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1-2

※ ※ ※


 一方その頃、雪乃は夜人が置いていった竹刀を拭き終わり棚に戻したところだった。


「よし、それじゃあ床も磨くとしよう」


 雪野はさらに何往復もして武道場の床を磨き、額から流れてくる心地よい汗を制服の袖で拭うと一息ついて武道場をでていった。


 太陽は西に傾いている。傾斜に富んだ勇者島は茜色に染められ、深い陰影をつけている。


「夜人がああきたら私はこうして……いや、それとも……」


 今日の反省をぼやきつつ歩いていると、雪乃ははたと立ち止まり道路の中央に視線が釘付けになった。

 猫が道の中央で丸くなっている。


 前方からはトラック。


「いかん!」


 雪野は考えるよりも早く地面を蹴って子猫に飛びついた。


 トラックが急ブレーキを踏みながらハンドルを切り、間一髪のところで轢かれるのは免れた。


「バカヤロー! あぶねぇだろうがー!」


 トラックの運転手はそういって再び発進した。


「なんという横暴な……しかし、君が無事でよか……った?」


 雪野は自身の胸に抱いた猫が異様に薄いことに気が付いた。それに軽い。猫は軽いものだがそれにしたって軽すぎる。


 雪野が視線を落とすと、彼女が抱きしめていたものはぺったんこにつぶれていた。


「ビニール袋……」


 雪乃はため息をつき、スカートのポケットにビニール袋をしまって家路についた。


 少し歩くと、今度は大通りに出た。ビジネス街と繁華街の間の道だ。交通量はいつもかなり多い。


 雪野が歩道橋に向かうと、大きなトランクケースを手に下げたお爺さんがよろよろと階段を上っていた。


 雪乃はお爺さんに近寄り「荷物、持ちますよ」と優しく声をかけた。


 お爺さんは一度は断ったが、雪乃が無理はさせられませんとプッシュしてお爺さんはようやく納得した。


(ずいぶん背が高い人だ。それに服装も、よく見るとビジネススーツじゃない……タキシード、というものだろうか)


 雪乃がちらりと足元をみると、高級そうな靴とスラックスの間から金属質な光沢が顔を覗かせた。義足だ。しかも両足とも。


(やはり手伝ったのは正解だったのだ)


 雪野はむふーと鼻息を荒くした。


 反対側に渡り終えると、お爺さんはお礼にコインをくれた。


 お金は受け取れません、と雪乃は断固拒否する構えだったが、お爺さんは「これは使うためのコインではありません。もっているだけで幸せになれるコインなのです」といい、雪乃に押し付けた。


