改心の泉
最初は偶然だった。
村の外れにある小さな泉に人が落ちた。泉のほとりで言い争いをしていた恋人たちが足を滑らせ、男の方が泉に落ちてしまったのだ。
水の底に沈んでしばらく、男は自力で縁へと上がってきた。
不思議なのはその後だった。
女と結婚を控えているにも関わらず、家業から逃げ、昼間からどこぞへフラつき遊び歩いていた男が、人が変わったように真面目になったのだ。
父親に頭を下げて仕事を学び、恋人の元を毎日訪ねて花を贈る。
男は瞬く間に村でも評判の青年となり、女は喜んだ。
結婚式の後、「彼、本当に変わったわね」と友人たちは女の手腕を褒めた。女が男を改心させたのだと思ったのだ。
女はそれに首を傾げ、親戚の相手をしている男をチラリと見た後、実はね、と友人たちに囁く。
「私は何もしてないの。ただ、あの泉に彼が落ちてから、彼はとても素敵になったの」
それから一つの噂話が人づてで広まっていった。
曰く、あの泉に落ちた者はどんな荒くれ者でも真面目で優しく気の利いた性根の美しい人間に変わるのだ、と。
妻が夫を泉に落とした。
機嫌が悪くなるたび妻を殴る夫は、暴力を振るわなくなった。
子供が親を落とした。
幼い兄妹にボロを着させ、道端に立たせて物乞いをさせていた両親は、酒をやめ働きに出るようになった。
奴隷が主人を落とした。
奴隷を朝も夜もなく働かせ、鞭打ち笑っていた主人は、奴隷に部屋を与え勉学を教えるようになった。
村は泉のほとりに社を建て、この泉には神様が住むとして祀った。
やがて村の外からも噂を聞いた人間が泉を訪れ、男も女も妻も夫も親も子も兄弟も友も主人も従者も、みんな泉に落とした。
中には拘束されて抵抗する人間を、数人がかりで無理やり泉に落とす者もいた。
泉に連日長蛇の列が出来るようになり、国中から人が訪れるようになったある日、この国の王が泉を訪れた。
王は悪法を作り重税を民に課し、圧政を行ったとして近臣からクーデターを起こされたのだ。
王族を処刑せよ、という声も多く挙がったが、建国から続く高貴な血統だ。今の王妃は隣国から嫁入りした身で、隣国との関係もある。
幽閉か、とクーデター後の議会で決まりかけた時、議会に出席していた辺境の貴族の一人から声が上がった。
領地にある村に、不思議な泉がある。王を落としてみてはどうか、と。
そして王は落とされた。
泉の前で近臣を口汚く罵り、最後まで抵抗していた王は、兵士に剣の先で小突かれ呆気なく泉に沈んでいった。
しばらくして浮かび上がってきた王は、人が変わったように人徳の滲む柔らかな微笑みを浮かべた。今までの過ちを詫びた王は、自らの手で抵抗する妻を、子どもを、親類を、次々と泉に落とした。
嘘のように穏やかになった王は、しばらく幽閉の期間を置いた後政治に戻り、名君としてその生涯を国に捧げ、王族はそんな王を真摯に支えた。
以来この国では、王族が生まれるたびにとある社へ参拝に行き、赤子を泉に落とす風習が生まれたという。
そうして、善良で争わず、心優しい住民が多く暮らすその国は末永く繁栄した。
***
とある星の話。
「陛下、国民の八割の移住が完了しました。陛下もお急ぎ下さい」
「わかった、今向かう」
陛下、と声をかけた男も、椅子から立ち上がった男も実体は無く、身体はただのホログラムにすぎない。
この星は突然の大気変動によりずいぶんと前に生物が住めない土地となった。
この星で暮らしていた人々は今は身体を捨て、思念体のみの存在となっている。
「我々が移住可能な星とワープゲートを繋げることができたのは僥倖だった。我々は身体を捨てた身、どうしたものかと思っていたが、あちらの星の住人は快く我らの容れ物を提供してくれる」
「非常に友好的な種族です。あちらの住人からワープゲートへ入ってきてもらわねば、実体の無い我らの移住は叶いませんが、次々と新しい容れ物がゲートへとやってきます」
ワープゲートの前にはぼんやりと透けたホログラムが列を作っている。
ゲートの向こう、大きなガラス窓から見える空は濃い灰色に染まっていて大地は荒涼としている。
滅びた星の王は、草木一本も生えない故郷に別れを告げ、自らも列に加わった。
「本当に、あちらの住人には感謝せねばな。・・・・・・お前も今まで余によく仕えてくれた、礼を言う」
「何をおっしゃいます、あなたが最後の王だったからこそ、我々は生を諦めずにこれたのです」
「あちらの容れ物に入れば精神は溶け込み、自我も融合される。もうお互いと分かることもないだろうな・・・・・・。では、残った民を頼む」
「かしこまりました」
王を見送った忠臣は、最後の一人になるまで移住を見届け、自分が去った後全ての装置が自壊するよう設定すると、ワープゲートに身を投げた。
小さな赤子の身体だった。
ホラーのタグにしたけどSFかもしれません