03 ひび割れる日常
場所:北校舎
語り:遠野陽葵
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早めに学校に着いた私は、母に託けられたお弁当を渡すために黎真の教室へ向かった。
まだホームルームが始まるまで時間があるから、たぶん弟はいないと思う。
――まったく、お母さんは黎真に甘いんだから。
二年生の教室は北校舎の二階。三年生の教室がある西校舎をぬけて、渡り廊下を東へ進み、さらに階段を登らなくちゃいけなくて。そこそこ遠いからめんどくさい。
北校舎の廊下を歩くと、開けっぱなしの教室の扉から、英単語を覚えてる子や数式を解いてる子たちが見えた。
期末テストまであと二日、どの子もまじめに勉強してる。
廊下にいる二年生たちが、驚いた顔でこっちを見てきた。
この学園では制服のシャツの胸元に、学園章をつけることになっている。学園章は学年ごとに色が違うから、私が三年生なのは一目でわかるんだよね。
みんな、「え、なんで三年生がここにいるの?」って顔してる。
私も下級生だったころ、上の学年の人が自分たちのエリアに来るといつもちょっと緊張してた。だから、その気持ちはとてもよくわかるんだけど。
――うーん、落ち着かない。早く渡して戻ろう!
黎真の友達には知ってる子もいるし、部活の後輩もいるから、見覚えのある顔もちらほらいる。もっと堂々としていてもいいんだろうけど、どうにも私は引っ込み思案で。
弟のクラス、二年三組の前まで来たとき、女の子たちの声が聞こえてきた。
「あ~ん、何度考えてもわかんない! 澪~、ちょっと教えて!」
「いいよ、これはね……」
女の子が参考書を開き、ノートを広げて、前の席の子に勉強を教えている。
艶のあるボブヘアーの綺麗な子だった。
――わぁ、賢そう。教えるのもうまい。
――私はいつも教えてもらう側だからなぁ……。
ふと、璃人のことが頭に浮かんだ。 あの人も聞けば教えてくれるけど、頭が良すぎて、私みたいにちょこちょこつまずく人の気持ちは、あんまりわかんないみたい。
「ふっ」と鼻で笑われて、地味にへこむこともあったりして。
――それにしても、黎真の席はどこだろう。だれかに声かけたいけど、邪魔しちゃうと悪いかなぁ……。
教室の前でキョロキョロしていると、勉強を教えていた女の子が私に気づいて近づいてきた。
「先輩、何かお困りですか?」
座ってたときは気づかなかったけど、立ち上がったらすごく姿勢もいい。
うちの学校では、夏の間だけノーリボン、ノーネクタイもOKってことになってるから、シャツのボタンもいくつか外している子も多い。
そんななか、一番上までボタンを留め、きちんとリボンをつけている彼女は、凛とした空気をまとっていた。
そして思わず目がいってしまったのは、意外にもしっかりと膨らんだその胸元!
――おぉ……。一見清楚系だけど、これはなかなか……って、ヒカリの癖がうつっちゃった!?
