表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第四話

 ザハルとの訓練が始まり10日程が経過したころ。

 いつものように訓練を終え、食事と湯を手早く済ませた私は、寝台へ潜り込むと同時に意識だけを部屋の外へ漂わせる。

 廊下の先まで警戒を伸ばし、誰もいないと確信すると、静かに起き上がった。

 蝋燭の火をひとつだけ灯し、床に座して深く息を吐く。

 殻を外す順序は既に指の感覚に刻まれていた。


 まず、最外殻。

 心臓に埋め込まれた五重円環のもっとも外側が、鋼線を弾いたような高い軋みを残して解錠される。

 微かな金属音が喉奥で共鳴し、冷えた井戸水のような魔力が血脈へ流れ込んだ瞬間、身中の温度が一粍下がる。


 続いて外殻。

 “綻ばす”――言葉に置き換えれば優雅だが、実際は裂帛に近い。

 魔力が一気に膨張し、血管の壁を内側から刃でこじ開けられるような鋭痛が走る。

 額と背筋に脂汗が噴き、肺は焦がれた布のように浅い呼気しか許さない。

 それでも私は僅かに背筋を反らせ、精神を凪いだ湖面へ――ひとしずくの雨粒すら許さぬ静寂へ――強引に押し戻す。


 外殻が壊れた刹那、潜んでいた魔力が咆吼した。

 一般の魔術師五人分――否、それ以上の奔流が魔力回路を暴れ回り、骨と筋から悲鳴が上がる。

 視界が白黒を反転させ、無数の針が皮膚を貫く。

 耳鳴りは鼓動と同調し、重低音の鐘のように鼓膜を震わせた。


 だが私は眼窩の奥で瞳を閉じ、唇を堅く結ぶ。

 指先で制御図をなぞるように記憶を呼び起こし――魔力の奔流を幾重もの層に分け、円環へと誘導する。

 暴れる渦はやがて堰堤を与えられた大河のように速度を緩め、規則を宿した。

 痛みは鋭刃から鈍杖へ変わり、汗にまみれた夜着が肌に貼り付く冷たさだけが現実を縫いとめる。


 どれほどの時間が過ぎたのか、もはや計れない。

 私の魔力回路は大河を受け止める水門の如く拡張し、魔力は重い静穏の湖面へ姿を変えていた。

 胸郭の奥で燦然と輝くその湖は、深淵を思わせる静けさで鼓動と共鳴し、私の肉体を支配する。


 異常がないと判断すると、私はすぐさま逆順で封印を閉じた。

 鎖を嵌めるたびに魔力は大人しく睡眠へ戻り、最後に最外殻が静かに重なり合って音を鎮める。

 ひと息ごとに乾いた咽が焼けるように苦しく、指先は痺れて震えていたが、私は乱れた呼吸を整え、新しい寝間着へ着替えた。


 汗は尚も滴り、髪の生え際をつたって背へ落ちる。

 けれど痛みの去った四肢は、風呂上がりの湯気のような軽さを帯び、魔力回路は拡大したまま静かに鼓動していた。

 私は寝台へ身を沈めると、深い闇が視界を包み、思考を残したまま夢の底へと墜ちていった。

 不規則に脈動する魔力の余韻だけが、胎児の鼓動のように微かに耳奥で鳴り続けていた。



 ◆


 

