21:大事なやつ
「ちょいと、真白さん?」
「ひいっ!?」
妙に穏やかな口調とは裏腹に、がしっ!! とみーこに両肩を鷲掴みにされて、私の懸念は大気圏の彼方まで吹っ飛ばされた。
「どういうことなの? あんたの彼氏ってまさか……あの成瀬先輩なの!?」
葵先輩は知り合いの女子がいたから挨拶しただけだったんだろう。
でも、この状況は誤解を招くには充分すぎた。
みーこはもちろん、周りの生徒たちの『あの女誰よ』的な視線も四方八方から容赦なく突き刺さってくる!!
「い、いや、みーこ、ちがっ」
「どういうことよ一体夏休みの間に何があったっていうのどんなミラクルが起きたっていうのそこんとこ詳しくきっちりはっきり説明なさい!!」
「だ、だからっ」
肩を激しく揺さぶられて、うまく発声できない。
みーこ、質問しておきながら完全に私の発言権を奪ってるよ!?
「ていうかあんたあの人を彼氏にする意味わかってる抜け駆け禁止っていう暗黙の協定を破るってことよ時海に通う約500人の女子を敵に回すってことよ新月の夜どころか日常茶飯事として命を狙われるってことよ道を歩けば植木鉢が降ってくるわよもしくは包丁ようんやっぱり死ぬわよあんた!!?」
「ああああだから違うんだってばっ!!!」
息つく暇もなく繰り広げられる弾丸トークと、しつこく激しい全身の揺さぶりに、とうとう私も怒った。
みーこの手首を掴み、力ずくで引き剥がして叫ぶ。
「違うんだってば、成瀬先輩は私の彼氏じゃないの!! 私の彼氏は――」
「深森先輩」
またも名前を呼ばれて、私は言葉を止めた。
声の主は誰かなんて考えるまでもない。
たとえいつもとは違う他人行儀な呼び方だとしても、漣里くんの声を聞き間違えるなんてことはありえない。
「……漣里くん?」
葵先輩と一緒に歩いて行ったはずなのに、いつの間に引き返してきたのか、漣里くんが傍にいた。
みーこは敵意を隠そうともせずに漣里くんを睨んだ。
遠巻きに見ていた生徒たちもみーこと同じような顔をしている。
……え。
私は一変した空気に、思わず身を竦ませた。
皆が葵先輩を見る目は尊敬と崇拝、それからたっぷりの愛に満ちていたのに。
漣里くんに向けられているのは戸惑いと、恐怖と、嫌悪。
漣里くんが学校で腫れ物扱いされていることくらい、知ってはいたはずだった。
でも、私の認識はまだまだ甘かったらしい。
だって、知らなかった。
こんな冷たい空気。
見知らぬ人たちから嫌悪と軽蔑の目で見られることが、どんなに痛いかなんて。
「…………」
怯んでしまいそうになったけれど、私はぐっと息を飲み込み、胸を張った。
努めて笑顔を作り、漣里くんに向かって言う。
「どうしたの?」
「ちょっと話があるから、来て」
「真白に何する気。話があるっていうならここで言いなさいよ」
私が同意するよりも早く、みーこが漣里くんの前に立ち塞がった。
「あんたの悪評は聞いてるんだから。中学のときに自分をふった女子を階段から突き落としたんでしょ?」
「ちょっと、みーこ――!」
「時海に入学して早々、五組の野田たちを殴ったのよね? そんな危ない奴と友達を二人きりになんてできるわけないじゃない」
「待って! その噂は全部嘘、誤解だから! 私の彼氏は漣里くんなんだよ!!」
私はみーこの腕を掴んで叫んだ。
ああ、しまった。失敗した。
途方もなく大きな後悔が胸を焼く。
人生で初めての彼氏ができた。
それは私にとって特別な、大事な出来事。
だからこそ、親友のみーこには直接会って、出会ったときの顛末とか、漣里くんがどんなに優しい人なのかを話そうと思っていたのに。
こんなことになるならもったいぶってないで、全部話しておけば良かった。
この事態を招いたのは、私の責任だ。
「漣里くん、友達が酷いこと言っちゃってごめんね。でも、悪いのは私なの。先にちゃんと話しておけば良かったのに、ごめんね。本当にごめんなさい」
この期に及んでも何を考えているのか判然としない無表情の漣里くんに、私は謝ることしかできない。
「は? 彼氏って……え?」
みーこは面食らった顔をして、私と彼とを交互に見た。
「で、でもあんた、騙されてるんじゃ……」
「違う! 騙されてなんかないっ、私は私の意思で漣里くんを好きになったの!」
カッとなって、私はみーこを睨みつけた。
「それ以上言ったら、いくらみーこでも怒るよ」
「…………」
気圧されたらしく、みーこが黙り込む。
「いや、いいから。気にしてない」
横から取り成すようにそう言ったのは、話題の張本人である漣里くんだった。
「それより俺のために喧嘩するのは止めてくれ」
淡々とした口調で言って、私の手を掴む。
途端に、みーこが不安そうな顔をした。
口を開閉させてから、引き結ぶ。
そんなみーこを気にしたらしく、漣里くんが彼女に顔を向けた。
「……先輩が心配するようなことは何もしない」
彼はいつも通りの、無感情な声で言った。
「大事な奴だから」
みーこが驚いたように目を見開いたのが、漣里くんに見えたかどうか。
漣里くんはそのまま私の手を引っ張って、人気の少ないわき道へと歩いて行った。




