15、婚礼
十五:
ダニエルとフレデリクの再会は、同時にエリサとフレデリクの再会でもあった。
エリサのまったく変わらない、そして同時に変わり果てた姿に衝撃を受けたのだろう。フレデリクは大声を上げながら寄ってきたのに、彼女を見るなり言葉を失ってしまった。
漆黒に染まったエリサは、佇んだまま動かない。
明らかにようすがおかしかった。今にも死にそうな声ではあったが、女はまだ命令を歌っているのだ。それなのに行動しようとしない女神に、甲高い歌声はその端々に苛立ちを滲ませている。
ダニエルは倒れたままエリサを見つめ、フレデリクは状況を飲み込めずにいる。車椅子は軋みもしない。
そして、どれほどそうしていただろうか、ついにエリサに変化が起こった。
身体を震えさせ始めたのだ。さらにそれから数刻もしないうちに、今度はドレスから灰青色の煙のようなものが立ち上り始めた。
女が呻く。困惑の色を込めて。
「どうして……おまえたち、何者なの……?」
女がダニエルとフレデリクを交互に見遣る。彼女は結局配下から情報を受け取ることができなかったので、ダニエルやフレデリクとエリサの関係を知らなかったのだ。
ふたりがシニツァ村の出身であることも、ダニエルとエリサが婚約していたことも。
「……俺じゃない、ダニエルだ……」
フレデリクが呟いた。それに対し、どういうことだ、と訊いたのはダニエルだった。
「ジェミニが言うには、──たぶんそう言っていたんだろう、という意味だが……俺たちにこの火傷を負わせた黒い炎は、女神の感情の現れであるらしい。エリサに何か思わせるとしたら、ダン、おまえだよ」
いったいフレデリクはいつジェミニに会ったのだろう。ダニエルはそれもかすかに気になったが、それよりも新しい事実と向きあう必要があった。
感情がないかのように見えたエリサに、感情の現れがあるというのだ。つまりエリサの心はまだ生きている。先ほどからようすがおかしいのも、もしかしたらエリサの女に対する反抗なのかもしれない。
エリサはまだ、人間に戻る余地があるのかもしれない。
ダニエルにとってはそれは嬉しい知らせであったが、エリサの変調は穏やかではない。銀色に変わってしまった眼をこれでもかというほど見開いて、がたがたと震えている彼女は、それでも表情を変えないだけに不気味だ。
このままではエリサが壊れてしまうのではないかとダニエルは危惧した。それだけはなんとしても避けなければ。
「おい、そこの女……エリサを止めてくれ」
まずダニエルがしたのは、恐らくこの場でもっともエリサに干渉する能力があるであろう女への交渉だった。女が簡単に応じるとは思わないが、他に手だてもない。それに女とて、女神を失うのは組織にとっての大きな痛手になるのだから、何かしらの手を打とうとするだろう。
そう思ったが、女は苦々しげに女神を見るだけだった。
「……あたくしの制御が効かないのは、見ていれば、わかることでしょうよ……たしかに、呪炎を生み出す原動力は、感情に頼るわ。怒り、悲しみ、そういう強い想いが」
エリサの肌が赤く染まる。
高熱を発する錆色は、先ほどダニエルの火傷から吹き出したものと同じように見えた。
「おまえが……女神の素体にとって、何か関係のある男……だというのは、わかる。あたくしの制御を越えるほどの、感情が、暴走しているのね。もう止められないわ」
「……どうすればいい……」
「このまま、すべてを巻き込んで、爆発するわ……世界とともに心中とはいかずとも、バイスラント一国程度なら、飲みこんでしまえるでしょうね……」
「……止めかたを教えろ! ダンは、ダンはエリサに話しかけて、気持ちを落ち着かせてあげるんだ!」
「無駄よ。げほっ……女神自身が、それを望まないもの……あたくしたち、ここで全員死ぬんだわ」
女は自嘲気味に笑った。本懐は遂げられずとも、世界に対してささやかな復讐ができる、という顔だった。
フレデリクはたまらず車椅子から飛び降りる。そのまま這ってエリサに近寄ろうとしたのだ。だが、それは何者かの手によって阻まれた。
振り返ると、そこには先ほどの少年がいた。
いつのまにいたのだろう。ぎょっとしている暇もなく、フレデリクは信じられない力で背後に引っ張られる。車椅子よりも後ろまで。
「離せジェミニ! エリサが……!」
「言ったはずだ。あまり近づかないように、って」
冷徹な声音でジェミニは言う。フレデリクはもがいたが、まったく無駄な抵抗だった。
一方ダニエルは、今にも臨界点を超えそうなエリサを前に、あることを理解した。
どこにそんな力があったのか、もはや動かないはずの右足を引きずり、強酸で焼け爛れた両手で地を這い、エリサの許へ向かう。その間、視線はずっと交わっていた。
今日、二度目の再会のときに、エリサが泣きそうな顔をしていたことを思い出す。それを見てダニエルは抱き締めたいと強く願った。
今でもそうだ。抱きしめて、もう何もしなくていいんだと言ってやりたい。
やっとこの想いを果たすときがきた。
両腕に七年分の重みを抱えたダニエルの腕は、改めて悲鳴を上げた。極限に達しているエリサの身体は燃えるように熱く、負傷したダニエルの腕を容赦なく攻め立てる。
ダニエルの腕もエリサと同じように、火傷のように、黒ずんだあと錆色に燃え始めた。
腕だけではない。炎の呪いは全身に広がっていく。
「ダン……それじゃ、おまえまで……!」
フレデリクの叫びに、ダニエルはなぜか薄く微笑んだ。
これでいいのだ。そう思った。
なぜならダニエルは、先ほど理解したからだ。
「リッツ、エリサは解っていたんだ……」
もう人間には戻れない。戻ったとしても、ダニエルやフレデリクを傷つけたこと、故郷を滅ぼしてしまったこと、何百人もの命を奪ってしまったことは消えない。
彼女はその咎を背負って、ここで終わりにしたいのだ。
「俺は、エリサをこれ以上、ひとりにしておけない」
ダニエルはかすれた声でそう言いながら、真っ赤に燃えたぎっている腕で、胸元の鎖を引いた。
その先に下がっているのはエリサの指環。ダニエルが若き日に丹精込めて造った、この世にただひとつの、永遠の愛の証。
震える手でエリサの左手をとる。少し色合いの違う腕は、後から別人のものを繋ぎ合わせたのだろうか。その中指の大きさが元とほぼ変わらないことを確かめて、そっと指環を嵌める。
ああ、──よく似合っている。
ダニエルは囁いた。エリサもかすかに笑った気がした。
「エリサ、今日が……俺たちの、婚礼……だ……」
その呟きを聞き届けたように、エリサの身体が大きく脈打った。
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