第2話「仮面の下の涙」
「我が名は守月桜──侍だ」
桜の凛とした声が、静寂に包まれた村の夜空に響き渡った。
屋根の上に立つ桜の姿を、月明かりが照らし出す。
金髪が月光を浴びて白銀に輝き、碧眼が鋭く光った。
夜風が桜の髪と袴の裾を揺らす。
野盗たちが仮面の下から桜を見上げた。
鬼の仮面を被ったリーダーらしき男が叫んだ。
「怯むな!こっちは五人だ!」
鬼の声は若い。
まだ少年のようだ。
桜は野盗たちの体格を冷静に観察した。
(この者たち...子供だ)
明らかに大人ではない。
体つきが幼い。
動きも粗雑で、訓練を受けた戦士ではない。
そして野盗たちが持つ武器に目を向けた。
(あの刀は...なまくらか)
鬼が持つ日本刀は刃こぼれがひどく、切れ味がない。
他の者たちが持つ小刀も同様だ。
おそらく誰かが捨てた武器を拾ったのだろう。
桜は刀を構えた。
(師匠以外との対人戦闘は初めてだな...)
稽古用の刀──刃は潰してあるが、打撃武器として十分な威力がある。
桜は屋根から静かに飛び降りた。
着地の音はほとんどしない。
地面に降り立った桜の周りに、薄く砂埃が舞い上がった。
そして──一瞬だった。
桜の足が地を蹴った。
風を切る音。
般若の仮面の少年が気づいた時には、既に桜は目の前にいた。
「え──」
般若が声を上げる間もなく、桜は刀の峰でその手首を打った。
「痛っ!」
般若の小刀が手から落ちた。桜は続けて刀の柄で腹を突いた。
般若は膝から崩れ落ち、苦悶の声を上げている。
「速い...!」
鬼が驚愕の声を上げた。
野盗たちに動揺が走っている。
わずか一瞬の出来事だった。
我に返った狐の仮面の少女は、小刀を強く握りしめて横から斬りかかってきた。
「やあーーーー!」
狐は悲鳴にも似たような声を上げている。
(女の子...!)
桜は刀で狐の攻撃を受け流した。
狐は小刀が大きく振られ、バランスを崩した。
その隙に──
桜は狐の手首を狙って刀の峰で打った。
「きゃっ!」
狐の手から小刀が離れ、地面に落ちた。
桜は小刀を足で遠くまで蹴り飛ばした。
「あ...」
狐は武器を失い、力が抜けたようにその場にへたり込んだ。
桜は戦意喪失した狐に刀を向けず、その視線は次の野盗たちに向けられた。
狸の仮面の少女が震えながら剣を構えた。
「こ、来ないで...!」
幼い声だ。
桜は狸に近づいた。
(怖がっている...)
狸が小刀を振るった。
しかしその動きは鈍い。
恐怖で体が固まっているのだろう。
桜は小刀を躱し、狸の手から小刀を取り上げた。
「痛い!」
桜は静かに言った。
「もう戦わなくてよい」
「...」
小刀を失った狸は呆然としたまま突っ立っている。
桜はわずか数十秒で3人を無力化した。
残るは鬼と天狗の二人となった。
鬼が叫んだ。
「みんな...!」
制圧された仲間たちを見て拳が震えた。
(くそっ...俺が、俺がみんなを守らなきゃいけないのに...!)
鬼は天狗に小声で話しかけた。
「...二人で同時に攻めるぞ」
「兄貴...」
「俺が正面から攻撃する。お前は横から挟み撃ちだ」
「...わかった」
二人は剣を構えた。
「行くぞ!」
鬼と天狗が同時に桜に向かって突進した。
桜は鬼と向き合った。
なまくらの日本刀が桜に迫る。
桜は刀で受け止めた。
ガキィンッ!
(この者...他の者より力がある!)
その時──桜は気配を感じた。
(背後...天狗か)
天狗が小刀で桜の背後から斬りかかってきた。
桜は冷静に状況を判断した。
(躱せば問題ない。しかしそれでは鬼に当たる可能性が...)
桜の視界の端に、ウォードが動くのが見えた。
(騎士殿が...!)
その瞬間──
ガキィンッ!
金属音が響いた。ウォードが盾で天狗の小刀を弾いていた。
「守月殿、背後はお任せを!」
「騎士殿、お願いいたす」
桜は敢えてウォードに任せた。
(一人でも対処できるが...騎士殿と連携した方が確実だ)
ウォードは盾を構え、天狗と対峙した。
桜は鬼に集中した。
(騎士殿を信頼しよう。我は正面に専念する)
桜は攻撃に転じた。
鬼は桜の攻撃をなんとか受け止めたが、徐々に押された。
一方、ウォードは盾で天狗の攻撃を防いだ。
「くそっ!」
ウォードは冷静に防御を続けた。
桜とウォード、二人の連携が野盗を圧倒していった。
「うおおおっ!」
鬼の刀が桜に迫った。
桜はひらりと躱した。
ガンッ!
