09 奇跡の一枚
場所:写真部部室
語り:朝倉隼人
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「朝倉隼人って、どいつだ?」
彼はいきなり写真部の部室に、そう言いながら入ってきた。
背は高く肩幅も広くて声もでかい、かなり目立つ男子生徒だ。
短い髪と引き締まった顔立ちは、まるで運動部の花形選手のような、明るく爽やかな印象を与えた。
しかし彼は、けして運動部員などではない。
この学校屈指のオカルト男子。千堂智也――人呼んで「ありがたい霊符の人」。
俺じゃなくても、あまり関わりたくない男だ。
オカルト部の部長として知られる彼は、どこにでも現れ、だれにでも声をかける、ある意味では親しみやすい人物だと言えるだろう。
しかし同時に、彼には常に『変人』というラベルが貼られている。
女子からは距離を取られ、男子にもいまいち馴染めずに、友人は根暗なオカルト好きばかり。
そしてこの混沌の一ヶ月は、彼をさらなる孤立へと追いやった。
『この学園には悪霊がいる!』
なんてことを大声で言いながら、通りすがりの生徒に霊符を渡す。彼はそんな奇行を、毎日飽きずに続けているのだ。
当然ながら、彼の話にまともに耳を貸すやつはいない。配られた霊符は、ポケットに突っ込まれたまま洗濯されるか、ひどいときには彼の目の前で、ゴミ箱に投げ捨てられるばかり。
要するに千堂智也はこの学校で、かなり浮いた存在だ。
そんな彼が、わざわざこの写真部までやってきて、朝倉隼人――この俺を探しているとは。
人のいない校舎を撮るだけの写真部員に、いったいなんの用があるのだろうか。……その理由は、残念ながら、俺には察しが付いていた。
「朝倉隼人? そんなやつはこの部にいないよ」
平然とそう言った俺に、千堂智也は顔をしかめた。
「うそつけ。完全にお前じゃねーか。いまはっきり顔を思い出したぜ、この陰キャ野郎」
「オカルト部長に陰キャとか言われる筋合いないから」
「俺は陽キャなオカルト部長だ!」
自分に親指を突き付けながら、堂々と陽キャを名乗るオカルト部長に、俺は思わずため息をついた。
彼が俺の顔を知っているのは当然だ。俺たちは一年のとき、普通に同じクラスだった。
それなのにすっかり俺の顔を忘れておいて、悪びれもせず「どいつだ」なんて言ってくる。
確かに俺は、影が薄い自覚はあるけど、だからって傷つかないわけじゃない。やっぱりこいつは好きになれない。
そして俺には、この男を嫌う、もっと大きな理由があった。
「悪霊の写真、持ってるんだろ? 見せてくれ」
「悪霊の写真なんか持ってない」
「嘘つけよ。お前の写真、どれもこれも心霊写真だって、オカルト部のやつが言ってたぞ」
「そんなのなんかの間違いだろ」
無遠慮に大声を出す千堂の態度に、俺の語気も強くなる。
しかし俺は、実際のところ、大量の心霊写真を持っていた。
この学校では、原則として校内での写真撮影が禁じられている。写真部であっても、写せるのは人が写り込まない風景だけだ。
人物撮影は、文化祭とかの特別なイベントか、本人から許可をもらえたときだけ。
けれど俺には、初対面の相手に声をかけ、撮影許可をもらえるほどのコミュ力はない。だからいつも、だれもいない風景ばかり撮っているけど、それでも十分楽しかった。
だれもいない廊下や、夕焼けに染まる中庭。そして朝の光が差し込む窓辺。カメラをかまえた俺は、その空間と静かに向きあう。
自分の感性だけを頼りに、構図を探り、露出を調整し、その世界をいかに切り取るかに全神経を集中させる。
その瞬間が、俺の心をたまらなく震わせるんだ。
だけど『あの日』から、俺が校内で写真を撮ると、写るはずのないあの人が、写り込むようになってしまった。
――雨宮詩織……。もう一度きみを撮りたいという俺の願いが、きみに届いているのだろうか?
