その偶然
馬のいななきのようなブザーとともに、二対の剣闘士はゆっくりと動き始めた。泡立つような歓声。
全く同じ形をした五メートルの巨人は、お互い鏡のように円を描き、互いに回り込もうとする。
これは喧嘩ではない。同じ機体を用い、自らの肢体を用い、全ての上で敵を圧倒するものだ。その理路整然とした戦いには、なにより名誉が求められた。そして、無慈悲さも。
カントは、ペダルを慎重に操作しながら、乾いた闘技場の地面をなでつけるように機体を横移動させ、相手の様子をうかがう。
(機体をオシャカにしてくれるなよ)
彼は、整備主任のアーティーの言葉を反芻した。
この戦いでは、散々間合いを取りあった末、一打ちで勝負が決する場合も多い。負けるか、全くの無傷か、どちらかなのだ。
大体、機体がオシャカになった時には、たいがい自分も死んでいる。
先ほどの犠牲者のように。
慣習として、勝負が決まり、どちらかが相手に剣を突き付けた状態になった時、観客は敗者の運命を決めることができる。処刑か、助命か。
観客たちの機体に応えられず、無様な負け方をした先に待っているのは、たいていの場合、死刑宣告だった。
二週間前の人生最初の試合、自分は観客の納得する戦いをしたとは言い難い。一撃のもとに剣は折られ、地面に叩きつけられ――
「……馬鹿野郎」
すんでのところで自分をいさめる。
誰が好き好んで、前回死にかけたことをこの場で思い出すだろうか。カントはモニター越しに敵を睨みつけた。
すでに試合開始から二分が過ぎようとしている。壁のように席を埋める観客も、ボリュームをひねったように静かになっていった。幾度となく血を見てきた彼らは知っているのだ、そろそろどちらかが踏み出すことを。
「!」
見えない円周上の道から踏み出し、突進を始めたのはカントではなかった。敵はほんの数歩で間合いを縮め、その運動エネルギーをそのままに、突きを繰り出す。
「おわっ」
危なかった。あと数瞬、先ほどの暗い思索にふけっていたら、盾をかざすことも間に合わなかっただろう。ぎりぎり、跳ね上げた盾は、カントと凶刃との壁になる。
しかし、その攻撃に乗せられた質量を跳ね返すことは不可能で、カント機は大きくのけぞった。
「ちくしょう!」
ペダルを蹴り飛ばし、軸足を後ろへ振ることで、なんとか転倒だけは避けることができた。しかし、
「ここまでだな」
そう観客の声が、聞こえてきたように感じた。
体勢が大きく後ろに傾いている状態では、下半身はこれ以上ないほど無防備であり、相手もそれを逃す気はなかった。
武器は使わず、足をすくうように蹴り飛ばしてくる。
「……!」
剣戟とはまた別の重い衝撃から立ち直ったカントが見たのは、仰向けに転んだ自機に切っ先を突き付けている敵だった。
ジャッジの時間だ、そう思うまでも無く、集音マイクから、観客の足をふみならす音と、怒号が聞こえてくる。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ――
自分に突き付けられた切っ先を見た。それは胸から数寸のところにある。その装甲の奥には、操縦席があり、自分がいる。
この機体は――装甲剣闘士はとても高価だ。おいそれと買いそろえられるものではない。操縦士も高くついていることは間違いないが、観客の決定には逆らえない。ならば機体の損傷を出来るだけ少なく、「中身」のみを一刺しにする――それが主催者の喜ぶところだと聞いた。
自分の命を絶てとの叫びは、だんだん大きくなってくる。その叫びに押され、少しだけ敵の切っ先に力がこもったような気がした。
さらに膨れ上がっていく処刑宣告。ここで何度も何度も繰り返されたルーチンワーク。観客にとっては、ありふれた半端者の死だ。そんな死は、あっという間に忘れ去られる。
もちろん、敵にとっても。きっとそうだ。
そして、待った。
「……おい」
死を確信したほんの瞬き一回分、覚悟したそれは訪れなかった。敵の鋼の頭が、ほんの少し揺れ動いた。それは、ためらっているのか。
「おい!」
カントはどこから来たのか分からない怒りにまかせて、右のペダルを思い切り踏んだ。
やっと覚悟を決めたかのように、切っ先が落ちてきたのは同時だった。
必殺の突きは、剣腹が振りあげた右足に当たって捻じ曲げられ、胸部装甲を大きく削りながら地面に突き刺ささる。
「この野郎!」
今度は左足を突き出す。足裏が相手の機体の腹を強打し、相手は地面に突き刺さったままの剣を支点にして、ごろりと横に転げた。相手の剣が、その手から離れた。
じたばたと、決してスマートとは言えない挙動で機体を立たせたカントは、相手の頭部を力任せに踏みつけ、同じように切っ先をつきつける。
「……」
今ごろになって、カントはいま自分が取った行動を、その結果から確認しようとした。
だが、どうもうまくいかなかった。
再び、審判が下される。
気まぐれな判事たちは、なんの抵抗も無く判決を覆した。
殺せ、殺せ――そこの臆病者を殺せ――そこの半端者を殺せ――
足の下から、擦れるような金属に悲鳴が聞こえた。
「くそ……」
これはただの偶然だ。相手が今のように自分を踏みつけていたら、隙を見て蹴り飛ばすことは到底かなわなかっただろう。
なにより、相手がためらいなく、その刃を押しこんでいれば。
自分は一分前に死んでいた。
何一つ、こちらは相手に勝っていない。
「こんなことで――」
こんなことで。
生死が決まっていいのか。
こんなことで。
自分が相手を殺していいのか。
喉が苦しげに鳴った。わずかな手の震えが、ちいさな誤動作を引き起こし、ほんのわずか、切っ先が相手の胸に近づいた。
いいぞ――びびるな――やっちまえ――
大騒ぎの観客席から、そんな叫びが聞こえてきた。
そこのびびりとの違いを見せてやれ――
「この――」
そうだ。違いがあった。敵との違い。
人生が偶然によるものなら。
偶然が道を開くなら。
「この――」
自分は、その偶然を勝ち取ったのだ。
「この野郎!」
コンマ幾秒で、カントの突き降ろした剣は地面に達した。
装甲板も、電子機器も、中の人間も、全てが同じ手ごたえだった。