くだらないことを考えていたら、彼女に不思議そうな顔をされてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい。私、遠野黎真の姉なんだけど、黎真の席は……」
三年生なのに、後輩に話しかけるだけで焦りすぎな自分がちょっと悲しい。挙動不審すぎて、きっと変に思われてるよね……。
私は向日葵のトートからお弁当を取り出して、彼女に見せるように軽く持ち上げた。
大食いの黎真に合わせたそのお弁当箱は、かなり大きめで大判の青い布に包まれてる。
中身は確か、唐揚げとたまご焼きと、昨夜の煮物も入っていたはず。おにぎりもぎゅうぎゅうに詰め込まれてずっしり重い。
昨晩、黎真は夕飯を食べなかったし、朝食を摂ったのかもわからない。
そんな黎真を心配して、お母さんはせっせとお弁当を詰めていた。
その姿を思い出したら、今日はなんとしてでも、あの子を引きずって帰ろうって気持ちになる。
大きなお弁当箱を見た彼女は、『なるほど』という顔をした。
「もしかしてそれ、遠野君のですか?」
「そうなの。黎真ったら昨日家に帰ってこなくて……」
「そうなんですか? それは心配ですね」
「うん、まぁ、よくあることなんだけど……」
心配そうに眉を寄せてくれる彼女。なんだか申しわけないような、情けないような気分になる。小さくため息をついていると、その子が手を差し出してくれた。
「私、隣の席なんです。よかったら、それ、お預かりしますよ」
「ほんと? ありがとう。お願いするね!」
――礼儀正しいなぁ。黎真と同い年とは思えないよ。
私はその子にお弁当を渡して、自分の教室へと引き返した。
△
三年の教室は西校舎の二階にある。いそいそと教室に戻ると、やっぱりみんな勉強していた。璃人ももう席に着いている。たまたまだけど隣の席で。
「黎真に会えたか?」
「んー、いなかったけど、隣の席の子にお弁当を預けてきたの」
「そうか」
それだけ言って教科書に視線を戻す璃人。私も席に着いて少しだけ勉強する。すぐにホームルームの時間になった。
担任の高田先生は四十代半ばのおじさんで、たまに変な冗談を言うけど、親しみやすい先生だと思う。
だけど今日の彼は、いつもより神妙な顔をしていた。
「あー、みんな。驚かないで聞いて欲しい。実は昨日の夜、職員室に忍び込んで、期末テストの問題を盗もうとしたやつがいる」
「……マジで? テスト盗むとか、昔のドラマみたい」
「先生、いつもの冗談ですか?」
「いや、冗談じゃない。本当の話だ」
ざわつく男子たちの声に、先生がかたい声で答えた。珍しく笑みのない先生の表情。教室がさらにざわついていく。
「テスト盗むって、どうやって?」
「うちのクラスの人じゃないよね……?」
「職員室の鍵開いてたのかな」
みんなが小声で話してる中、私の頭にふと弟の顔が浮かんだ。
――まさか、黎真のしわざじゃないよね?
心臓がドキッと跳ねて、思わず手で胸を押さえた。
テスト問題を盗むなんて、バレたら即退学のはず。留年どころの話じゃない。
黎真は確かにバカだけど、そこまでではないと信じたい。でも昨夜の電話は、少し様子がおかしかったような……。
――あー、ありえる! ありえるから怖いわ!
――黎真、ちゃんと学校に来てるのかな? もう、頼むよ……。
いくつになっても、弟のことは心配になる。祈るような気持ちになっていると、『学園の女王』こと、神城麗花が立ち上がった。
「そんなふうに不正に頼るなんて、あってはならないことですわ。しっかり対処していただかないと、学園の名に傷がついてしまいます」
まるでステージの上に立ってるみたいに、みんなの視線が彼女に集まる。その堂々とした雰囲気は、ほかの誰にもないオーラを感じさせた。
クラスメイトたちはみんな、賛同するように頷いている。
――うわぁ。これでもし、うちの弟が犯人だったら……。
私の脳裏に、罪の十字架に縛り付けられた弟の姿が浮かんだ。無情にも足元に火が放たれ、弟は泣き叫びながら、真っ赤な炎に飲まれていく……。
喉がからからに乾いてきた。
ごくりと唾を飲んでいると、今度は窓際の席から、長身の男子生徒が立ちあがった。男子バレー部のエース、鏑木君だ。
「なんだよ、そいつ! ずるして点とって、うれしいのかよ。努力して勉強してるやつがバカみたいだろ! そんな不正するやつ、学校にくる資格なんかねーよ!」
「きゃ。鏑木君、かっこいい!」
「鏑木君は勉強も運動も頑張ってるもんね!」
熱い口調で叫ぶ鏑木君に、ファンの女の子たちが目を輝かせている。
でも日頃から、璃人に難癖をつけてくる鏑木君は、結構わざとらしかったりするんだけど……。
――鏑木君に、不正がどうのとか言われてもいまいち説得力がないなぁ……。
――今朝璃人にぶつかってきたときなんて、ほとんど当たり屋みたいだったし。いまのもちょっと、演技めいてるような……。
なんだか残念な気分になっていると、続いて御子柴さんと二ノ宮さんが立ちあがった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、ちゃらんぽらんの弟が信用できない陽葵ちゃんでした(^-^;
ホームルームはどんどん不穏さを増していきます。
次回、第四話 危うい正義をお楽しみに!