 夜が明け、稜線を縫う薄雲が桃色の鱗を散らすころ。

 今日は珍しくザハルの訓練が休みと知らされていた私は、自室で制御訓練を反芻するか、書庫で文献を漁るか――そんな瑣末な予定を巡らせていた。

 そんな矢先、予期せぬ報せが扉を叩く。


 呼び出し人は母、エレンディア・ヘルヴェスタ。

 地下研究室に籠もりきりで“屋敷にいる”というより“屋敷の地脈と化している”人物。

 私事には淡泊で、研究に情熱を燃やすその姿勢は尊敬すべきでありながら、少々厄介でもある。


 私は屋敷の地下へ降りた。

 石階段の奥に広がる研究室は、魔導書と乱雑なメモ紙、薬瓶、魔石の欠片が層を成し、さながら知の地層とでも呼ぶべきものが出来上がっていた。

 ランプオイルに溶けた薬草の匂いが湿った空気を満たし、天井近くの排気孔から漏れる蒸気が虹色の靄となって漂う。


 母上は、積み上げた書の山に半身を呑まれながらも、紅玉の瞳を煌かせて筆を走らせていた。

 彼女の髪――熟れ過ぎた柘榴を思わせる深紅――は無造作に一本の革紐で束ねられ、灯火に照らされて暗い銅の艶を宿す。

 三十代後半という年齢を感じさせぬ精悍さの裏に、徹夜を重ねた影が頬へ淡く刻まれていた。


「何様でしょうか」

 

 私の問いかけに、母上は顔を上げることなく指先で紙を弾き出す。

 乾いた音が室内に跳ね、紙片は風切羽のように舞い私の胸元へ届く。


「あなたが水と闇に適性があると聞いたわ。ちょっと手伝ってほしいことがあるの」


 魔術関係――案の定だ。

 私は紙片を受け取り、斜めに走る数式と術式線を一瞥する。

 そこに描かれていたのは、高等魔術理論の中でも最先端たる分野――属性融合理論の断片だった。


「母上、このメモは……?」

 

 幼子の振りで首を傾げる。


「うちの秘血魔術リネア・アルカナムである銀葬聖華《アルヴ=ラメント》の改良案、そのプロトタイプよ」


 秘血魔術リネア・アルカナム――一部の高位貴族にのみ連綿と伝わる、一族固有の秘匿魔術の総称だ。

 我がヘルヴェスタ家に伝わる銀葬聖華《アルヴ=ラメント》は、水──厳密には氷属性を基盤とした広域戦略魔術だ。

 銀葬聖華《アルヴ=ラメント》は氷を生み出し、戦野を白銀の棺へ変える水属性魔術の秘奥だが、紙片には闇の魔力を混ぜ込んで温度を奪い、聖華を形成する全く新しいルートが提案されていた。


「これを私に試せ、というのは無理があるのでは……」

「そう? 理論、理解できたでしょう?」


 いつのまにか母上は目前に立ち、私の手首をすっと掴む。

 触れた瞬間、彼女の魔力が肌下に潜り込み、血管の流速までも計測する精度で魔力回路を撫でた。


「ほら、シキより上等な魔力回路じゃない。躊躇する理由はないわ」


 シキ――学院在学中の兄の名が出たことで、私は内心肩を竦める。

 母上は私を椅子へ座らせ、研究机の上を片づける素振りもなく実験を促した。


 指示通り、水属性魔力を呼び、掌に珠を形づくる。

 珠の内部に刻まれた水紋が淡く輝く。

 そこへ闇属性をゆっくりと滲ませるイメージで流し込む。


 深く、暗く、黙してすべてを奪う夜の孤独を思い描く。

 刹那、魔力珠は漆黒に染まり、凍結音を立てて硬質化した。

 艶やかな闇の氷核。

 その表面には、まるで葬列の柩を飾る花冠のように、繊細な黒い氷花が幾千も咲き零れている。


「やっぱり出来たわね!」

 

 母上は満足げに頷くと、新たな紙を引き出し、筆記を始める。


「ザハルには上手く言っておくわ。あなたの訓練計画、少し調整しておいてあげる」


 私の胸を見透かすような微笑。

 初学者を装う裏事情――それさえ母上には筒抜けらしい。


「……あ、ありがとうございます」


 背筋を冷たい汗が伝い落ちる。

 父上よりも、ザハルよりも。

 母上の洞察は、私にとって最恐の存在だと、あらためて思い知った。


 

