06. レクリエーション
宿泊室に戻ると、小山が「おかえり。どうだった?」と声をかけてきた。
さっき顔を合わせたばかりだというのに不自然に距離が近い。いいながら笑う口元が、不安げに震えているのも気になった。
「広くてよかったです。いい湯でした」
「そうか。困ったことがあったら、いつでも言えよ」
「ありがとうございます」
小山がそれで会話を終わらせるように目線を落としたので、僕も軽く会釈して自分のベッドに向かった。
奈路は黙々と文庫本を読んでいる。安藤は机に向かって何かノートに書き込んでいた。
「それ、何してるんですか?」
安藤に声をかけると、少し驚いたように顔を上げた。
「別に。日記書いてる」
「結構マメなんですね」
返事はなかった。
ベッドに入って寝てしまってもよかったが、ふと思いついたのでもう一つ尋ねることにした。
「皆さんってここに来て何日目なんですか?」
安藤が顔をあげる。
「俺と奈路くんが三日目で、おっさんは――」
「俺は五日目だな。あと二日でお別れだ」
小山が会話に割り込んで言った。少し声をひそめて続ける。
「でも冷笑罪ができてから、ほぼ五年間一度も施設を出られてない奴がいるって噂、知ってるか?」
「そんな人いるんですか?」
「例えば海外で、怒りやすい人を三人集めて共同生活させたら、二人はちゃんと治ったのに、一人だけどうしても治らなかったらしい。冷笑も同じで、必ず一人は治らない奴が残っちまうんだと。そいつ、もうここに住み着いちゃってるって話だよ」
部屋の空気が、一瞬ひんやりとした。
「まあ、あくまで噂だけどな」
「僕は一週間で出たいです」
そう言うと、安藤も小さくうなずいた。
***
翌日は部屋のスピーカーからクラシックが流れて目が覚めた。ペール・ギュントの朝だ。林間学校のような選曲だった。
身を起こして時計を見ると七時ちょうどだった。
ほかのルームメイトも同様に、欠伸をしたり伸びをしたりしながら身を起こしている。
年長の小山が舌打ちをしたあと、濁点のついた文字にならないようなうめき声をあげた。少し不快だった。
建付けの悪いドアを開くと、ガラガラと音がなった。目をこすりながら洗面台に向かう。
手に水を溜めて顔を洗っていると、隣から声をかけられた。
「おはよう。隣の人?」
「おはようございます。昨日入ってきたんです」
持ってきたタオルで顔を拭う。声の主の顔を見て、一瞬固まってしまった。
「どうしたの?」
声の主はそう言って不思議そうに苦笑する。
「ここって、女性も収監されるんですか?」
頭の中に浮かんだ疑問をそのまま口にした。声を掛けてきたのが女性だとは思わなかった。
耳にかかるくらいのショートボブの女の子が目の前に立っている。女の子は、目を丸くして、笑いをこらえるような顔をしている。
「そいつ男だよ」
安藤が言った。洗面台に備え付けられた鏡を見て、舌打ちしたあとに長髪についた寝ぐせを整え始めた。
「言わないでよ。黙ってた方が面白いじゃん」
「声で分かるだろ」
言われてみると、たしかに声が低かった。顔を拭いていて声だけ聞いたときに男だと思ったから、姿を見てそのギャップで驚いたのだ。
収容者は、職員もそうなのだが、基本的に胸に名札をつけている。彼の胸の名札には小島とあった。
「小島さん」
「小島理央だよ。よろしく、あがつまさん?」
「吾妻弘樹です」
「ワイ君、髪触らしてー」
言いながら小島は、安藤の返答を待たずに長髪をわしゃわしゃと触った。
「やめろ。寝ぐせとってんだよ邪魔すんな」
「切ればいいのに」
「面倒くさい」
「そっちの方が面倒くさいでしょ」
「うるさい」
二人で話し始めたので、僕はその場を離れた。
***
食堂に行くと、時間が早いからか殆ど人はいなかった。薄緑いろのお盆をとって、細長いカウンターを移動しながら、白衣を着たおばあさんが配膳する食事を一皿ずつ受けとる。
薄い青色のラインが入った皿。ダークブラウンの木目のついた箸。
利用する食器はすべて、学校給食で利用しているものをそのまま流用していた。
最後に小さな紙の牛乳パックを受け取って、食堂の中の一人も座っていないテーブルに座る。
食事に箸をつけていると、隣の椅子が引かれて、同室の奈路が座った。
「おはようございます。奈路さん」
一応挨拶すると、奈路は何も言わず小さくうなずいた。眠そうに目をこすると、食堂の壁に掛けられた時計を見て言った。
「今日、八時にレクリエーション室集合だから」
「レクリエーション室ってどこですか?」
「体育館」
「ありがとうございます」
礼を言うと、また小さくうなずいた。
冷笑罪の根幹をなすというレクリエーション。
その具体的な内容を聞くか迷ったが、聞かないことにする。せっかく秘密にされているのだから、自分で実際に体験するまでは、知らないほうが面白いだろう。
その後小山と安藤も合流し、食事を終えたあと、宿泊室に戻った。
施設のリーフレットに、レクリエーションを行う際は動きやすい運動着に着替えることとあった。
そのため、ジャージも用意していたが、前日に運動着が支給されており、ルームメイトの三人が皆それを着ていたため、僕も用意してきたものではなく、運動着を着ることにした。
支給された運動着は、胸に「能礼」と刺繍があるだけの、無地のパイル地のシャツと、同じく腰のあたりに刺繍のあるハーフパンツだ。着心地は悪くなかったが、そのデザインは学生時代に戻ったみたいで、少し恥ずかしかった。
