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4、双極星との邂逅

四:


 ダニエルが入院している間も、バイスラントはさまざまな脅威に晒されていた。ゾマ軍は確実に国境線を侵し、黒い炎やそれを操る女、またその仲間と目される輩の目撃談は後を絶たない。

 それらは新聞にも載っていたが、マリエ経由でバスコも積極的に教えてくれた。復帰したらすぐにでも状況を把握して動けるようにとの配慮なのだろう。

 長いような短いような入院期間を経て、ある日の夕方にようやくダニエルは自宅に戻ることができた。

 一定階級以上の騎士に支給される、一人で暮らすのが精一杯の小ぢんまりした住まいだが、他に帰る家のないダニエルには大切な我が家である。マリエがたまに掃除でもしにきていたのか、しばらく放置していたわりに思ったより汚れていなかった。

 まだ次の行動命令が下りていなかったので、することもないダニエルは長槍の手入れを始めた。

 といっても入院中も暇を持て余していたので、今さら手を加えられる部分が残っていないほど、相棒は美しく尖っている。しかも柄の部分は呪炎を受けて砕けてしまったりしたので新しい素材に換えた。おかげさまで新品のように見える。

 刃の部分に、もうあの女の血痕は残っていない。

 けれどダニエルの手には、女を突き刺したときの感触がしっかりと残っている。たしかにあれは骨肉のある人間だった。同時に痛みを感じていないかのような無表情が、人間離れして見えた。

 まるでそう、……もう死んでいるかのような。

 嫌な発想だ。ダニエルはそれを振り払うように激しく首を振った。そんな無茶苦茶なことがあってたまるか。

 ひとり無駄に疲弊したところで、りん、と呼び鈴が鳴ったのが聞こえた。もう夜だというのに誰だろう。バスコやマリエなら同時に何か用件なり言うはずだから、彼ら以外ということになるが、ダニエルには日が暮れてから尋ねてくるような親しい相手はこの国にいない。

 それでも、もしかしたらフレデリクが冷静になったのだろうかと思い、急いで応対した。

 街灯の光を受けて玄関に落ちた影は小さい。一瞬それが車椅子の人影に見えたダニエルは、なおさらフレデリクかと思ったのだが、よくよく見れば下半身が車輪の形をしていなかった。

 そこにいるのはフレデリクではなく、どこかで見覚えのある顔の子どもだけだった。

 いくら都と言っても、この時間に子どもひとりというのは危険だ。ダニエルは訝しげに子どもを見、そして彼をどこで見たのか思い出した。

 ノールザルツに行く前の、詰所での会合にいた。内政官の小姓だったか。でもなぜダニエルの家に?


「こんな時間に何の用だ」


 思わずつっけんどんに尋ねると、少年はなんとも形容しがたい笑みを浮かべて答えた。


「ダニエル・ギュルテンだね。世の真理というものに興味はないかい」

「……は?」

「僕らはそれを解き明かすために生きている」


 彼はそう言うと、腕を組んだ。そして何と答えたらよいのかわからず茫然としているダニエルに向かい、微笑というよりは嘲笑に近いものを湛えた眼で、じろじろと無遠慮に眺めまわした。

