンプルな棒状のデザインのそれを腕に押し付けてやる。プシュッ。確かに注射出来ているのだが、LPは回復しなかった。
「制限時間を終えないと、やっぱりダメなのか……っ!」
「スバル、俺よりお前のLPを回復しておけ……」
「う、うん」
回復薬を摂るスバル。バコォ! そこにクラーケンの触手が壁を貫通してきた。倒れた石壁が二人にのしかかる。クラーケンがこちらに近づいてきていた。ケイゴが見やると、クラーケンの片目が治っており、大きい黒い瞳がこちらを見据えていた。クラーケンはLPで片目を重点的に治していたようだった。瓦礫を除けてスバルを触手で捕える。
「くっ、せめて装備を……!」
スバルは大鎌と衣装を装備しようとするが、その手を触手で捻り上げられる。
「ぐぅっ……!」
そのままスバルを口元に運んでいく。
「ま、まさか……やめろォ!」
「キュロロロロロ……」
クラーケンがケイゴを嘲笑うかのように鳴く。鋭い顎板をガチガチと鳴らしてスバルを待ち構えていた。
「くそ、あいつを倒すしかないのか……!」
ケイゴは瓦礫から這い出た。一時戦闘不能のお陰で怪我は治らず、骨は折れ、肉は打ち、血は流れている。満身創痍だった。それでも、スバルを死なせたくない。ケイゴは震える手で鎧を止めている接続部を外した。
「いや、いやだ……! 嫌だよぉ……!!」
スバルの顔に顎板が迫る。食べられる――その間際、ケイゴがクラーケンの片目の死角から現れ、細長い瓦礫を大きく開いた顎板の間にねじ込み挟んだ。
「そんなに食いたいなら、俺から食うんだな!」
ケイゴは顎板の間から身体を突っ込ませた。クラーケンの口に入っていく。
「ケイゴっ!?」
スバルは呆然とする。束の間の沈黙の後、クラーケンが苦しそうに悶え始めた。
「キュ、キュオ、キュリイイイイイイィイィ!!」
スバルはクラーケンの触手が緩んだ隙に逃げて距離を取った。急いで装備を変える。大鎌を携え、クラーケンに攻撃しようと構える。その直後、クラーケンの身体から刀身が飛び出た。刀身が直線にクラーケンの身体を裂くと、中から澄んだ青い血液が盛大に吹き出る。遅れてその血に塗れたケイゴが出てきた。クラーケンは触手をピクピク動かしながら絶命していた。
「……ごほっ、ベトベトして気持ちわりい……」
「ケイゴ!」
ケイゴは死体から降りる。倒れそうになったケイゴをスバルは抱き支えた。
「大丈夫? 無茶しないでよ……」
「はは、こんな事はもうしたくないと、俺も思ってたところだ……」
ケイゴの皮肉にスバルは安堵した。そんな一部始終をウオノメは隠れて見ていた。
「こ、この、卑怯者ォ! 騙しやがってェ!! 貴殿が拙者を騙してクラーケンを攻撃したせいで、仲間がまた死んだでござるッ!」
ウオノメは隅から出てきて顔を真赤にして絶叫する。ケイゴはスバルの肩を支えにしながら答えた。
「……お前、ずっとそこにいたのか? 仲間を助けに行かなかったのか?」
「拙者は貴殿のせいで一時戦闘不能でござるッ! そんな状態で手を出せば、拙者の命も――」
「それはこの通り俺も同じだ……見てた、だけなんだろ?」
「せ、拙者は貴殿と違って後衛職でしてッ……!」
「ハッ。呆れるよ。いつまで他人のせいにしてれば気が済むんだ? ……まあいいか。お前はこれから死ぬんだから、考え方を改める必要もない」
ケイゴはふらつく足を動かしてウオノメの元へ歩み寄った。
「ひいっ、くッ、くるなッ!」
ウオノメは必死に地面にある石ころを投げつけるも、傷つき力の入らない腕ではケイゴには届かなかった。
「殺される覚悟は出来てるな?」
長剣をウオノメの眼前に突きつけるケイゴ。