地面に刀が当たった。
(力任せだ...それに、刀身がなまくらで切れ味がない)
桜は刀の峰で鬼の腕を打った。
「ぐっ...!」
鬼は怯んだが、柄を強く握りしめて離さなかった。
(この者...粘り強い)
桜は対峙する鬼の目を見た。
仮面の隙間から見える目は、必死さが滲んでいた。
(この者は...仲間を守ろうとしている)
桜の胸に複雑な想いが込み上げた。
(我も、かつて何かを守るためこのように必死だった)
桜は師匠・影虎の教えを思い出した。
───「いいか、桜。刀ってのは、命を奪うためにある。それは事実だ」
───「だが、本当に強い侍ってのは、刀を抜かずに済む方法を知ってる奴のことを言うんだ」
───「峰で打つ、柄で突く、鞘で防ぐ──刀には斬る以外にも、使い道がある」
───「相手を殺さずに止められるなら、それが一番強い。なぜなら、命を奪うのは簡単だが、命を守りながら戦うのは何倍も難しいからだ」
───「弱い奴ほど、すぐに刃を向ける。本当に強い奴は、刃を向けずに勝つ方法を知ってる」
───「お前には、その強さを身につけてほしい」
師匠の言葉が、桜の心に響いた。
(師匠...我は、あなたの教えを忘れていません)
桜は刀を構え直した。
(相手は子供だ。この者たちを傷つけずに止める。それが、我の使命だ)
桜は鬼に向かって踏み込み、何度も打ち合った。
その瞬間──
バキィッ!
桜の刀がなまくらの日本刀を叩き折った。刀身が真ん中から折れ、地面に落ちた。
「な...!」
桜は続けて刀の柄で腹を突いた。
「ぐはっ!」
勢いよく膝をついた鬼の仮面の首元に刀の峰を当てた。
「...勝負あった」
鬼は静かに観念したようだ。
「...くっ」
桜は視線を横に向けた。
ウォードは既に天狗を盾で押さえつけ、制圧していた。
「くそっ...!」
「抵抗しても無駄だ。おとなしくしろ」
戦闘の終了を確認した。
桜は静かに刀を鞘に納めた。
◆ ◆ ◆
戦闘が終わり村人たちは安堵のため息をついた。
「...終わったのか」
「助かった...」
緊張が解け、その場に座り込む者もいる。
ウォードと村人たちが野盗たちを縄で縛り上げた。
仮面は既に外され、地面に無造作に転がっている。
鬼、天狗、般若、狐、狸、お多福、狛犬──七つの仮面が、月明かりの下で不気味な影を落としている。
エスペラは桜を見つめた。
(この方は...本当に強い)
桜は野盗を一人も殺さず、傷つけず、ただ無力化した。
エスペラは縄で縛られた野盗たちに目を向けた。
仮面を外された彼らの素顔が、月明かりに照らされている。
リーダーは15歳ほどの少年だった。
頬はこけ、目の下には隈がある。
明らかに栄養不足だ。
他の子どもたちも同じように痩せこけている。
皆、幼い顔をしていた。
エスペラは胸が痛んだ。
(この子たちは...おそらく捨て子でしょう)
エスペラは縄で縛られた子どもたちに静かに問いかけた。
「あなたたち...いつから盗みをしているの?」
「...覚えてない。ずっと前から」
痩せこけた少女が答えた。
「お腹が...空いて...」
エスペラは膝をついて、少年少女たちと目線を合わせた。
「あなたたちは悪くない」
「...え?」
リーダーが驚いた。
「悪いのは、あなたたちを捨てた社会です」
事態の収束を聞き、駆けつけたリリアにエスペラは指示を出した。
「リリア、すぐに温かい食事を用意して。それにウォード、この子たちの縄を解いてあげて」
「はい、お嬢様!」
ウォードが縄を解いた。
子どもたちは驚いたように手首をさすった。
リリアは急いで炊き出しの準備をした。
やがて温かいスープと柔らかいパンが配られた。
子どもたちは最初、警戒していた。
しかしエスペラが微笑んで言った。
「どうぞ、召し上がって」
一番小さい少年が我先にとスープを口に運んだ。
木製のスプーンが震えている。
熱いスープが口の中に広がる瞬間──
「...!」
少年の目が大きく見開かれた。
その瞳に、月明かりが映り込んでいた。
「美味しい...!」
声が震えている。
涙が頬を伝った。
小さな少女もパンを両手で掴み、むしゃぶりついた。
「温かい...こんなの、初めて...!」
柔らかいパンが口の中でほぐれる。
少女の頬が紅潮し、涙がぼろぼろと落ちた。