――それとも、俺のなかに残るこの罪悪感が、俺の写真にきみを写してしまうのか。
俺が写真部に入ったのは、高校にあがってすぐの春だった。
見慣れない風景、名も知らない植物。そのひとつひとつに心を動かされ、俺は夢中でカメラを向けた。
人気のない場所の空気は、言葉よりも雄弁に俺の心に語りかけてくる。
特に気に入って撮影していたのは、俺たち一年生の教室があった東校舎だ。いまでは使われなくなり、『旧校舎』とよばれるようになったその建物は、そのころからすでに年季が入っていた。
塗装の剥がれた外壁、蔦の這う窓枠。そこに朝や夕の光が差すと、まるで現実から切り離されたように、不思議な空気が漂ってくる。
校舎裏から、または北校舎と東校舎の間にある中庭から、俺は何度もシャッターを切った。
雨宮詩織と出会ったのはそんなときだ。
もちろん話しかける勇気はないし、そのときは名前も知らなかった。
自殺するほどつらい思いをしていた彼女は、もしかすると人目を避けるため、人気のない場所を探していたのかもしれない。
校舎裏、夕日に染まる藤棚の前。
長く垂れた藤の花と、彼女の長い黒髪が静かに風に揺れていた。
少し緊張した様子で目を細めた彼女の表情……。
それはまるで、なにか大切なものを手放す前の一瞬のように。
覚悟か。
それともこれは、祈りだろうか。
髪に手をかけた彼女の姿が、藤棚の薄紫に溶け込んでいく。
その幻想的な光景が、まるで完成された絵のようで。
息を呑むほど、美しくて……。
気が付くと俺は、無断でシャッターを切っていた。
ルール違反、確かにそうだ。だけどあのときの俺は、世界を切り取らずにいられなかった。
そして俺は、しばらくして彼女の自殺を知ることになった。
まるで俺の撮った写真が、彼女の魂を抜いてしまったかのように感じた。
――あぁ。俺はなんてことをしてしまったんだ。
もし、あのとき、勝手に写真を撮ったりせずに、ひとこと声をかけられていたら。彼女の孤独や苦しみに、俺は寄り添えていたのかもしれない。
……そんなふうに思うのは、俺の傲慢なのだろうか。
いまでも、あの時撮った彼女の写真は、大切に保管している。俺には、もう、あれ以上の写真は二度と撮れない気がするから。
俺にとって、雨宮詩織の写るその写真は、本当に奇跡の一枚なんだ。
――俺は、俺は……。あの人が、雨宮詩織が初恋だった。
それなのにこの男、千堂智也は、俺の初恋であり後悔の記憶でもある彼女を、『悪霊』だとでもいうのだろうか。
――そんなはずない。儚くて美しかったあの人が、悪霊だなんてそんなわけが……。
「とにかく、心霊写真なんかないから、出ていってくれ」
「そう言うなって。せめて一枚でいいから、その悪霊の写真を俺にくれ。俺は悪霊から、この学園の生徒を守るために戦ってるんだぜ」
千堂は机に手をつき、身を乗り出してくる。その表情は驚くほどに真剣だ。
「その写真があれば、学校に悪霊がいることを証明できるだろ? みんな信じてねーから、俺の『ありがたい霊符』を粗雑に扱いやがるんだ。おまえも憑かれるかもしれねーから、この霊符を大事に持っとけよ」
そう言って彼が俺の机に置いた霊符は、ネットの拾い画像の印刷とかではなかった。
和紙の質感や墨の滲みを見るかぎり、一枚ずつ手書きされたもののようだ。かなりの達筆で、本格的な雰囲気を持っている。
千堂の話では、これは本物の陰陽師から、指導を受けて作ったものらしい。
確かに、最近霊感が強くなった俺には、そこに込められた霊力がなんとなくだが感じられた。
だけど、うっかり信じた素振りなんて見せようものなら、オカルト仲間だと思われそうだ。
俺だってこれ以上、変な目で見られるのはごめんなんだ。
俺はその霊符を千堂につき返した。
「俺だってこんなもの信じてないよ」
「くぅー。なんでなんだ。このやろう! 生徒が次々に悪霊に呪われてるっていうのに!」
千堂智也はそう叫ぶと、俺の机に思い切り拳を叩きつけた。
机の上に置いてあった封筒が落下し、なかに入っていた写真が床に散らばる。
それは、最近俺が撮影した大量の心霊写真だった。
雨宮詩織の妹、雨宮詩音がこの学校に転校してきたあたりから、詩織の姿は以前よりもはっきりと、俺の写真に映るようになっていた。
「なんだこれ。確かに心霊写真だけど、全然悪霊じゃねーじゃねーか。禍々しさがまったくねーよ」
「だから言っただろ。悪霊の写真なんて持ってないって」
「雨宮詩織か。いい子だったのにつれーよな」
「え……うん」
いままでこの写真を見て、こんな反応をしたやつはいなかった。みんな気味悪がるか、俺が画像編集アプリで加工したと疑うやつばかりだった。
それなのに……。
「これじゃ、悪霊の証明にはならねーな。だけどもし、悪霊っぽい写真が撮れたら、絶対俺に教えてくれよな! それとこれ、一枚貰ってくぜ!」
「あ、おい……!」
千堂智也は俺が止める間もなく、あっという間に走り去ってしまった。
そして机の上には突き返したはずの、『ありがたい霊符』が残されていた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
写真部に智也が現れたことをきっかけに、自分の心と向き合う朝倉君。彼の後悔と切ない想いは、いつかこの物語を動かすのかも……?
次回、第十話 体調不良をお楽しみに!