「や、やめ、やめてくださ……!」
「そう言うスバルにお前は何をしたんだッ……!」
長剣を振りかぶって、降ろす、その間際。
「待って!!」
スバルが止めに入った。
「す、スバル、姫……! 拙者を、助けてくれるんですな? そうなんですな?」
ウオノメは両手をもんでスバルに媚を売り始める。
「ウオノメさん。僕は、貴方が考えている僕とは違います」
「へ?」
「僕は、貴方と、友達になりたかった」
スバルはアイテム欄を開いて、今まで貰ってきたアイテムを出して全て床に落としていく。ウオノメに最初に貰った〈生命の髪飾り〉を出して、ぎゅっと握りしめるスバル。
「でも、貴方達は僕を友達じゃなく、女としてしか見てくれなかったんですね」
スバルは涙をこぼした。溢れてくる涙を拭わずに、スバルはウオノメの横っ面を思いっきり引っ叩いた。
「もう、一生顔を合わせたくないほど、大嫌いです! 渡したもの、全て持って消えてください!」
「す、スバルひ――」
「消えてくださいッッ!!」
ウオノメは涙ぐみ、アイテムを急いで収納していく。力が抜けたスバルの手から〈生命の髪飾り〉が落ちる。涙が止まらない目元を手で覆って嗚咽するスバル。ウオノメはそれを手にとり、俯きながら走り去っていった。
場を静寂が包む。クラーケンの死骸や青い血液が光の粒子になって消えていく。
泣きじゃくるスバルを、ケイゴは放っておいた。
スバルの涙が枯れ果てつつあった頃。ケイゴは緊張の糸が切れたのか地面にへたり込む。スバルはその気配でケイゴがボロボロなことを思い出し、あわてて涙を拭い、ケイゴに近づき顔色を窺う。
「……ケイゴ、大丈夫?」
一時戦闘不能が終わったのか、ケイゴの傷は治り始めており、顔色も生気を帯びつつあった。申し訳無さそうな表情を浮かべるスバルの腕を、ケイゴが掴む。
「な、何?」
「……馬鹿野郎。本当に心配したんだぞ」
ケイゴの腕に力が入り、スバルは引っ張られ、抱きしめられた。
「無事で、良かった……」
ケイゴの力強い腕に抱かれて、スバルは胸が針で突き刺されたかのように苦しくなった。心臓の鼓動が身体全体に響くようだ。何で男友達にドキドキしているんだろう――スバルは頬を染めてケイゴから離れた。
「うっうん! 僕は平気! それよりさ、ケイゴ、あんなに戦えたんだね。何でそんなに勇敢なの?」
「――俺が勇敢? 無我夢中だっただけだ。こういうのって、後からくるものみたいだぜ」
ケイゴが腕を上げると、その手はブルブルと震えていた。彼はいつ死んでもおかしくはなかった。スバルを守ろうとする彼の思いの強さが、死の恐怖を鈍らせていただけに過ぎなかった。ケイゴは震える手を握りしめて続ける。
「なあスバル。俺は強くなる。この世界では、法も道徳も役に立たない。他人は俺たちを守ってはくれない。だから、俺にお前を守らせろ」
ケイゴの真剣な瞳はまっすぐスバルに向けられていた。スバルは思わず顔が真っ赤になり、それを見られないように顔を背ける。また心臓が高鳴って苦しい。スバルの中で、何かが少し変わり始めていた。
「そ、そんなこと、普通、本当の女の子に言うものじゃないの?」
「……普通はな。で、返事は?」
スバルはケイゴの顔を見ずに、手を取って引っ張り立たせた。
「……いいよ。ありがとう」
スバルは口を尖らせながら上目遣いで返事をした。その可愛らしい所作に、ケイゴはつい顔が綻んでしまう。
「はは、さあ、さっさと帰るぞ。無断欠勤に関しては、俺も一緒にマスターに謝ってやるよ」
ケイゴはスバルの手を握ったまま、暗い路地裏から抜け出て、闇夜を照らす明かりの元に走って向かった。