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【番外編】灯りのともる前に

作者: 柚原 澄香
掲載日:2026/04/11

夜、ふっと何故か目が覚めた。

夢を見ていたような気もするし、

何も見ていなかったような気もする。


部屋は静かで、

窓の外の街灯が、薄く天井を照らしている。


喉が渇いたわけでもないのに、

胸の奥がそわっとして、

葵はゆっくりと上体を起こした。


そのときだった。


机の上のノートが、

開いたまま置かれていることに気づく。


寝る前は確かに閉じたはず。

でも、不思議と怖くはなかった。


ページの中央に、

見覚えのない筆跡で数行の文字が書かれている。


葵の字じゃない。

でも、誰のものかも分からない。


ただ──

その言葉は、

胸の奥がじんわり温かくなるほど優しかった。


---


及川さんへ。


君がこの言葉を読む夜が、

どんな夜なのかは分からない。

でも、きっと少しだけ胸がざわついて、

眠れなくなっているんじゃないかと思う。


そんな夜が、いつか君に訪れることを

未来の僕は知っている。


だから、ひとつだけ伝えたい。


焦らなくていい。


君がどんな速度で歩いても、

どんなふうに立ち止まっても、

未来の僕はちゃんと知っている。

君の歩幅は、いつだって君だけのものだ。


それから──

君はきっと、

「迷惑じゃないですか」

なんて言うんだろう。


あの日の君がそうだったように。


だから、未来の僕も同じように答える。


迷惑なわけないだろ。


君が頼ってくれることも、

弱さを見せてくれることも、

全部、僕にとっては大切なことなんだ。


君が笑っている未来を、

僕は知っている。


その笑顔に、

何度も救われてきた。


だから、どうか無理をしないでほしい。

君が君のままでいてくれたら、

それだけで十分なんだ。


君の心に、そっと灯りがともったら嬉しい。

それを僕は、心から願ってる。


---


葵はしばらく、

ページに書かれた文字を見つめていた。


胸の奥が、

ゆっくりとほどけていくような感覚がする。


誰が書いたのかなんて分からない。

見覚えのない筆跡。

思い当たる人もいない。


それでも──

その言葉は、

まるで自分のためだけに置かれた灯のように

静かに心を温めてくれた。


ページをそっと撫でると、

紙の感触が指先にやわらかく触れる。


「……ありがとう」


誰に向けた言葉なのか、

自分でも分からないまま、

小さく呟いた。


部屋の空気が、

ほんの少しだけ軽くなった気がした。


葵はノートを閉じ、

布団に戻る。


さっきまで眠れなかったはずなのに、

まぶたが自然と落ちていく。


胸の奥に残った温度だけを抱えたまま、

静かに眠りへ沈んでいった。


---


朝。

窓から差し込む光で目が覚める。


机の上のノートは、

きちんと閉じられていた。


昨夜の文字も、

どこにもない。


夢だったのかもしれない。

そう思ってもいい。


でも──

胸の奥に残る温かさだけは、

確かにそこにあった。


葵はそっと息を吸う。

昨日より、少しだけ呼吸がしやすい。


それだけで十分だった。


---


光がゆっくりと部屋に満ちていく。

朝なのか昼なのか、はっきりしない。

ただ、柔らかい明るさだけが静かに漂っていた。


葵はふっと目を閉じる。

胸の奥に、遠い夜の温度がよみがえる。


──いつかの夢のこと。


机の上のノート。

見覚えのない筆跡。

「焦らなくていい」と書かれた言葉。

胸の奥がほどけていくような、あの感覚。


あの頃は、少し苦しかった。

呼吸が浅くて、眠れない夜もあった。


でも今は──

小さなことでも、すごく幸せだと思える。


そっと息を吸うと、

隣から静かな気配がした。


「……葵?」


大和が、柔らかい表情でこちらを見ていた。


その声だけで、胸の奥がゆっくり温かくなる。


葵は自然に返す。


「……ちょっと、夢のこと思い出しただけ」


大和は、そっと葵の手に触れる。

指先が軽く触れただけなのに、

それだけで十分だった。


「夢?怖かった?」


「ううん……すごく救われたの」


葵は目を伏せる。

あの夜の灯りが、

胸の奥でまだ静かに揺れている。


大和は少しだけ驚いたように目を瞬き、

すぐに柔らかく笑った。


葵はふと、大和の名前を呼んだ。


「ねえ、大和……」


大和は一瞬だけ目を見開き、すぐに優しく頷く。


「……うん」


光が二人の間にそっと流れる。

触れ合う指先も、

呼び方も、

全部が自然で、

全部が柔らかい。


葵は静かに息を吐いた。


「なんか……今はすごく楽なんだ」


大和は葵の手を包むように握り返し、

イタズラっぽく笑った。


「奇遇だな。俺もだよ」


そう言って、

葵の髪をそっと撫でた。


あの日の灯りみたいに、

胸の奥があたたかく灯った。

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