 なんだこいつは。

 不気味なほど少年の眼には色がない。虹彩自体は鮮やかなあやめ色だったが、ひどく冷たく、感情というものを感じさせないのだ。


「きみは開いていないね、面白いな……ああ、紹介するのが遅れたけど、僕はアレイスター=ジェミニだよ」


 ダニエルはそれを聞いた瞬間、心底げんなりした。


「ジェミニ博士、だと?」

「まあそう呼ぶ人もいるね」

「冗談はよせ。おまえはどう見てもマリエより歳下だし、ジェミニ博士というのは騎士団長さえ敬意を払う相手なんだぞ」


 呆れと怒りの混ざったダニエルの言葉に、自称ジェミニはぼんやりとした眼差しを向けた。何を言われているのかわかっていない顔だった。

 銀髪をわさわさ掻きまわして、少年は困ったようにダニエルを見上げる。しかしどこか楽しそうでもあるのは、わずかに口角が上がっているからだろう。


「そう疑い深くては開かないのも無理はないな……きみがジェミニを知らないのはまあこの際どうだっていいんだが、とりあえず僕らの研究室に来てくれ」

「断る」


 ふざけていると思ったダニエルは、これ以上自称ジェミニの相手をしても無駄だと判断し、さっさと扉を閉めてしまおうとした。

 が、少年はにっこりと笑って、そういうわけにはいかないんだよと言った。そしてダニエルが眼を逸らすより早く、目前に一枚の布切れを突きつける。

 公国の紋が入った首帯だ。持ち主が公的機関に所属することを示している。そしてそこにはさらに、公国の技術研究所のシンボルも刻印されていた。

 その下に、ジェミニの文字。


「これは命令だ、ダニエル・ギュルテン。僕と一緒に来い」



 かくしてダニエルは、有無を言わせず公国立技術研究所の一角に連れてこられていた。入口の案内板によれば古代医学だかの研究室らしいが、もちろんダニエルとはまったく縁のない場所だ。何がどうなっているのやら。

 しいて繋げるとすれば右足に負った、黒い呪炎による火傷くらいなものである。

 さらにダニエルをさらに困惑させることがあった。研究室には人気が少なく雑然としていて、もし今は使われていないと言われても納得しそうなほどだった。

 そしてそこに、ジェミニそっくりの少年がもうひとりいたのである。

 銀色の髪はもちろん、背も顔立ちも仕草でさえも、鏡を挟んだようにそっくり同じ。ただしこちらは勿忘草色の瞳をしている。彼はジェミニを見るなり駆け寄って、ふたりでいやに顔を近付けあいながら小声でぼそぼそと会議を始めた。

 連れてこられただけでまったく説明のないダニエルは、居心地が悪いったらありゃしない。

 やがてそっくりさん会議を終えたらしいふたりが、急にダニエルに振り返った。いきなり瓜ふたつの顔に同時に見つめられてダニエルはぎょっとする。


「……たしかに開いてないね」

「うん、見事に閉じている」

「これはなんとも骨が折れそうだ」

「さぞ骨が折れるだろうね」


 並んで話されると不気味さが増す。というか、どちらがジェミニなのかわからなくなりそうだ。

 ええと、たしか、眼の色が赤っぽいほうだったと思うのだが……。


「あの、ジェミニ博士、俺に一体なんの用です」


 いちおう目上の相手ということになるので、非常に癪ではあったが、はるかに歳下であろうジェミニに敬語を使って話しかける。できればダニエルに理解できる言語で話してほしいと思いながら。

 ふたりはぱちくり顔を見合わせて、それから交互に話し始めた。


「僕らはジェミニ、真理にもっとも近い存在」

「僕らはジェミニ、とても遠い存在でもある」

「ダニエル・ギュルテン。きみは今まさに、世界の裏側を繋ぐ理に触れようとしている」

「ダニエル・ギュルテン。人はそれを運命とも呼ぶし、不幸とも呼ぶわけだ」

「きみの受けた古の痕跡を、開いてほしい」

「僕らはそれを解き明かすために存在している」


 やっぱり無理な注文だった。難解な言い回しで迫ってくるジェミニたちにダニエルは困惑し、つまりそれはどういうことだと返す。まともな返答などもらえないのだろうが、訊かずにはいられなかった。

 ひとりでも充分厄介な相手なのに、ふたりになられてはますます性質が悪いときたものだ。


「簡単に言えば怪我をした足を見せてほしいんだ」

「その上で呪いを“開いて”ほしいんだけど、まあ無理そうだね」


 ジェミニたちはそう言って、ダニエルの右足を指す。

 彼らの言わんとしていることの半分ほどは聞きとれたので、ダニエルはかすかに安堵した。同時に早くジェミニの用を済ませて家に帰りたいと思った。

 長靴を脱ぎ、下衣の裾をたくし上げる。膝の少し下には黒い火傷痕が拡がっている。ほんとうに炭でも塗ったように肌が黒ずんでしまっているのだ。

 たぶんジェミニたちが見たがっているのはこれのことだろう。

 案の定ふたりの小さな科学者はそろそろ近寄ってきて、興味深げにダニエルの脚を観察し始めた。ときどき触れる彼らの手は驚くほど冷たい。


「アリース、無理やりこじ開けてしまおうか?」

「シルヴァ、これはそうするべきだろう」


 少年たちはそう言って、氷のような掌を火傷に重ねるように押しあてた。

 そしてシルヴァと呼ばれたほうが、何かもごもごと呟き始めた。ダニエルにその言葉が聞きとれなかったのは、それが単に小声だったというよりは、バイスラント語ではなかったせいだろう。