 ◆



 夜明けの光が寝台の薄絹を透かして群青を溶かす頃――私は机に凭れ、静かに羽根ペンを走らせ、かつての記憶を書き留めていた。

 煤けた油灯がひとつ、書きつける紙を黄水晶の色で染め、インクの匂いが呼気と交わって淡い苦味を残す。

 インクに揺れる微かな波紋を見つめながら、“かつての自分”が辿った軌跡を反芻する。


 回帰前の私は、その大半を研究者として過ごしていた。

 卓上に積み重なり雪崩れた写本、無造作に転がりインクを零すペン、昼夜問わず灯る蝋燭の濃い香りに囲まれた日々。

 研究室に置かれた書架は複雑に絡み合い、まるで深海魚の骨格のように無数の枝を伸ばし、その狭間には星雲にも似た埃が、微かな蠟燭の光を反射し漂う。

 私はその中心で、ひたすらに魔術の構造を解体し、組み替え、再構築し続けた。


 類まれなる魔術の才を持ちながら、私は戦場ではなく研究を選んだ。

 父上はそれを深く嘆き、「戦炎の下でこそ、お前の才能は真に証明される」と断じてた。

 だが、母上は違った。

 彼女は真理のを愛し、その静謐な煌めきをこそ“美”と呼び崇拝していた。

 

 いま思えば、私はずっと母上の影を踏み続けていたのだろう。

 世界最強魔術師と囃し立てられたあの刻でさえ、私の内奥で燃える火は、戦野の焰ではなく研究に対する熱意だった。


 そんな私が研究室の扉を開け、戦場へ足を踏み入れたのは、終末まで残り5年を切った頃だった。

 きっかけは、かつて机上で組み上げた2冊の薄い魔導書──『銀系汎用魔術七式』と『金系汎用魔術十一式』。

 属性に縛られず、魔力を“射出形態”という概念へ折り畳んで再構築した遠距離魔術体系は、どの兵士にも「射線」を与え、前線に無数の光条を走らせた。


 論理は恐ろしく単純だった。――五大元素のうち1つへ変換できるだけの才覚と、それを支えるだけの魔力があれば十分だった。

 それさえ備わっていれば、矢は炎にも氷にも雷にも化け、陣形の上に“弾幕”という夜の帳を垂らした。

 汎用魔術と名打っている通り、どの属性であっても同一の単純なプロセスで魔術を構築できた。

 

 だが皮肉なことに、この実用性が私を戦場へと押し出した。

 最も深い魔力の炉心――帝国一の保有魔力を抱えていたのは開発者たる私自身だった。

 帝国は躊躇いなく、その炉を真紅の炎で煽り、前線のど真ん中へ叩きつけた。

 

 いつしか私は『金系汎用魔術十一式』を更に私用へ浚い、高密度に魔力を凝縮する《ヴィルリオ三式》を開発した。

 一撃ごとに過飽和した魔力は、術式の爆散をも強引に押し留め、血肉すら朽ち果てぬ凄烈な力を解き放つ。

 要は私の莫大な魔力量に頼った力押しだった。

 

 夜空を引き裂く流星のようだった私の魔術は、敵も味方も皆、息を呑んだ。

 そして戦場は深い静寂に包まれ、私はただ一人、剣呑な闇の中心に立ち尽くす。

 そうしていつしか、「世界最強魔術師」という虚名が、私の意志とは無関係に冠せられた。


 回帰前を超えるための鍵は、魔術の理解を髄の髄まで深め、“悪魔を殺す魔術”を掌中に宿すことだ。

 悪魔王エンヴィターミナルの降臨を企む13体の悪魔。

 回帰前、私はそのうち7体の所在を握り、4体を葬った。

 しかしそれだけでは終焉を止めることはできなかった。

 

 全ての魔を討ち果たし、この世から根絶せねばならない。

 今なお記憶に残る7体の所在──そのうち1体はまだ力を蓄えきらず、今の私でも倒せる可能性がある。


 だから私は決めた。

 悪魔を狩ろうと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