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2、ノールザルツの女

二:


 一行がノールザルツに到着すると、町は話に聞いたよりも激しく燃え盛っていた。

 それもなんという炎だろう。色は赤黒く、その不気味な輝きは少しも辺りを照らしてはいない。ただ破壊的なだけの恐ろしい炎だった。

 ダニエルは息を呑んだ。

 この炎を知っている。ダニエルの村を焼いたのは、ちょうどこんな炎だった。

 ダニエルが帰りついたときほとんど鎮火してはいたが、それでも端々にわずかに燃えているのを見た。それに後からすべてを見ていたフレデリクに聞いたから間違いない。

 ノールザルツを襲っているのと、村を襲ったのは、同じ人物なのだろうか。

 ともかく現状把握をするのが先だ。まだ生きている住民たちを避難させながら事情を尋ねたところ、急に町のはずれから火の手が上がったのだという。

 ダニエルの村がそうだったように、ノールザルツも町の出入り口である門がことごとく封鎖されていた。仕方がないので城壁を破壊し、住民たちはそこから町外に出すことにする。第二部隊員の何人かを護衛につけて、ひとまず近くの町まで。

 残ったダニエルたちは、この不思議な炎への対処法と、町を襲撃した犯人を探した。

 といってもダニエルは知っている。この炎は、町を燃やし人びとを殺し尽くしたら、自然にすっかり消えてしまうのだ。

 従ってここでは犯人を探すことのほうが優先された。

 フレデリクから聞いた話によれば、村が襲われたときに見慣れない人物が現れたという。それも一人や二人ではなかったと。

 これだけの災害を引き起こすには、たしかに一人では無理だろう。

 ともかくダニエルが炎を避けながら町じゅうを探し回っていると、部隊員のひとりが走ってきた。それらしい人物がいたという。今もうひとりの仲間が足止めしているが、隊長でなければ捕まえられはしないでしょう、と彼は言った。


「相手は女で、ひとりのようです」


 部下の言葉にダニエルは瞬きをした。まさかこの惨状を作りだしたのが、たったひとりの女だというのだろうか。

 いや、……それはあまりにも現実的ではないな。


「まだ仲間がいると考えたほうがいい。警戒しろ」

「は」

「カーラン式の陣形を組んで、挟み撃ちに備えるように部隊全員に伝えろ。俺はその女とやらを捕縛する」

「了解しました!」


 ダニエルは長槍の柄を確かめると立ち上がった。部下の報告に従って進んでいくと、前方から熱い風が吹き込んでくるのがわかる。

 崩れかけた建物の間を縫うようにして、ダニエルはそこに辿りついた。

 天から降り注いできたかのような、真黒な火炎の柱が眼に飛び込んできた。熱気と爆風が吹き荒れ、舞い上がった灰が視界を奪おうとしてくるので、とてもしっかりと眼を開けてはいられない。

 ダニエルの目前には部下がひとり、剣を構えた恰好で立ち尽くしている。

 バイスラントから支給された銀色の切っ先が指し示すのは、火柱の前に立つ人影である。逆光のせいか真黒な服を着ているように見えた。

 戦場には相応しくない、漆黒のドレスの女。

 女は俯いていて、どんな顔をしているのかはよく見えない。ダニエルから確認できたのは、女の長髪が黒炎の中でゆらゆらとたなびき、踊るように見えたことだけである。

 ダニエルは名簿で覚えただけの部下の名を呼んだ。

 彼は返事をしない。歩み寄って肩を叩くと、ぐらりと身体が傾いて、部下はそのまま後ろにひっくり返った。

 それは黒い人形のように見えた。

 身体の前面だけが焼かれて、顔の造作もわからないほど真黒に炭化していたのだ。ダニエルはそれを知った瞬間、喉許にせり上がるものを感じたが、どうにか堪えた。

 この女がやったのか。

 長槍を掴み、対峙する。長い栗色の髪が熱風に舞い狂って、ダニエルを挑発するようだった。

 女が顔を上げる。髪と同じく柔らかい栗色の睫毛が、ぱたりと小さな音を立てて持ちあがった。その下から銀色の瞳が覗いている。


「──……?」


 ダニエルは無意識のうちに、何ごとか呟いていた。

 否、自分でもそれが信じられなかったので、記憶に留めるのを拒んだのだろう。

 女の顔には見覚えがあった。

 眼の色こそ違うけれども、この髪、このまなじりの形、鼻筋の雰囲気、くちびるの気配、輪郭、肌の色。七年前、永遠の愛を誓って、そして永遠に失った女性(ひと)

 よく似ている、というには、少し似すぎている。

 女が両手を拡げた。まるでダニエルを抱きとめようとしているように。その顔はわずかに笑っているようにさえ見える。

 その左腕が、明らかに他とは違う色をしているのを、ダニエルは見た。

 足が震えて、一歩前に出る。

 彼女は動かない。ダニエルが来るのを待っている。あの日、帰るのが遅れてしまったダニエルを。

 もう一度、もう一回だけ名前を呼んだら、彼女は返事をしてくれるだろうか──……?


