12. 知性と暴力
革張りのソファーに深々と腰を降ろす。目の前のテーブルには書類が載っていて、対面に座る三河は苦々しい表情でそれを見ている。
僕はうなじに手をあて、短く刈り込んだ自分の坊主頭をなでる。そのあとに尋ねた。
「ところで、施設出てからまた冷笑しちゃうとどうなるんでしたっけ?」
三河は、奥歯をかみしめ、さらに顔をゆがめた。
「注意を受けるだけだ。これ以上はもう収容されない」
「へえ、それは何よりです。でもそしたらこの法律って、結局なんの意味があるんですかね。僕、最後まで何の反省もしませんでしたよ」
「それは、冷笑をなくすことで、他社の挑戦や、創造や、努力を阻害しない社会を」
「へえ。それはすごいですね。大変立派な法律だ。僕も五年間、家賃と飯代が浮いてよかったです。ではでは」
三河が言い切る前に、それに被せていった。僕は顔に笑みを浮かべたまま、事務室から出た。
扉を閉めたあと、背中からテーブルを殴る音が聞こえた。
能礼小学校の外に出ると、まだ日が出ていて、暖かかった。伸びをして、欠伸をひとつ吐く。
収容されていた五年間は、施設から支給された服だけで過ごしてきた。外の気温は、久しぶりに袖を通した私服のパーカーに丁度よかった。
一人の男に声を掛けられ、振り向く。
「あなたも今日出所するんですか?」
無言で頷くと、また一つ追加で尋ねられた。
「どのくらいいたんですか?」
「まあ、ぼちぼちです」
「僕は最初一週間だったんですけどね、一か月に延びちゃったんですよ」
「そうですか。災難でしたね」
男が不意に静かになった。流石に答えに愛想がなさ過ぎたか。
何かを思い出そうとしているようだった。しばらくすると、はっと顔を上げる。
「あの、一回銭湯で会いませんでしたか?」
男の顔を見るが、記憶にない。五年もいたのだ。その中の一日で見た顔など忘れてしまう。
「ごめんなさい。覚えてないですね」
「そうですか。でも僕は覚えてますよ。初日に見て、何故か不思議と印象に残ってたので」
「はあ」
「でも初日に既に居たってことは、僕よりも期間が長かったってことですよね?どのくらいいたんですか?」
面倒くさい。この男は、なんでこんなに他人のことが気になるのだろう。お前の勘違いだと言ってはぐらかしても良かったが、これ以上会話が続くのも面倒くさかった。
片手をパーにして、目の前の男に見せてやる。
「五? いくつですか? 五週間? それとも五カ月?」
「五年ですよ。正確には、四年と十一カ月と二十七日ですが」
答えると、男は固まった。
車の音が遠くから聞こえる。周りに何もないからか、音がよく響く。
「迎えが来たみたいなので」
そういって男に背を向けて、車の方に歩く。
「あの、あなたもしかして」
背中から男が何か言いかけていたが、無視した。
車内には、煙草の匂いが籠っていた。堀川という名前の、中年の警官がハンドルを握っている。
後部座席に乗り込むと、パトカーはすぐに発進する。
堀川がいった。
「久しぶりの娑婆の空気はどうだ?」
「別に普通ですよ」
パーカーの袖に毛玉がついているのを見つけて、それを爪で千切る。強く引っ張りすぎて、糸が一本ほつれてしまった。
「五年も入ってたってのに、別に普通だったのかよ」
「ええ」
答えると、堀川が黙った。そのあとに、最初は小さく、だんだんと大きな声で笑い始めた。肩まで揺らして、堪えられないという様子だった。
バックミラー越しにその顔をじっと見ると、視線に気づき、目を合わせて続ける。
「テレビ出てたろ? 俺嫌いだったんだよあんたのこと。年寄りの学者に偉そうに説教垂れてやがったよな? 今どんな気持ちだよ? 冷笑罪とかいうワケ分かんねえ法律で、五年もム所にぶち込まれてさ」
「別に、普通ですよ」
「ああ、そうかよ。普通かよ。じゃあ私見を一つ述べていいか?
「どうぞ」
「ざまあみろ。お前は人生を失ったんだよ」
ほつれた糸を爪で挟んで引っ張る。糸は中々切れず、ずるずると延びていくだけだった。
***
巨大な空間は、白を基調とした内装に覆われている。空調ダクトや電線管がむき出しになった天井は白。四方の壁に作り付けられたロッカーも白。
空間の中央には、鉄網に囲まれた正六角形のリングがある。ボクシングやキックボクシングを行うための、四方にロープが張られた正方形のリングとは違う。
調和と完全性を表す六角形の中では、目つき金的を除くすべてが許されていた。このリングで行われるのは、総合格闘技と呼ばれる競技だ。
リングの中央。格闘家の平岡鷹が金網にカメラを固定して、今日この場所で行う生放送の、宣伝のための動画を撮影している。
「ごきげんよう。今日なんだけど、十九時からとある人と対談をします。いつもは動画撮るんだけど、今回は相手からの希望で、youtubeで生配信をすることになりました。19時頃に開始予定なんで、暇だったらチェックしてみてください。対談の相手は、まあ言っても良いんですけど。せっかく生配信なんで、始まるまで秘密にしときます。この動画のコメント欄で予想してみてください。それではご機嫌よう」
撮影した動画をその場でエンコードし、youtubeにショート動画としてアップロードしたあと、twitter、instagramほか、各種SNSにも同じように投稿する。
動画が公開されたとたん、いいねや高評価、リプライが増えていく。平岡は増えていく数字をしばらく無表情で見つめたあと、スマートフォンをポケットにしまった。
***
かなり長い時間無言でいた。
ほつれた糸が、髪の毛のように垂れている。ハサミがあればいいのだが、ここにはないだろう。あっても借りられなさそうだ。
車は高速を下り、一般道をゆっくりと走っている。東京に入ったことを確認すると、僕は言った。
「赤坂駅で降ろしてください」
「赤坂? 何するんだ? 羽田空港じゃなくていいのか?」
「はい」
「了解した。赤坂でいいなら、もうすぐ着くよ」
パーカーの、糸がほつれた方の袖を脱ぐと、糸の根元と端を、両手の人差し指にそれぞれグルグルと巻きつける。
「堀川さんは、五年間なにしてましたか?」
「なんだ。さっきの仕返しか。そうだな、別に何もしてねえよ。嘘ついてもいいけど、例のウイルスもあっただろ」
返事をせずに無言でいると、気まずそうに続ける。
「もしかしたら娑婆にいてもム所の中みたいに空虚な五年間だったかもな。どうだ? これで満足したか?」
一息に引っ張ると、糸はようやく、ちょうどいい長さで千切れた。
顔をあげ、バックミラーに映る堀川と目を合わせる。
「僕は今日、この五年間より、よっぽど濃い一日を過ごす予定です」
***
日が落ちている。
スマートフォンでQR画像を開き、透明なゲートにかざすと、青く点灯して開いた。
エレベーターに入ると、メッセージを送る。
「着きました。今上がっています」
意外にもすぐに既読が着き、「了解です」と返事が届いた。
扉が開く。
「待ってました。案内します」
平岡が、エレベーターの正面に立っていた。




