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16. 超人(Übermensch)

 配信を始めてから一時間程度が経過した。冷笑罪についてのお互いの見地を話し終えると、お互いにもう、この相手と話すことはないという感じになった。

 二三こちらから近況を尋ね、返された答えに適当に相槌を打つ。平岡からも、僕がこれから何をするつもりか聞かれ、無難な答えを返したと思う。

 平岡がふと言った。

「ミットやりますか? 折角来てもらったんで」

「ミットですか?」

「対談のあと、大体いつもやってもらってるんです」

 そういうと、座っていたパイプ椅子を片付け始める。もうすることは決まっているらしいと苦笑しながら、僕も手伝って、パイプ椅子をケージの外に出した。

 最初から武器を使うつもりはなかった。だから構わない。


 平岡が両手にミットを構えて戻ってくると、片手をあげて言った。

「はい、ジャブ」

 言われた通りに構えられたミットにジャブを打つ、振りをして、僕はガラ空きのボディに右フックを繰り出した。


 頭ではなく腹を狙ったのは、その方が避けにくいだろうと判断したからだ。しかし、平岡は瞬時にステップを踏んで下がり、距離を置くと同時にミットを下げてフックをしっかりと受け止めた。

「ボディじゃなくてジャブですよ」

「すみません」


 僕は頭を下げて謝り、その動作の流れのまま、腰を下げてタックルした。平岡はボディを繰り出された時点で分かっていたのだろう。両足を抜き、タックルよりも低い体勢で僕の両脇を取ると、倒れずに堪えた。

 ただ、僕もここまでの流れは読んでいた。

 未経験とは言え、かなりの体重差がある。だから平岡側からすると、このまま僕を押し倒してマウントポジションを取ることは不可能だった。

 取りうる手段としてはいくつかあったが、そのとき平岡が選択したのは、足を掛けての投げだった。

 その選択をした直後に、平岡は異常に気付いた。両手が抜けない。なぜならでかいミットを付けているからだ。

「一本もらうぞ」

 左手を外し、平岡の右手だけを脇に残したまま、両手でクラッチを組み、そのまま強く締める。

 何かが折れる音がすると同時に、平岡が声にならない叫びを上げる。

「遅延は五分だったな」

 僕は蹲る平岡の鳩尾に、つま先をめり込ませる。

「その間に終わらせてやる」

 三日月蹴りをしたつもりだったが、格闘家の腹筋は鍛えられていて、あまりきれいには入らなかった。


 平岡は一歩下がると、両手のミットを噛んで外した。右手は肘関節から先があらぬ方向に折れ曲がっている。

 僕を睨みつけて尋ねる。


「何がしたいんだ?」

「むかつく顔の奴をボコボコにしたくて」

 ニヤニヤ笑いながら答えると、平岡はさらに嫌悪を深めた顔になる。


「ならリングに上がれよ」

「興味ないんですよね格闘技に」

「あんた最悪だな」

 

 最悪だなと言い切る前に、平岡は高速でステップを踏み、僕にハイキックを繰り出した。

 あの動画と同じハイキック。ただし、画面越しに見るのと、こうして目の前で実演されるのとでは、スピード感が全く違った。


 平岡から話しかけられた瞬間に、その会話が時間稼ぎのためか、何かから注意をそらすためのものであることは察していた。

 怒っていたからではなく、まあ試合をする格闘家の体に大怪我をさせたのだから、実際本当に腹の底からブチ切れているだろうが。平岡が文句を言ったのはその怒りを表明するためではない。

 

 だから、こうして会話を遮るようにして隙をつかれることは想定していて、注意を怠ってはいなかった。

 しかし、平岡が繰り出したハイキックに対して、それが僕の側頭部にめり込むまでに僕ができたことは何もなかった。

 配信のカメラには、あの動画と全く同じ構図が映っていただろう。ハイキックをする平岡と、それをくらい、倒れる相手。


 その動画とは違い、僕はまだ意識を失ったわけではなかった。後ろに腕を着いて、もう片方の腕で前手を構えながら、所謂柔術立ちで起き上がろうとする。


 しかし、平岡がそれを許すわけはなかった。前手を巻き込み、僕の顔面に膝蹴りをすると、そのままマウントポジションを取って、左手の鉄槌でパウンドを叩きこむ。

 拳は固く、重かった。

 比喩ではなく、岩石のように固い拳が、頬に当たり、容易にその骨を砕いた。鼻骨、頬骨、眼窩底。

 鉄槌は何度も振り下ろされた。両腕で顔を庇ったが、素手の拳は、その隙間を容易にすり抜ける。

 

「殺してやる。脅しじゃないぞ」

 そんなことはわかっている。平岡は自分の身体に言い聞かせるために言ったのだろう。微塵も容赦をせず、確実にコイツを殺すのだと。


 口の中でコロリと音が鳴る。口の中に小石が入ったみたいだったが、それは僕の奥歯だった。

 抜けた奥歯を、口の中に溜まった血と一緒に、平岡の目を狙って吐き出した。左腕で顔を覆った一瞬。その一瞬の隙で僕は、平岡の左腕を掴んだ。


 平岡のもう片方の腕は折れている。これでもうパウンドは打てない。それに。

 もう一度、今度は血だけを吐き出す。腕を使えない平岡は両目を閉じた。右手を離し、平岡の左腕を解放する。そして、平岡の耳を掴んだ。

 ここで目を潰す選択肢もあるが、血で滑る状態で、平岡が顔を振るだけで不発に終わる可能性がある。

 耳ならば容易に掴める。僕は迷うことなく、掴んだ耳を引っ張る。根本が裂け始めると、生理的な反射で体を押さえつける力が弱くなる。マウントポジションを取っていた平岡の体を押し返すと、立ち上がった。


 息が苦しい。長時間パウンドを打たれたせいで鼻が折れて気道がふさがり、口でしか呼吸が出来ない。

 右手が折れた平岡は、なにも怯むことなく残った左手だけを構えている。呼吸は殆ど乱れていない。

 鋭い目は眼前の敵を睨みつけ、とてつもない殺意を放っている。


 僕は自分が後悔していることに気づいた。

 戦況としては、利き腕を破壊した僕のほうが、まだまだ優位に立っている。でも心の奥底で後悔をしている。

 はっきりと、自分が死ぬ予感がしたのだ。

 僕は今日ここで、この男に超えられる。それはなぜか不思議と、運命づけられていることのようにも感じた。

次話で完結予定です

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