 有無を言わさない迫力を感じて雪乃は受け取り、お爺さんと別れたのだった。


「幸運のコイン……か」


 雪野は外国人の横顔が描かれたコインを夕日に照らし、ポケットにしまった。


 ようやく住宅街に入ったころ、公園で遊んでいる子供たちをみかけた。


 すでに日は暮れてきている。


 雪野は迷わず公園に足を踏み入れた。


「コラ! もう暗いのだから帰りなさい!」


 雪野の一喝で、子供たちははぁいと返事をして散って言った。


 それからなにごとものなく家に到着した。時刻は19時を回っていた。


 彼女が帰宅したのは学生寮……ではなく、島の南端、海に面したコンテナハウスだ。


 この辺りはもともと十年前の異世界事変で家を失った人々のための避難所として使われていた。


 現在はタダ同然で住むことができる。というか、学生に限りタダだ。


 雪乃は自宅に入るとうだるような暑さに眩暈がした。


 季節は夏。七月の頑張りすぎな太陽がたくさん仕事をしてくれたおかげで農家は喜び雪乃はとろけそうになっていた。


 雪乃はすぐに窓を全開にして扇風機をつけると、タンスの上のお香立てに線香を二本刺した。


 彼女は正座したまま写真に手を合わせる。


 写真に写っているのは、まだ七歳の雪乃といまは亡き父と母。


 幼い雪乃は大きな雪だるまの前で、道着姿の父に抱っこされながら刀の形をした玩具を振り上げている。


「ただいま、お父さん、お母さん」


 目を閉じると当時の記憶が蘇ってくる。


 誕生日の日。最初は母と二人で雪だるまを作っていた。父は来ないはずだった。道場を営む父にとって、寒稽古の時期はそれなりに忙しい。


 七歳ともなれば仕事が大事なことだということくらいわかる。


 きっと父はこない。雪乃は幼いながらに自分を納得させていたが、父は来てくれた。その日の稽古を一本勝負とし、百人の弟子を相手に勝ち上がり早々に切り上げてくれたのだ。


 雪野は嬉しかった。同時に強くて優しい父が誇らしかった。


 父はよく言っていた。


ーーーー人生に苦難はつきものだ。大事なのは、やるべきことをやること。それだけなんだ。


 父の言葉はいまなお雪乃の心の奥に灯っている。


 その言葉があったから、雪乃は勇者と魔王の激闘、俗にいう【異世界事変】のあとも生きてこれた。


 苦難に立ち向かう勇気を持ち続けることができた。


 異世界事変の日、崩壊した道場に両親が押しつぶされても、彼女は生きることを諦めなかった。


 魔物が跋扈する東京で、勇者と魔王が激闘を繰り広げる爆音に耐えることができた。


 救助されるまでの丸一日、真冬の屋外で震えながらも生き延びることができた。


 父と仲のよかった親戚も死んでしまい、孤児院に入り慣れない環境での孤独にも耐えることができた。


 雪野はいつだってやるべきことをやってきた。


 孤児院では先生のお手伝いを率先してやった。


 自分より年下の子供たちの面倒も見た。


 崩壊した東京での炊き出しや片付けも手伝った。


 すると雪乃の周りには大勢の人が集まった。


 雪野はやはり父の言葉は正しかったと思うことができた。


 やるべきことをやる。人のために尽くす。自分の身を粉にする。


 主のいない滅私奉公の精神で、彼女は生きてきた。


 世のため、人のため。


 それが彼女の心を支える大事な習慣なのだ。


 そんなどこか強すぎる責任感の持ち主であるがゆえに、無理がたたってくじけそうになった時もあった。


 そんな時に手を伸ばしてくれたのがーーーー。


 雪野は顔を上げた。


「さて、夕飯の仕度でもしようか」 


 雪野は手早く料理をつくって食卓の丸テーブルに並べた。


 今日の夕食はメザシ一匹と梅干しと白米。


 雪野は手を合わせ真摯に「いただきます」といった。


 食事を口に運びつつ、スマホでテレビをつける。


 テレビでは、異世界の門が不安定だとかなんとかアナウンサーが言っていたが、内容はほとんど頭に入ってこない。


 窓の外をみると、空には夏の大三角形が浮かんでいた。


 ※ ※ ※


「はぁ、疲れた……」


 腕立てふせのあとは懸垂で広背筋を刺激し、その後はさらにランニングマシーンで二時間も走った。


 部屋に備え付けのシャワーで汗を流し、食堂に降りた。


 夕食のトレイを受け取り空いている席につく。


「今日はハンバーグか! うっまそー!」


 夜人はトレイに乗っているハンバーグに勢いよくかぶりつく。


 肉汁が口内にしみわたりたんぱく質を求めていた全身の細胞が喜んでいる。やはり健康的な若者に必要なのは肉だ。肉はすべてを解決してくれる。


「よー、夜人。今日はどうだったんだー?」

「抜けたのかよー?」


 学生寮の知り合いが声をかけてくる。


 夜人は口いっぱいに白米を詰め込みながら「全然」と答えた。


「だと思った」

「よくやるよお前もさー」


 二人組はそれだけ言い残して去っていった。


 夜人はお椀を置いて考える。自分のやっていることが無駄なことかもしれないなんてことは何百回も考えた。でもいつだって考え抜いた先の結論は聖剣を抜きたいというただそれだけのシンプルな答えだ。


 夜人はあの異世界事変の時に家族で北海道にいっていたので直接的な被害にはあっていない。北海道のテレビで見た勇者と魔王が戦う姿。それはどんなアニメや漫画や映画よりも迫力があって、なによりリアルだった。


 特撮のヒーローよりもずっと現実的な英雄の存在に、幼い夜人の心はすっかり魅了された。それはもう勇者グッズを買いあさるほどにメロメロだ。


 家があった地域は更地になっていたが、それでも親といっしょだったこともあり人並みに大変な思いをするだけですんだ。


 両親は積極的に災害救助の炊き出しなどに参加し、夜人も手伝わされた。


 雪野と知り合ったのはその炊き出しだった。


 彼女はテントの裏手でうずくまっており、夜人は彼女に手を差し出した。


 当時の雪乃はいまよりずっと弱々しい女の子だった。線も細くて、どこかのお嬢様といった感じだった。なのに大人よりも働き者で、夜人は素直に感心したものだった。親も亡くしたと聞いていたのでなおさらだ。


 夜人はよく雪乃の孤児院にいっては彼女を連れ出して海へ行ったり川へ行ったりとにかく遊びに連れて行った。


 いつも大人に混じって働いている彼女のことを少しでも知りたかったから。


 それに彼女は、間近で勇者をみた貴重な知り合いだった。それだけで仲良くなるには十分な理由になった。


 夜人は雪乃を知れば知るほど彼女のすごさを思い知らされた。


 勉強も運動も頑張り、大人たちと対等に話をする彼女は自分よりずっとすごい人物に思えた。霧崎雪乃は、いつしか夜人の模範になっていた。


 夜人は彼女の行動を参考にしながら、自分も鍛えることにした。


 いつのまにか人のためにばかり行動している雪乃よりも強くなってしまったが、それを差し引いても彼女はいまだ夜人の目標のままだ。


 なにより彼女にはいつか聖剣を抜いて見せると宣言してしまった過去がある。


 その約束を反故にするくらいなら死んだほうがマシだ。


 だから、夜人は聖剣を抜くことを諦めない。


 他人からどれだけ馬鹿にされようと、本気で抜くつもりでいる。たとえこの先、何十年かかっても。


「っし! 勉強すっか!」


 夜人は両手で頬を叩き、気合を入れなおした。


 自室に戻り勉強机に向かう。机には大量の参考書。参考に混じって「勇者ノート」なるものがボリューム十三まである。 


 勇者になるには体力だけでは駄目だ。学力もなければならないはずだ。


 夜人は自身が考えた理想の勇者になるために、ひたむきに努力するのだった。


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