007 不穏な帰還
「はぁ、どうしよう……」
スバルはため息をつく。昨日ニーナと夕食を共にした後、一緒に泊まると言って聞かないニーナの誘いを無理矢理断り、フレンド申請をして別れた。その後ケイゴと喧嘩していたことを思い出し、散々帰るか悩んだ結果、手近な宿に泊まったのだった。今日の夜からまた酒場のバイトが入っている。その時間には否が応でもケイゴと顔を合わせなくてはいけないので、スバルは憂鬱だった。
「あいつ、絶対怒ってるよ……」
暖かいコーヒーを一口飲む。深い香りと苦味が口に広がる。スバルが立ち寄ったカフェの主人こだわりの一杯なのだが、ブラックコーヒーを飲み慣れていないスバルは顔をしかめる。
「……ちょっと甘くしよ」
角砂糖二つとミルクを入れてかき混ぜる。白と黒の斑模様は混ざり合い、胡桃色になった。味を見てみる。
「うん、混ざるとちょうどいい」
しばらくゆっくりコーヒーを飲んで優雅な気分に浸っていると、何やら店外が騒がしかった。勘定を済ませ、外へ出るスバル。
外の道では引き裂かれ血だらけの衣服を来た授与者が数人歩いていた。彼らの身体は無事のようだったが、顔は青ざめ、目が淀んでいた。その周りを地球人がついて歩き、何があったか問いただしている。夢幻民達も道沿いの家の扉や窓から顔を出して様子を伺っている。明らかに、異常事態だった。スバルはその授与者達の中にウオノメとその仲間を見つけた。
「ウオノメさんっ!」
スバルはウオノメに走って近づき、その身体に手を添え声を掛ける。
「大丈夫ですか!?」
ウオノメはスバルの顔を一瞥すると、目を潤ませ顔を歪ませた。
「うっ……スバル姫っ……」
「こんなにボロボロになって……どうしたんです?」
「実は……任務を受けたのでござるよ……」
「任務?」
「はい……初心者向け迷宮〈アグロス洞窟〉に住むコボルトの巣から、その赤ん坊を捕獲する任務でござる……」
昨日その任務にニーナが誘われていたことを思い出すスバル。勧誘していた知り合いの授与者が一行の中にいるか探すが見つからなかった。
「任務を受けたのは、これで全員なんですか?」
スバルの質問に、顔を引き攣らせるウオノメ。
「……っもっといたでござるが……これで全員でござるよ」
「もっといた? まさか」
「はい……帰ってきてない授与者は皆、死んだでござる」
「……本当に?」
「はい……拙者の友も……」
ウオノメは友達4人でいつも一緒にいた。しかしこの場には3人しかいない。いない一人は、スバルの脚の絶対領域を好み、事ある毎にニーソックスを履かせようとしていた男だった。
「あいつ、張り切っていたんでござるよ……『空創獣を殺せない心優しいスバル姫に、せめてオシャレくらいさせてあげたい』って」
「えっ……」
スバルは前から不思議に思っていた。低レベルで狩れる空創獣の素材はそう高くは売れない。低レベル授与者は一般の夢幻民よりも稼ぎが少ないくらいだった。あんなに衣装や装飾品を買う生活の余裕は普通ない。おそらくウオノメ一行は生活費を切り詰め、スバルに色んな物をプレゼントしてくれていたのだろう。お金が足りず高い報酬が得られる任務を受けることになった原因は、自分にあったのか。そう思うと彼らに申し訳がたたなかった。
「皆さん、僕のために無理してこんなことに……気づかなくてごめんなさい……」
「…………それでは拙者達はこれで。任務斡旋所に捕獲したコボルトを渡しにいくでござる」
ウオノメ含めた即席パーティはスバルを置いて、任務斡旋所と呼ばれる施設に向かった。ここでは依頼人と授与者を、任務を通して中継する役割をゲーム時代から担っていた。ウェスタンドアを押して入ると、いつも笑顔で受付してくれていた受付嬢が一行の格好を見て顔を強張らせた。
「すみません、任務を完了したでござるよ」
「はい、それでは任務の契約書類をご提出ください」
ウオノメはアイテム欄から書類を出して手渡す。
「散々な目にあったでござるよ。少し話がしたいので、依頼人に会う機会を作ってもらえないでござるか?」
「……申し訳ございません、当斡旋所では依頼人への直接の面会をお断りしております」
「……どうしても、でござるか?」
「規定ですので……」
「――ふざけるなァッ! そっちの情報不足でこっちは死人が出てるんだよッ!!」
ウオノメは穏やかな口調から一転、受付台から身を乗り出して激昂した。
「ひっ、そうは言われましても、私にはそのような権限はありません……」
「おやおや、お疲れ様でした。活きのいいコボルトは手に入りましたか?」
青筋を立てて怒るウオノメと怯える受付嬢の横に、長身の老人がするりと現れた。仕立ての良いスーツを着ており、灰色の髪をオールバックにして固めている。紳士めいた雰囲気を持つロマンスグレーだった。
「私が今回依頼した、ヴォルフです。以後お見知りおきを」
受付嬢が慌ててヴォルフと名乗る男に小声で耳打ちする。
「お客様、困ります……! 直接の面会は規定で禁止されているんですよ……!」
ヴォルフはジャケットの内ポケットからマネークリップを取り出し、そこからチップとして100G紙幣を3枚抜いて、受付嬢にそっと渡した。
「いつもご苦労さまです。貴方は任務の報酬を用意するために裏に戻った。その間に現れた私の存在は認知していなかった。そうですね?」
「……はい」
受付嬢は紙幣の額を確認し、すごすごと奥に戻っていった。
「あんたでござるか……今回の無茶な任務を寄越したのは?」
「はて、無茶とは何のことです?」
「とぼけるなッ!! あんなでかいコボルトがいるなんて聞いてないッ!」
「ふむ、状況が掴めませんな。もう少し具体的に話してくれませんかな?」
「……あんたの言うとおり、〈アグロス洞窟〉にはコボルトの巣があったでござる。捕獲の為に支給された首輪を赤子につけてアイテム欄にいれるまでは問題ござらんかった……今でも思い出すだけで身体が震える。3m近い巨体のグレートコボルトが、唸り声をあげて襲いかかってきたんでござる! たかだかレベル5付近の拙者達が、レベル18の敵に勝てるはずがござらぬ! 仲間が何人も死んだ! これは情報提供を怠った貴殿と任務斡旋所の責任問題ですぞ!」
「何をおっしゃいます? 収穫以前までが規則正しかっただけにすぎぬこと。そういうイレギュラーは三女神に放逐された時点で覚悟すべきではないですか?」
「なんだと!?」「なめてんじゃねえぞッ!」「ふざけんなァ!」
一行から怒号が飛ぶ。授与者達はヴォルフに今にも襲い掛かりかねない空気だった。
「ふむ、貴方方の溜飲が下がらないのも無理はない。よろしい、せめて報酬を上乗せしましょう」
「なにぃ?」
「私もグレートコボルトに関しては知りませんでした。まさかこんな低レベル帯にそこまで強力な空創獣が潜んでいるとは誤算でした。大変嘆かわしいことです。それでは早速、子コボルトの受け渡しをお願い致します。任務斡旋所での報酬とは別に心付けをはずみましょう。それと、その獰猛なグレートコボルトについて、是非詳しい話をお聞かせください」
ヴォルフは笑顔で任務斡旋所の客間にウオノメ達を招き入れる。しかしその薄い目の奥の瞳は鋭利で冷たかった。