53:君とならどこへでも
「あー、ほんとに怖かった……」
漣里くんの教室から出るや否や、私は心底から呟いた。
自身の胸に当てた手から、ドキドキと心臓が騒ぐ音が伝わって来る。
鏡を見たら、私の顔は血の気が引いて真っ青になってるんじゃないかな。
一年校舎の廊下では数人が歩いている。
廊下の隅で震えながら大げさに息をついている私を見て、前を通り過ぎた女子生徒から怪訝そうな顔をされたけれど、体裁を取り繕う余裕もない。
あの後、漣里くんに「どこに行きたい?」と聞かれて、真っ先に挙げたのは彼のクラスのお化け屋敷。
漣里くんがせっせと近くのスーパーから段ボールを運んできたことも、下校時間ぎりぎりまでクラスの皆と色塗りや設営をしてたことも知ってるんだもの。
努力の結果がどうなったのか――彼女としては、お昼の空腹を満たすことより何より、気になるよね?
入り口である教室前方の扉の前で入場待ちをしている間に、中からは悲鳴や驚愕の声が聞こえて来た。
これはよほど怖いか、驚かされる仕掛けがあるに違いないと予想はついた。
だから、腹をくくったつもりだったんだけど――甘かった。
蛍光灯を赤や青のカラーセロハンで覆い、窓は暗幕や黒く塗った段ボールで塞いだ教室は、まるで異世界のようだった。
わずかな光ももらさないよう、徹底されて暗い中。
通路の脇には不気味な人形が置いてあったり、理科室から出張してきたと思しき人体模型や骨格標本が置いてあったりと、雰囲気たっぷり。
怖がりな私は、おっかなびっくり、漣里くんの腕にしがみついた状態で進んでいった。
途中では暗幕の割れ目から飛び出してきたお化け役の男子に驚かされ、悲鳴を上げた。
でも、ここで驚かされたんだから、もうこれ以上の衝撃はないだろう……と、安心したのが間違いだった。
最後の最後に、最大級の衝撃が待ち構えていた。
もうすぐ出口というところで、通路は暗幕に塞がれていた。
暗幕には『↑右端からめくって中に入った後、右を向いて立ち止まり、五秒後に目を開けてください』と指示する紙が貼りつけてあった。
ご丁寧にも、文字は毛筆で書かれていて、血しぶきのようなものが飛んでいた。
指示通りに私は恐る恐る暗幕をめくり、体の向きを90度変えて目を瞑った。
胸のうちで五秒数えて、目を開ける。
そこにはなんと、凄惨な男子の死体が!
彼は天井からつりさげられた小さなランプに照らし出されていた。
椅子に座って、のけぞるような体勢。
胸にはナイフの柄が突き刺さっていて、白い着物も顔も、全身血まみれ。
口の端から血が垂れていて、のけぞっているからよく見える首元には、縄で締め上げられたような痕がくっきりと。
しかも彼は、事切れていることを示すように、完全に白目を剥いてた。
あまりの惨状に、私は漣里くんにしがみついて絶叫した。
入り口から聞こえてきた悲鳴はこれを見てのことだったのだと、ようやくわかった。
パニックに陥る私の上から、しゅっと、追い打ちをかけるように、霧吹きで水がかけられた。
もう私は半狂乱。
漣里くんに抱きついて、その場から逃げた。
無我夢中で明るい日差しに満ちた廊下に出て、悪夢から解放され――そして、今に至る。
「そんなに驚いてくれて嬉しい。俺たちが頑張った甲斐があった」
漣里くんは私の反応が楽しいらしく笑っている。
「そりゃ驚くよ!? あんなの見て驚かずにいられる!?」
一人だけ余裕たっぷりな態度が悔しくて、私は半泣きで訴えた。
「本格的すぎない!? 特に最後の、あれ! どうなってるの!? ナイフ! 刺さってたんだけど!!」
「あれはおもちゃのナイフ。突き刺したら刃が引っ込むおもちゃ、知らない?」
「そんなおもちゃあるの!? じゃあ、あの、いかにも本物っぽい血は!?」
「はちみつと食紅を混ぜて作った血のり。首元の痕は女子が適当に、化粧道具で何かやってた」
「……い、生きてるよね? あの人」
「当たり前だろ」
私の怯えっぷりがよほど面白いらしく、種明かしをしている漣里くんの口元からは笑みが消えない。
「前に、俺白目剥けるって自慢してたから、じゃあ幸太郎がラストで死体役になれって、全員一致で決まった。真白が俺にしがみついてるとき、あいつこっそり親指立ててきたよ」
「そ、そうなんだ……?」
生きていたのなら良いけど。
いや、生きてなきゃ大問題だけど。
でも、本当に死体になりきってたんだよあの人!!
「さすがにずっと白目剥いてるのは辛いだろうし、適当で良いよって皆、言ったけど。俺と真白が来るから頑張ってくれたんじゃないか」
「……うん。本当に怖かったですって、幸太郎くんに伝えといて」
微笑むと、漣里くんはわずかに首を傾げた。
これまで怯え切っていたのに、急に私が笑ったのが不思議だったのだろう。
「ううん。あの死体役の男子は、幸太郎くんっていうんだなって。下の名前で呼ぶほど親しい友達が、相川くん以外にもいるんだなって、ちょっと感動しちゃった」
漣里くんは少し困ったような顔をした。
「……本当、真白はたまに俺の保護者みたいなこと言うよな」
「ええ。そりゃあ、屋上で一人寂しく読書してた姿も見てますから」
背後で手を組み、意地悪く笑って見せる。
漣里くんは分が悪いと見たのか、目を逸らした。
「もうそんなことない……」
「うん。それは何より」
私は笑いながら頷いた。
漣里くんがいま、幸せそうで、何よりだ。
「じゃあ、もうこれ以上ないってくらいに楽しませてもらったことだし、私、いったん教室に戻るね」
そろそろ一時間のタイムリミットだ。
「この服、五十鈴に渡さなきゃ。すぐ戻るから、次どこに行きたいか考えといてね」
「どこでも」
漣里くんは即答し、唇の両端を上げた。
「真白が一緒なら、どこでもいい」
「…………」
その笑顔と言葉は、私の胸を強く打った。
「私も」
気づけば私も笑っていた。
「漣里くんがいるならどこでもいいや」
だって、漣里くんがいるだけで、私は幸せなんだもの。