僕が運動着を着るのを見守っていた小山は、それでいいとばかりに満足そうにうなずいた。
「ださいだろ。でも着た方が得策だ。個人を特定されるものは、できるだけ避けた方がいい」
一体これから、何をさせられるのだろう。
「一つだけ教えておく、教官の言うことには絶対に逆らうな」
***
外廊下を歩く。体育館は校舎とは別棟で、昨日最後に入った大浴場の隣にあった。
体育館の鉄扉の前まで来ると、一度立ち止まる。
レクリエーションがどんなものなのか、まだわからない。この先にあるのだ。
そんな風に物怖じしていると、小山が「なんだ。入らないのか」と言って、あっさりとその重い扉を開けてしまった。
体育館は静かだった。ただ一人。昨日宿泊室に行く途中で顔を合わせた、レクリエーション担当の上田だけが、体育館の中央で腕を組んで立っている。
前日はスーツだったが、今日は上下にオレンジのトラックジャケットを着て、長い髪をシュシュで短くまとめていた。
上田は僕たちを見ると、手をパンパンと二回叩き、「集合!」と短く怒鳴った。
あまりに唐突だったので、僕はびくりとした。周りのルームメイト達が迷うことなく彼女のもとに駆け寄り、体育座りをしたため、遅れてあとにつく。
彼女は僕を睨み、「遅い!」と短く怒鳴った。苦笑すると、それも気に食わなかったらしく、「立て」といった。
「すみません。初めてなので、どういう感じか知らなくて」
愛想笑いを浮かべながら立ち上がる。しかし、彼女にはまったく通用していないようだった。
上田の表情には怒りしかなく、昨日廊下であったときに愛想を振りまいていた様子とは、あまりにも違っていた。
どういうことだ。二重人格なのか。
「いいわけはいいから。踊れんの?」
「は? 踊る?」
聞き間違いかと思った。社会人にとって、日常で聞かない動詞だ。
「踊れんのかって聞いてんだろうが!」
僕は助けを求め、ほかのルームメイト達の方を見る。小山が、ゆっくりと首を縦に振った。
頷けということだろう。
(「一つだけ教えておく、教官の言うことには絶対に逆らうな」)
直前にもそういっていた。
「は、はい! 僕踊れます! 踊ります!」
僕が叫ぶと、上田はにやりと笑った。昨日とは違う、声を出さないいやらしい笑みだった。
「じゃあ踊ってもらおうか」
そういうと、上田はジャージのポケットからiphoneを取り出した。
僕のほうにスマホのカメラを向けると、体育館の天井に設置されたスピーカーから、どこかで聞いたことがあるような音楽が再生された。
何もできず立ちすくんでいると、音楽が止まり、上田は僕のほうに向けていたスマホを降ろして叫んだ。
「おい!! 踊れんじゃないのかよ!!」
「いや、なんか振付とか」
まさか何もなしでいきなり始まると思っていなかったためにそういうと、上田は間髪を入れずに叫ぶ。「んなもん自分で考えんだよ!!」
「えぇ」
「ほら、行くぞ!」
もう一度音楽が再生される。リズムに合わせて横に揺れるくらいしかできなかったが、上田は意外とほめてくれた。
「いいじゃん!! 凄くいい!! 手もつけてみようか!!」
いいのか。これでいいのか? その声かけに従って、手を適当に振ってみると、「いいよぉ!いいよぉ!」と反応は上々だった。
上田への恐怖もあり、その声掛けにノせられるままに、最終的に両手で耳を作ってぴょんぴょん跳ねるという奇妙なダンスが完成した。
彼女は「いいよぉ!!かわいいよぉ!!」と言っていたが、そんなわけはなかった。それに、ずっと踊っている様子をスマホに収められているのも気になった。
「あの、そのスマホで撮ってるやつってどうするんですか?」
僕が尋ねると、彼女は一気に不機嫌になった。
「別にどうもしないよ。なに、どうでもよくない?」
いやどうでもよくない。今撮った映像を彼女がネットの海に放とうものなら、社会的に死んでしまう。
「や、その、恥ずかしいというか」
「恥ずかしくないよっ。凄くいいダンスだったよ? 見てみる?」
そういうと、彼女は先ほど撮影した僕の痴態を再生した。
三十近い男が、息切れしながらかわいい音楽に合わせてぎこちなく踊っている。予想通りとてつもない代物だ。
画面の中で踊っているのは紛れもなく自分なのに、なぜか他人のように感じてしまうのは、あまりの羞恥で脳が理解を拒否しているからだろう。
次の瞬間、彼女はとんでもないことを言った。
「可愛すぎるなぁ。tictoc上げたら絶対バズるよこれ」
「勘弁してください」
僕がそういうと、上田は首を傾げた。
「どうして? すごくいいじゃんこのダンス」
「いや、こんなの知り合いに見つかったら――」
「見つかったらなに? 冷笑されちゃう?」
冷笑されるの一言ではっとした僕が顔を上げると、上田と目があった。彼女はニヤニヤと笑っていた。
そのときようやく、このレクリエーションの趣旨を理解する。tictocのダンスのような、世間で冷笑されがちなものを、あえて強制的にやらせるのだ。
きっと冷笑に対する対症療法のようなものなのだろう。
「まあ安心してよ。そんなことしないから。素直にいうこと聞いてくれる限りは」
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