23:「ごめんな」
「うん、わかった。ダンスパーティーのことは諦める。でも、付き合ってるのを隠すっていうのは無理じゃないかな? 夏休みにも何度か一緒に歩いてるところを見られてるし、さっきだって私、それなりの人の前で言っちゃったよ?」
思い返せば、漣里くんが冷たい目をしていたのも、わざと他人行儀に「深森先輩」と呼んだのも、私を遠ざけるためだったんだ。
だけど、私は空気を読まず、彼の気遣いを無駄にしてしまった。
――それでも、後悔なんてしていない。
「もう手遅れだよ。私は本当に大丈夫だから。多少のことでへこたれるような、そんなやわな子じゃないって、前も言ったでしょ?」
「だから、真白が良くても俺が良くないんだよ」
漣里くんは苛立ったような声で言った。
「真白の悪口言ってる奴を見つけたら殴ると思うし」
「いやいや、そんなの駄目だよ」
全身から怖いオーラを放つ漣里くんを前に、思わず苦笑してしまう。
「漣里くんって、意外と手が早いの? やだなぁ、怖いこと言わないで」
「いや、本当に殴る。脊髄反射の勢いで」
ええと、あの……漣里くん、目が据わってるよ?
つうっと、嫌な汗が頬を伝う。
これは笑って済ませられない状況みたいだ。
野田くんを殴ったことといい、漣里くんって何か武術でも習ってるの!?
いくら彼女が悪口言われたからって、即座に手が出る男子って珍しいと思うんですけども!?
「そんなことしたらますます漣里くんが悪者だと思われちゃうから!? 気持ちは嬉しいけど止めて、ね!?」
大慌てで、彼を落ち着かせるべく腕を叩く。
漣里くんは気持ちを静めるように息を吐き、私を見つめた。
「とにかく、これは俺のわがままだから」
その目に、私は思わず動きを止める。
「聞いてほしい」
「………………」
私は無言で手を下ろした。
ずるい。
そんな目で見つめられたら――何も言えなくなっちゃうよ。
お願いなんて、普段言わないくせに。
好きな人が自分のためを思って言ってくれているのに、どうして拒絶なんてできるだろう。
漣里くんが誰かを殴るところなんて、見たくないに決まってる。
……でも。
これまで何度も抱いていた疑問が、また私の心をよぎる。
――そもそも、どうして漣里くんが、こんなに気を遣わなきゃいけないんだろう?
悪評が立った始まりは、彼が『誰か』を庇って野田くんを殴ったこと。
だったら、その庇われた『誰か』は、現状をどう思っているんだろう?
どうして真実を言ってくれないの?
いじめの事実を公表するのは勇気がいること――それはわかる。
でも、漣里くんがこんなにも悪く言われているのに、その人は何も感じないの?
「……うん。漣里くんの気持ちはわかった」
私が頷くと、漣里くんは少しだけほっとした顔をした。
これで私を守ることができたと思ってるんだろう。
でも残念。
私は理不尽を前にして、おとなしく引き下がるような人間じゃない。
「じゃあ、悪評をどうにかしよう」
ぴっと親指を立ててみせる。
「…………え?」
漣里くんは目を丸くした。
「だって、こんなのおかしいじゃない。どうして漣里くんが皆から嫌われて、敬遠されなきゃいけないの? 漣里くんが何をしたっていうの? 虐められてた人を庇っただけでしょう? 漣里くんの台詞を借りるなら、漣里くんが良くても私が嫌なの!」
漣里くんはいまでも虐められた人を庇い、無表情の裏で全ての痛みを引き受けて、抱え込んでいる。
でも、そんなの許せない。
ほとんどの生徒が漣里くんを誤解している現状が許せない。
漣里くんの優しさを、時折見せてくれる笑顔の魅力を、声を大にして訴えたい!
「私は現状を変える。悪く言う人たちの認識を改めさせて、漣里くんが誰にも遠慮せず、ありのまま笑って過ごせる未来を創るの!」
宣言すると、漣里くんは呆然と私を見つめた。
心に響いた、と思ったけれど。
「いや、いい」
「へっ!?」
無表情に戻った漣里くんの口から出たのは、まさかの拒否。
「な、なんで? 漣里くんはいまのままでいいの?」
「いいよ。笑って過ごせるって言ったって、元々俺、そんなに笑うことってないし」
「……そ、それはそうかもしれないけど……」
そう言われてしまうと、返す言葉に困る。
残念ながら漣里くんは表情に乏しく、ついでに協調性もあまりない。
その点については誰よりも本人が正しく理解しているみたいだ。
「でも――」
「何より、いじめの事実が明るみに出たら、あいつが困ることになるから」
「……」
その言葉に、私は何も言えなくなった。
もしかして、漣里くんが庇ったその人は友達なのかな?
「……じゃあ、信頼できる人にだけになら、事実を打ち明けてもいい?」
これが私に出せる精一杯の妥協案だった。
「……ああ。そこら辺の判断は任せる。でも、言いふらすようなことはしないで」
「……うん」
漣里くんは本当に、現状を変えるつもりはないみたいだ。
この先もずっと、『誰か』のために被らなくてもいい泥を被り続けるつもりなんだ……
「……この話はこれで終わりにして、そろそろ行こう。遅刻する」
黙り込んでいると、漣里くんはそう促した。
確かに、もうそろそろいかないと始業式に遅刻してしまう。
「先に行って。俺も少ししたら行くから」
「……。わかった」
「学校では他人を装うけど、放課後になったらラインするから」
歩き出した私の背中に、そんな声がかけられた。
「ごめんな」
「…………」
どうして漣里くんが謝らなければいけないのだろう。
なんと答えればいいのかわからず、口元を引き結び、路地裏を後にする。
漣里くんと堂々と一緒に歩けないのが、悔しい。
前方で楽しそうに話しているカップルから目を逸らし、私はそっと唇を噛んだ。