 アレイスターのほうは黙ってそれを見ている。こちらがダニエルの家に来て、ジェミニを名乗った個体だ。が、先ほどの「僕らはジェミニ」という言いかたを思うと、ふたり合わせてジェミニと考えたほうがいいのかもしれないが。

 何をされているのかわからないダニエルもまた、無言で彼らの動向を見守るしかできなかった。

 ところがその謎の儀式、のようなもの……が始まって数分経過したとき、ダニエルの傷がじわじわと熱くなった。驚いて火傷を見ると、艶のない真っ黒だった皮膚が、黒と赤錆色の斑に変化してかすかな燐光を放っている。

 斑はぐじぐじと絶えず形を変え、光っているのは錆色の部分であるらしい。

 急に針を刺したような鋭い痛みが走る。ダニエルが呻くと同時に、呪文のようなものを唱えていた二人目のジェミニも突然後ろにひっくり返った。


「弾かれた、やっぱり鍵が要る」


 もうひとりのジェミニがちらりとダニエルを見る。


「簡単には渡さないだろうよ、なにせ閉じている」


 またジェミニたちはダニエルにはわからない会話を始めたので、ダニエルは溜息をついて、下衣を元に戻した。何も言われないのをいいことにそのまま長靴も履き直す。

 ほんとうに、ダニエルは何のためにここに呼ばれたのだろう。というか誰かジェミニの言語を翻訳してくれる人間はいないのだろうか。バイスラント語であるはずなのに言っていることがさっぱりわからない。

 ダニエルが再び居心地の悪さに苦悩していると、ジェミニがひとり、研究室の奥の薄暗闇へと消えていった。残っているのは眼の色からしてアレイスターではないほうの少年だ。


「あの……、結局どちらがジェミニなんです」


 思わず尋ねると、少年は疲れた笑みで答えた。


「僕らは同一、どちらもジェミニ。僕を個体として認識するなら、シルベスター=ジェミニ……。

 いわばジェミニは、生まれながらにふたつに分かたれた魂だ。双極星、空と海、善と悪、有と無……また黒と白、あるいは灰色。世間はこの概念を双子と呼ぶ」


 シルベスターは近くにあった椅子に座った。まさか長話でも始める気かと身構えたダニエルだが、反して少年はそれきり口を開かない。なんなんだ。

 言動もそうだが、不条理な歳若い外見もまた、ジェミニたちの存在を掴みにくくさせている。この、たしかに人間なのに、まるで人形と向き合っているかのような不快さに、ダニエルは既視感を覚えた。

 ……黒炎の女。

 ぞっとしてジェミニを見る。ぼんやりと虚空に注がれた眼は、凝ったように動かない。


「ジェミニ博士」

「うん、なんだろう?」

「さっき、何をしていたんですか」

「きみに説明して理解できるのなら、説明する」


 そう言うシルベスターは嫌な微笑を浮かべていた。

 話したところで解らないだろうと言外にダニエルを嘲っているのだ。しかしダニエルはそれを存外腹立たしく思わなかった。実際理解などできない気がしたし、何よりジェミニが不遜とはいえ人間らしい反応を見せたことに、ほっとしていた。

 これ以上彼らと黒炎の女に共通点を見つけるのが嫌だったからだ。

 ただ、ジェミニの発言のおかげで空気は非常に気まずいものとなった。少年がそれに頓着するかは別として。

 しばらく無言ですごしていると、アレイスターが戻ってきた。いつの間にか眼の前に立たれていたので、ダニエルは再びぎょっとすることになった。……気配がなかった。


「用意ができたよ」

「ダニエル・ギュルテン、さあ歩いてくれ」


 拒否権など持たないダニエルは、力なく頷く。



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