小さい子どもたちが嬉しそうに食べる姿を見て、渋っていたリーダーもスープを口にした。
「...っ!」
リーダーの目から思わず涙が溢れ出た。
「美味い...こんな美味いもの、初めて食った...!」
月明かりの下、小さな子どもたちが涙を流しながら食事をしている。
エスペラの胸に、痛みにも似た感情が広がった。
(この子たちは...どれだけ飢えていたのでしょう)
エスペラはその姿を優しく見守っていたが、桜にはその顔がどこか悲しそうにも見えた。
◆ ◆ ◆
食事の時間が終わり、村に静けさが戻りつつあった。
子どもたちはアルフレッドが用意した毛布にくるまり、安らかな寝息を立て始めていた。
エスペラが桜に近づいた。
「守月桜様、少しお話してもよろしいですか?」
「承知した」
二人は村外れの小高い丘へ移動した。
そこは村全体を見渡せる場所だった。
月明かりが二人を静かに照らす。
夜風が二人の髪を優しく揺らしている。
エスペラは村を見下ろしながら口を開いた。
「あなたは...とてもお強い」
「恐れ多いです。我はまだまだ未熟者です」
エスペラは微笑んだ。
その横顔が月明かりに照らされている。
「謙虚ですね。でも、あなたの剣は本物です」
桜は頭を下げた。
エスペラは桜に向き直った。
「そして...あなたは優しい」
「...?」
「あの子たちを傷つけず、制圧しました。それは簡単なことではありません」
桜は滅多にない他人からの称賛に少し照れた。
「師匠の教えです」
エスペラの目が優しく細められた。
(この方は...本当に人を見る目をお持ちだ)
桜はそう感じた。
エスペラは真剣な表情になった。
夜風が止み、辺りが静まり返った。
「守月...という名前。もしかして、ルナガルド家と関係が?」
桜は驚きで目を見開いた。
(何故、我が一族の名を...?)
心臓が早鐘を打った。
「...はい。我が先祖は、かつてルナガルド姓を名乗っていたと聞いております」
エスペラの瞳が輝いた。
月明かりに照らされたその表情は、まるで長年探し求めていた宝物を見つけた子どものようだった。
「やはり...!」
エスペラは真剣な表情になった。
その声に力がこもった。
「ルナガルド家は、かつて我がソルレグ王国を支えた忠臣でした。
しかし数世代前、ある理由でこの地に移り住んだと聞いています」
桜は驚愕した。
頭の中が真っ白になった。
(我が一族が...王国の忠臣!?)
父が遺したレイピア。
墓前に刻まれた言葉。
すべてが繋がり始めた。
「先王の日記に記されていました。『ルナガルド家の末裔を探せ』と」
エスペラの声が夜の静寂に響いた。
「何故...我が一族を?」
桜の声が震えていた。
エスペラは優しく微笑んだ。
月が雲に隠れ、また現れた。
「それは...明日、詳しくお話ししましょう。
今は、あなたにお願いがあります」
「...お願い?」
エスペラは桜の目をまっすぐに見つめた。
その瞳には強い意志が宿っている。
「私は...あなたを探していました。
あなたの力を私に貸してほしいのです」
桜は驚愕した。
時が止まったような感覚。
(我が、王女に...?)
頭が混乱した。
エスペラの声が優しく響いた。
「突然こんな話をしてしまって申し訳ございません。詳しくはまた明日に。今夜は疲れているでしょうから。ゆっくり休んでください」
「...はい」
エスペラは微笑みを絶やさない一方、
桜は混乱しながらも、エスペラの言葉に頷いた。
(一体、何が起こっているのだ...?)
頭の中でさまざまな思いが渦巻いていた。
エスペラの横顔を見つめながら、桜は思った。
(この方こそ...我が仕えたかった主君のような方だ)
桜の胸に、温かいものが込み上げた。
長い放浪の末に、帰る場所を見つけたような──そんな感覚だった。
月が二人を静かに照らしている。
村は平和を取り戻し、子どもたちの安らかな寝息が風に乗って聞こえてくる。
桜は夜空を見上げた。
満月が、優しく微笑んでいるように見えた。
その時、夜風が吹いた。
どこからともなく、一枚の桜の花びらが舞い降りてきた。
月明かりに照らされた花びらが、桜の手のひらに静かに落ちた。
桜は花びらを握りしめた。
新たな冒険が始まる予感がした。
【第2話終了──第3話に続く】




