ありふれた昼下がり
下卑た歓声とともに、巨大な頭が〈ルイーナ〉の埃っぽい地面に転げた。
その頭の持ち主はたった今、流麗なロングソードで胸を貫かれたところだ。回路がショートして、耳障りな音とともに手足が痙攣のような誤作動を起こす。
太陽が天中に登り、乾いた風と強烈な日差しが入り混じった陽気のなか、満員の半分ほどの観客が安酒片手に叫び、口笛を吹き、手を叩いていた。民衆にとって最高の娯楽である闘技会、その下位選手による前座試合だ。
夜の本戦のチケットが買えるほどの金はないが、彼らには彼らなりの観察眼があり、その目は肥えていた。
スピーカーから、進行役の高らかな宣言が聞こえた。
「ジョエル・セレスタンの勝利!」
初陣にして観客のニーズに合った勝ちを収め、彼らの心をつかんだ新参者は、尊大とも言えるふてぶてしさで、観客席に向かって手を振る。そしてゆうゆうと退場していった。
試合が終わり、『あいつ』がいやに堂々と〈ルイーナ〉の闘技場から引き揚げたあとに、カントは機体をゆっくりと立たせた。試合中は目立たぬよう、闘技場の隅、柱の陰に待機させてあったものだ。
よほどのことがない場合、試合には必ず勝ち負けがつく。そして、敗者に死の裁定が下された場合、その『死体』はこれ見よがしに放置される。だが、その鉄くずを転がしたまま次の試合を行うわけにもいかないので、その後始末は、出場者と同じく下位の剣闘士が行うことが慣習だった。
同じ理由で機体を動かす数機とともに、カントは哀れな残骸に向かって歩を進ませた。
雨季は目前だと言うのに、空は呆れるほど晴れ上がり、〈ルイーナ〉の地面も乾き切っていた。機体が歩くたびに、砂塵が舞う。
『ナータス機、待て。これより回収部隊が作業する』
無線機から、現場監督の平坦な声が聞こえた。
古ぼけたジープがタイヤに砂をまきこみながら残骸の前で止まり、数人の男たちがその胴体部に駆け寄った。
『今回は一突きだったからなあ……ありゃあ酷いぜ」
同僚のうちの誰かが言った。
彼らが今回収しているのは、『殉職者』の遺体だった。その後、残りの残骸を自分たちが片付けるのだ。無論、しばしば人の背丈ほどの剣で切り裂かれることもあるのだから、正視に堪えない損壊ぶりも有りうる。実際、カントがこの任務に出るようになってから数度目、そんなことも何度かあった。
コクピットハッチはジョエルの剣によって大穴が開けられ、正規手順による開放は不可能だった。緊急用の爆砕ボルトでハッチが吹き飛ばされる。
『うげ……』
誰かが無線越しに呻いた。医者のように薄いゴム手袋をつけた男たちが、操縦者のなれの果てを引っぱりだした。
確かに、どうにも良くなかった。巨大な剣先が当たったのは、右の肩口あたりのようだった。いや、力任せに押しつぶされたといった方が正しいか。右腕が陰惨な塊になって、今にも胴体と泣き別れしそうに揺れていた。
半分割れて緩くなっていたヘルメットが、その頭からごろりと落ちた。先ほどの、彼の愛機の最期のようだった。
その顔を見た。
知っている顔だった。
そいつの名前をカントは初めて聞いた。自分の名前と同じように、その名は訓練ギルドの所長が初等訓練修了の餞別代わりにくれた名前だったからだ。
だが、そいつの昔の名前は知っていた。ジャン。ファミリーネームはなかった。強いて言うならば、孤児院のジャンだ。
ジャンは、誰よりも運動神経が良かった。沖の島まで一人で泳ぎ、みんなをひやひやさせ、三日後にひょっこり戻って来た。その時はおばさんが孤児院が揺れるほど怒り狂った。
血気盛んな奴だった。おじさんの勧誘に、最初に乗ったのもジャンだった。
そう、いま思い出した。その死体を見て、思い出した。
「おい、カント――どうした?」
アーティーがカントの顔を見て怪訝そうに言った。機体を降りたそのままの格好で、無表情に廊下を進む。だが彼はそこでは立ち止まらず、アーティーを押しのけるようにずんずんとガレージの方へ向かう。
「あいつが……あいつが……」
ぶつぶつ呟きながら、カントはガレージのドアをくぐった。整備員と談笑しているジョエルを見つけ、飛び石の上で跳ねるようにその距離を詰めた。
「この……!」
勢いのまま拳が出る。相手の首が面白いようにのけぞり、そのまま二メートルは吹っ飛んだ。
「なんだっていうんですか、もう!」
ジョエルは頬をさすりながら呻いた。面喰らっている整備員を突き飛ばして、カントは言った。
「お前――今、誰を殺してきたか、分かっているのか?」
「そりゃもちろん。試合前に相手の情報を確認することは基本中の基本ですよ」
再び拳が飛びかけたが、すんでのところでおさえる。ジョエルは立ちあがって不思議そうに言った。
「それにしても、なんですか? ここのルールはそういうものでしょう? それともあなた――今さら人を殺すなとか言うんじゃないでしょうねえ?」
「違う! そうじゃなくて――」
カントは、はたと拳を解いた。俺は、こいつにどうして欲しいんだろう?
「あなただって、一人殺ってるじゃないですか」
「!」
何も言い返せなかった。
どこかで分かっていた。この怒りにはなにも根拠がないということが。
ただ、死が怖かっただけなのだ。
旧友の仇を憎んだわけではない。ただ、死が少しだけ身近になったのか怖かったから。
その恐怖を、彼への怒りにすり替えただけで。
「くそっ」
カントは床を蹴り飛ばすように踵を返す。
「ええ、お引き取りねがいますか!」
ジョエルは頬を赤く腫らしたままカントの背中に叫ぶ。
「僕を殴ったこと、後悔させてやりますよ! 僕の親父が誰か知っているでしょう!」
カントはそんなことより、先ほど彼が言い放った言葉を思い出していた。
『あなただって、一人殺ってるじゃないですか』
――ただの運が、こんなに人間をめちゃくちゃにするのか。
カントは、自分が出した結論の本当のところを、今知った。