14. 冷笑稼業
白一色の無機質な空間だと思ったが、リングの床をよく見ると小さな傷やシミが多い。
ここで実際にトレーニングが行われている証だろう。
「結構体大きいですよね。何かやってたんですか?」
生配信が始まり、挨拶と簡単な紹介がおわったあと、平岡が言った一言目がそれだった。
確かに、平岡と僕の身長はほとんど同じくらいだったが、体は僕の方が大きかった。
現役の格闘家である平岡も、もちろん筋肉はある方だが、現役の格闘家だからこそ、常に自分の体重を階級に合わせる必要があるため、つけられる筋肉量には上限がある。
「収監されてる間暇だったから、よく筋トレしてたんですよ」
「本当の囚人みたいですね」
「いやあ、本当の囚人でしたよ。インターネット禁止でしたし」
「ええ。でもDMで対談の依頼したとき、返事くれましたよね。あのときって収容中じゃなかったんですか?」
「まあ原則禁止ってだけで使えるタイミングっていうのはあるんですよ。長く居ましたからね。ただ、これの詳細を言うと、今入ってる人たちとか、これから入る人たちに迷惑が掛かるので、この場では言えないですけど」
平岡は相変わらず無表情のままだった。何を考えているか分からないという類のものではない。元来感情の起伏が少ないのだろう。
常に何かを覚悟しているようにも見える。もしそうだとしたら、その覚悟の対象はきっと死だ。なんとなくそう直感すると同時に、僕はどうでもいい質問を一つ述べた。
「どうして対談に誘ってくれたんですか?」
「やすゆきさんって、一時期討論番組に出たりして、切り抜きとかも凄い人気だったじゃないですか」
「最近の人は、もうほとんど知らないと思いますけどね」
「冷笑って言葉が流行って、冷笑罪ってものができてからですよね。やすゆきさん自身はそのことについてどう思ったり感じたりしてるのかなっていうのが聞きたかったので呼びました」
「そうですか」そう言って、少し間を開けてから答える。「まあ、別になんとも思ってないですよ」
すると、この日初めて平岡が笑った。
「そんなわけないでしょ」
「本当にそうなんですよ」
「いや、さっき言ったみたいに五年間インターネット禁止だったりしたわけでしょ。辛くなかったんですか?」
「それはもちろん辛かったですよ。ただなんというか、僕自身がキャンセルされることについては、別になんとも思わなかったですね」
平岡は無言で頷いた。その後に言った。
「冷笑罪自体については、どう思ってますか?」
「まあ、一言で言ったら悪法ですかね」
今度も笑うかと思ったが、平岡は無表情だった。続きを促されている感じだったので、僕は続けた。
「これは勿論自分が収監されたからとかじゃなくて、法律で人の感情を制限するっていうこと自体に拒否感があります。この法律が作られた理念にも疑問があって、冷笑が意欲とか挑戦心を削ぐっていうのは分かりますけど、それでも無くした方がよかったり、やらない方がいいくだらないものっていうのは沢山ありますから。だから冷笑は、ある程度必要な淘汰圧だと思っています。人に笑われようが、最後までやり切る人はやり切りますからね」
「なるほど」
予想していた反応ではあったが、平岡は相槌を打つだけで、特に反対意見だったりを述べることはなかった。
対談という枠組みだったが基本的には聞き役に徹するようだ。ただ、このトピックに関しては平岡の意見も聞きたかったので僕から尋ねた。
「鷹さんは、冷笑罪に対してどう思ってるんですか?」
「どうでもいいと思ってます」
「それは賛成か反対かでいうとどっちなんですか?」
「賛成でも反対でもないですね。本当にあってもなくてもいいというか。僕、冷笑って全然したことないんですよ。最後にいつしたかも思い出せないくらいです。もしかしたら、生まれてから一度もしたことないかもしれない」
僕はそれを聞いても驚かなかった。平岡がそういう人物だということを、ずっと前から知っていたからだ。
そりゃそうだよなと、只々得心するだけだった。
「自分が絶対しないから、あってもなくてもいい」
「そうですね」
平岡は頷いた。
確かに僕も、例えばバク宙をしてはいけないという法律ができたとしてもどうでもいいと思うだろう。
僕はバク宙をしないからだ。それで困るのは体操選手ぐらいだろうし、体操選手だって他に色々な技を持っているだろうからそこまでは困らないはずだ。
冷笑罪がこのまま運用され続けたら、未来には全員が平岡のような人物になるだろうと思った。
人類の喜怒哀楽の感情から、冷笑がアンイストールされるのだ。
僕はその事については特に何も思わない。特段、賛成でも反対でもない。
しかし僕は、平岡鷹だけは許せない。それは何かの理念によるものではなくて、ただひたすら僕自身の個人的なトラウマと感情によるものだ。




