04:お礼をさせて
「毎日、本当に暑いよね」
「夏だからな」
「でも、この一週間、ずっと猛暑日だよ? いくら夏でも、今年の暑さは尋常じゃないよ。こんなに暑いと参っちゃう」
「実際に参ってたな」
「そ、それは……。はい。大変ご迷惑おかけしました。以後気をつけます」
「謝ってほしいわけじゃない」
会話が途絶えた。
からからと自転車のタイヤが回る音だけが流れる。
「……え、えーっと、夏休みが始まって一週間経ったけど、私は家の手伝いばっかりしてて、友達と遊んだことすらないんだよね。漣里くんは、どこか行った? 夏らしく、海とかさ」
「どこにも行ってない。家で引きこもってる」
「あー、うん、暑いもんね」
……あ、話題が元に戻っちゃった。どうしよう。
私が話を振らないと、漣里くん、黙ったままだし。
ちらりと漣里くんを見る。
彼は私と視線を合わせようとはせず、前を向いていた。
表情がなければ大抵、人は怒っているように見えるけれど、彼の表情は静か。
怒りも悲しみも見当たらない、全くの無だった。
うう、気まずい。
どうにか話題を……話題を……ああ、思いつかない。
葵先輩、助けて。
仲良くしてほしいと言われましたし、できればそうしたいのはやまやまなんですが、私にはこの溝を埋める手段が思いつきません……
内心で頭を抱える。
あの後。
葵先輩は漣里くんに「心配だから真白ちゃんを家まで送ってあげて」と頼んだ。
私は断ろうとしたんだけど、漣里くんはさっさと外に出て行ってしまった。
慌てて追いかけようとした私に、葵先輩は不思議なことを言った。
「ねえ真白ちゃん。試しに、漣里のこと褒めちぎってみて。きっと面白いものが見られると思うから」
……あれは、どういうことなんだろう。
漣里くんを褒めたら、どうなるというんだろう。
試してみたいけど、とてもそんな雰囲気じゃない。
いまは会話にすら困っている有様だ。
漣里くんだって、いきなり褒められても全然嬉しくないだろう。
むしろ不気味に思われそうだ。
ますます溝が開いちゃうよ。
「…………」
いなくなってしまったのか、セミの声がしない。
車の音と人の声を聞きながら、私は男の子と二人、こうして並んで歩いている。
漣里くんが押している自転車のかごの中にあるのは私の鞄。
送ってもらえるのはありがたい。
でも、それよりも、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
私はまた彼のお世話になっている。
どうすればいいんだろう、この状況。
年下の美少年と仲良く会話を繰り広げるスキルなんて、私は持ってない。
何を話せばいいの。
それとも黙ってるべきなの、どうしたらいいの。
間が持たない……!
困り果てていると、ようやく漣里くんが口を開いた。
「無理に話さなくていい」
「え」
その声に、私は顔を上げた。
漣里くんは相変わらず、私のほうを見ずに言葉を続ける。
「俺は先輩を送り届けるためにいるだけで、会話するために来たわけじゃないから」
「……そ、そうだよ、ね……」
うーん、確かにそうだろうとは思うけど。
これは、話したくないってことなのかな。
うるさい黙れって遠回しに言われてる?
それはそれでショックだ……。
落ち込みかけて、はたと気づいた。
ううん、ちょっと待って。
漣里くんは『無理に』話さなくていいって言ったよね?
つまり、話しかけたいなら話しかければいいし、黙りたいなら黙っていればいい。
気を遣う必要はない。
言葉数が少ないからわかりにくいだけで、彼はそう言いたいんじゃないのかな?
「何?」
黙って見ていると、漣里くんがやっと私を見た。
突き刺すような視線だけど、棘はない。
そうだ、彼に敵意はないんだよ。
私が感じてる溝なんて、最初からなかったんじゃないのかな?
「話しかけられるのは嫌?」
「別に」
「そう」
やっぱり、物凄くわかりにくい人だけど。
嫌じゃないなら、それでいいんだよね?
私は微笑み、背後で手を組んだ。
少しだけ緊張が解けて、肩の力が抜けるのを感じながら。
しばらく歩いて、私の家に着いた。
二階建ての自宅の隣には父が祖父母から引き継いだお店がある。
『深森食堂』という大きな木の看板を見て、漣里くんは任務完了と思ったらしい。
「じゃあ」
「待って!」
私に鞄を渡して帰ろうとした漣里くんの腕を、とっさに掴む。
「まだ何か用事?」
「うん。超特急で部屋を片付けるから、五分だけ待ってて。自転車はあそこに置いてくれたら大丈夫だから」
「は?」
自宅の自転車置き場を指すと、漣里くんは怪訝そうな顔をした。
うん、予想通りの反応だ。
私だって男子を部屋にあげたことはないから、これでも物凄く緊張してるんだよ。
めいっぱい頑張って平静を装ってるんだよ。
察してください!
「暑い中、わざわざ送ってくれたんだから、お礼をさせてほしい。ジュースでも飲んでいかない?」
だって、ねえ?
こんなに暑い中、家まで送り届けてもらったのに。
家に着いたから、はいさよなら、なんて、私の主義に反する。
礼には礼を尽くすべきだ。
「もちろん無理にとは言わないけど……できたら、私の気が済むと思って、付き合って欲しい。このまま別れるなんて、申し訳ないの。お礼をさせて!」
私はぱんっと目の前で両手を打ち鳴らし、拝んでみせた。
「……先輩がそうしたいなら」
ややあって、漣里くんが口にしたのは、了承の言葉。
「うん!」
私はぱあっと表情を明るくさせた。
「日陰で待ってて。準備ができたら迎えに来るから」
私は鞄を肩にかけて、大急ぎで玄関の鍵を開けた。