49:二度目のキス
翌日の午後、二時半過ぎ。
私は成瀬家のリビングで歓談に興じていた。
この場にいるのは漣里くんと葵先輩、それと私の三人だけ。
漣里くんのお母さんは気を遣ってくれたらしく、ついさっき買い物に出て行き、お父さんは仕事中だ。
「漣里が真白ちゃんを担いで来たときは本当に驚いたけど、まさかこんな未来になるとは思ってもみなかったよ。学校で一番有名なカップルになったよね。昼食は仲良く一緒に食べてるって、僕の耳にも届いてるよ」
ブラックのコーヒーを片手に、葵先輩は微笑んだ。
「野田の件も含めて、真白ちゃんには本当にお世話になったね、ありがとう」
「いえいえ、そんな。私は何もしてませんよ。解決してくださったのは葵先輩じゃないですか」
急いで手を振る。
「小金井くんもすっかり葵先輩の虜ですよ。一体どんな話をされたんだろうって、凄く気になってました」
「大した話はしてないよ。大変だったねって慰めて、具体的に野田たちにどんなことをされたのか聞いただけ。ちなみにその後、野田たちとも話したよ」
「……どんな話をされたんですか?」
「世の中には知らない方がいいこともあるんだよ、真白ちゃん」
葵先輩はニッコリ笑った。
笑顔が!! 笑顔が怖い!!
「はい……聞かないでおきます……」
「賢明な判断だ。とにかくこの先、あいつらが漣里に関わることは二度とないよ」
何故か自信たっぷりに断言して、葵先輩は漣里くんに目を向けた。
「小金井くんは野田のご両親から謝罪の言葉と、慰謝料を含めた相応のお金を受け取ったみたいだけど。漣里が受け取ったのは怪我の治療費だけ。ほんと、我が弟ながらお人よしすぎて困る。腫れた漣里の顔を思い出すと、いまでもぞっとする。あのとき僕は冷静を装ってたけど、物凄く我慢してたんだよ? 自制しないと野田たちに何をするか自分でもわからなかったからね」
「……迷惑かけてごめん」
苦い顔をしている葵先輩に、漣里くんは軽く頭を下げた。
「色々、ありがとう」
もしかしたら、漣里くんが葵先輩にはっきりとお礼を言ったのは初めてだったのかもしれない。
葵先輩は意表を突かれたような顔で漣里くんを見つめ――やがて、苦笑した。
「まあ、蒸し返しても仕方ないしね。珍しく殊勝な漣里が見れたから許してあげる。でも、次に何かあったらちゃんと相談するんだよ?」
「ああ」
「よろしい」
頷いた漣里くんに、葵先輩が頷き返す。
「ふふ」
微笑ましいやり取りに、自然と笑みが零れてしまう。
「そうだ」
ふと思い出したように漣里くんが立ち上がった。
「真白、ちょっと来て。渡したいものがあるんだ」
「ああ、例のあれか」
葵先輩が呟いた。何か知っているらしい。
「? うん」
私は立ち上がって漣里くんの後を追った。
「うわあああ可愛い!」
ハムスターのケージが壁際に置かれた漣里くんの部屋にて。
私は漣里くんの隣に座り、『ふわもち』シリーズのぬいぐるみを抱えて大はしゃぎしていた。
ふわもちシリーズはビーズクッションのような、柔らかい感触が特徴のぬいぐるみ。
現在女子の間で大流行中で、テレビやSNSでも取り上げられている。
私はブームになる前から好きで、手のひらサイズのものをいくつか集めていた。
漣里くんがくれたのは体長一メートルほどの、インパクトのある巨大なイルカのぬいぐるみ。
デフォルメされた水色のイルカはとても愛らしく、手触り良好で、思わず顎を埋めてしまう。
癒し効果は抜群だ!
この大きさなら抱き枕にだってなるよね。良く眠れそう。
「こんな大きいぬいぐるみは初めて見たよ。どこで売ってたの?」
私はぬいぐるみを抱きかかえたまま訊いた。
「買ったんじゃなくて、ゲーセン。たまたま見かけて、取った。好きだって言ってたから」
私の反応が嬉しいらしく、漣里くんもご満悦の様子。
ふわもちシリーズの中でも特にイルカが好きだっていうのは、デート中に一回だけ話の流れで口にしただけなのに、覚えててくれたんだ……。
そう思うと、さらに喜びが倍増する。
「そのとき葵先輩もいたんだ」
「ああ。取れたのは兄貴のおかげ」
実力不足が悔しいのか、漣里くんは少しだけ不満そうに言った。
「なかなか取れなくて苦戦してたら、兄貴が店員に頼んでくれて。ちょっと押せば簡単に取れる位置に移動してくれた」
「ああ……」
そのときの光景が目に浮かぶようで、私は笑った。
葵先輩は自分の魅力をよくわかっている人だから、女性店員に声をかけたんだろう。
『取りたいんですけど難しくって……』と、眉を下げ、困った顔の一つもしてみせれば、どんな女性だって全力で助ける。それはもう間違いない。
「だから、俺の力っていうよりは、ほぼ兄貴の力」
「そんなことないよ。葵先輩が助けてくれたんだとしても、漣里くんが取ってくれた事実は変わらないもの。大切にするね」
イルカを抱きしめながら言うと、漣里くんもようやく表情を明るくしてくれた。
「あと、これもプレゼント。店の前を通ったときに、似合いそうだなと思って」
漣里くんは立ち上がって、机の引き出しから綺麗にラッピングされた袋を取り出し、私に手渡した。
ラッピングを見た瞬間、以前に漣里くんと行ったことのある雑貨屋さんのものだって、すぐにわかった。
「ありがとう。開けてもいい?」
「どうぞ」
感動しながら、私は丁寧にラッピングを解いていった。
中から出てきたのは、ヘアピンだった。
先端に水色の桜の花がついたヘアピンと、ピンクの桜の花がついたヘアピンが一本ずつ。
一目で気に入った。
ううん、気に入らないわけがない。
漣里くんが私のために選んでくれたものなんだから。
女の子とカップルしか入らないような可愛い雑貨店に、照れ屋の漣里くんが勇気を出して行ってくれたんだから――。
「気に入るかどうかはわからないけど……」
「ううん」
私は控えめな漣里くんの言葉を即座に否定した。
「好き。私、このヘアピン、大好き。ずっとつけるよ。大事にする」
私は早速水色の花がついたヘアピンを髪に留め、向き直った。
「どう?」
「可愛い」
漣里くんは小さく顎を引いた。
はっきりとした褒め言葉をもらって、喜ばない女子なんていない。
このヘアピンは私の宝物になる。
私は手元に残ったヘアピンをぬいぐるみの隣に置いて、漣里くんに近づいた。
怪我が治ったらキスしようって言ったよね?
ねだるような視線で思いは伝わったらしく、漣里くんは私の後頭部に手を回して引き寄せた。
目を閉じて、とても幸せなキスを交わす。
二度目のキスは、わずか一秒にも満たなかった記録を三秒ほど更新した。