「エ、」

「ダニィイイイ! 助けに来たわよーっ!」


 切なる願いを吹き飛ばすように甲高い声が響いた。振り返るまでもなく、真後ろからどかどかと遠慮のない足音がする。

 マリエはいつものようにダニエルの隣に来て、それから女を睨みつけた。


「ダニー、あれが犯人ね?」

「……わからん」

「犯人よ。だってほら、手から黒い火みたいなのを出してるもの。生け捕りは難しそうだわ」


 そう言って剣を構えるマリエをダニエルは制した。自分でも何をしているのかと思いつつも、あの女がほんとうに彼女……エリサなら、どうにかして事情を聞きたい。

 どうやってあの悲劇から生き延びたのか。

 どうして今まで、ダニエルの前に現れてくれなかったのか。

 そして今、なぜここにいるのか。ノールザルツに住んでいたのかもしれない。そして逃げ遅れて、火中で惑っていたのだろうか。いや、きっとそうだろう。

 今度こそ助けなければ。そう呟いたダニエルを、マリエが思いきり張った。


「何わけのわからないこと言ってるのよ! 昔の知り合いに似てるんだかなんだか知らないけど、タニー、あの女はテロリストなの! ああいう手合いからバイスラントを守るのが私たちの使命でしょう!」


 マリエが言うことはもっともだった。それだけにダニエルの心を深々と抉った。

 そうだ、エリサは死んだはずだし、こんなところにいてノールザルツの襲撃犯と無関係なわけがない。そんなことはわかっているのだ、頭では。

 でも女のなりはエリサにそっくりで、ダニエルはすべてを否定したい気持ちだった。

 ──ああ、俺はまだエリサを愛しているのだ……。

 長槍を掴む手に力を込める。引き裂かれたダニエルの心を、どうにかひとつの覚悟で繋ぎとめるために。

 この女を殺さずに捕まえるしかない。

 恐らくノールザルツの住民は半分程度しか助からなかった。女の罪はそれだけ重くなるだろう。きっとシュタインブルクに連れ帰っても、長い間拘束されて取り調べられ、形式的な裁判のあと処刑されるだけだ。

 それでもダニエルはこの女に訊きたいことが山ほどあるし、ここで逃がしたら更に罪を重ねるだけになるに違いない。


「マリエ、おまえは控えていろ」


 ダニエルはそう言うと、低く咆哮をあげて女に立ち向かっていった。後ろからマリエたちの制止の声が聞こえたが、今さら止まれるはずもない。

 女は無表情で、ダニエルを見ているのかどうかさえわからなかった。ただ突進してくる気配だけを察知したのか、両の掌を前に向ける。花びらのような形に合わせた手と手の間から、黒い炎が滲み出ていた。

 炎は渦を巻いて、ダニエルを包もうと大きく広がる。

 ダニエルはそれを避けながら、ぐっと槍を前に突き出した。一本槍の異名に恥じぬ大槍は、かなりの間合いからでも充分に女に届く。

 急所を避けた箇所に刃が埋まっていくのを見ながら、ダニエルはわずかに後悔した。

 女は痛みを感じていないのだろうか、顔を歪めることもなければ悲鳴ひとつ上げず、ただダニエルに向かって炎を吹き出す手を向けるだけだ。

 槍で刺した感触は確かに人のそれなのに、まるで人形のような女。

 ダニエルの動きが一瞬止まる。それを見落とすことなく黒炎を向ける女に、マリエが威嚇するような声を出した。ダニエルは右側から強い衝撃を受け、地面に転がり伏せる。

 頭上を吹き抜けていく、火炎の唸り声。

 それが止むのを待って顔を上げると、どこからともなく歌声のようなものが聞こえてきた。女の声のようだが、エリサのそれではない。それにどうやら目前の女が歌っているわけではなさそうだった。

 女は攻撃を止め、歌声に呼ばれたようにダニエルに背を向けた。


「エリサ!」


 思わず呼んだ彼女の名前に、女は反応を見せない。

 そのまま振り返ることなく去っていく女を、ダニエルはしばらく茫然として眺めていた。そのあとはっと我に返り、後ろにいた部下たちに向かって叫ぶ。


「女を追え! 生け捕りにしろ!」

「は、隊長は!」

「ダニーなら私が面倒みるわ、大丈夫」


 泥だらけの顔を擦りながら自信満々にマリエが言うと、部下たちは苦笑いで走っていく。誰も彼女には逆らえなかった。

 ダニエルもまた、今さっき作ってしまった借りのために、おとなしくマリエの言うことをきくことにする。マリエが横から体当たりしてくれなければ、黒い炎をまともにくらっていたかもしれないのだ。

 ああ、とマリエがいきなり悲鳴じみた声を出した。


「どうした」

「ダニー……これ、ふつうの火傷じゃないみたい」



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