最大ミステリー、もも色みかんの謎
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翌朝、バンクラーナとプローメルが帰還した。
事件関連の資料を西域第七分団基地に搬送し、すでに撤収作業にかかっている列石群の捜査本部ではなく、ドラムベーグの宿にてカヘルは直属部下ふたりの報告を受ける。
「ヤフィルの在所にて発見した皮紙書類は、全て鳥たちに破壊されてしまいました。しかしバンクラーナ侯が見た限りの情報を、書き出してあります」
ひと気のない食堂の隅、卓子上に広げられた筆記布にカヘルとローディアは目を走らせる。
「イリー諸国発行の身分証ですね?」
「まずフィングラス発行のものは、通し番号までルウェータ町役場で提示されたものと同じで、ヤフィル名義でした。しかしもう一葉、外来市民としてのフィングラス身分証があったのです。そちらは≪スターファ≫という名義でした」
「イリー市民、外来市民と組になった同様の身分証が、全部で八葉もあったのですか?」
平らかな表情の裏で、カヘルは愕然としていた。それだけの身分証を、ヤフィルは一人で使い回していたと言うのだろうか? ……何のために?
「そうです。フィングラス、デリアド、ガーティンローにファダン。どれも≪ヤフィル≫と≪スターファ≫の組み合わせでした」
「……偽造の身分証という可能性は?」
「ざっと真偽を確認しましたが、すべて透かし加工が確認できました。本物です」
相変わらずバンクラーナ侯はすんごい目利きだな、とローディアは同僚に賞賛の視線を送る。
「間違いありませんね。不正取得した幾つもの身分証を使い分けているこの女性は重要人物、イリー各国に入りこんで何らかの工作を行っている裏組織の人間でしょう。デリアドに帰還しだい、指名手配をして諸国にも通告します」
今回の殺人事件に、この女性は直接関与したわけではなかった。しかしヤンフィールの属していたであろう犯罪集団の本幹を、このまま野放しにしておくわけにはいかない。カヘルは危機感を募らせていた。
身分証……複数枚の公式書類をやすやすと取得していたあたり、イリー側の事情にも精通した手練れだ。それだけ頭が回るならば、ルウェータ町役場で見せたヤンフィールの身分証の詐称取得あるいは偽造など、朝めし前だったのだろう。
そして組織の末端、小者たるヤンフィールをわざわざ地方騎士分団のお膝元に住まわせていたのも周到だ。まさに灯台もと暗しで、大規模な宿場町の繁華街よりよっぽど足がつきにくいことを見抜いている。
「スターファ、というのはいかにも東部系の名前ですね。ヤフィルの外見についてはイリー系なのか東部系なのかはっきりしませんが、こうして二つの名を使い分けていたところを見ると、混血なのかもしれない」
「どっちともとれるような感じですね」
ローディアが相槌を打つ。女性は化粧ひとつでも、工夫すればかなり印象を変えられるからなぁ、と側近は思った。
「カヘル侯。私からもう一つ、引っ掛かった点を」
それまで主にバンクラーナに話させていた、プローメルが渋く言った。
「どうぞ、プローメル侯?」
「二か月前にアヌラルカの町の近辺で、≪さしもぐさ≫集落の関係者が違法業者と対峙した事件がありました。あの時、北部穀倉地帯から来ていたとみられる人身売買業者に誘拐され、そのまま行方不明になっている東部系女性の名前が、たしか≪スターファ≫なんですよ」
「……。東部ブリージ系には、よくある名前ですか?」
「いいえ。自分の記憶の限りでは、他に例を聞いたことがありません」
イリー社会において、人気のある名前は使い回される傾向にある。我らが副騎士団長にちなみ、デリアド国内ではキリアン君と名付けられた男児が近年増加しているくらいだ。しかしこの場合における≪スターファ≫は、同名別人物というわけではなさそうである……。プローメルはそう、渋く直観していた。
「そちらについても、帰城の後にアヌラルカの事件詳細を確認したいと思います」
「そうですね。もし同一人物であったとすれば……」
プローメルにうなづいてカヘルは卓上に右肘をつき、こめかみに指をあてた。
あの事件と奇妙な失踪……自作自演ともとれる誘拐劇は、明月にデリアド東域で起きた。
そして翠月の終わり、北域フォルターハ郡で起こった殺人事件にも、謎の東部組織に連なる人狩り業者が間接的に関与していた。
――今は金月、ここは西域レイフェリー郡……。
カヘルは行く先々に、その組織の昏い影を感じとる。イリー諸国の首脳陣が≪蛇軍≫と称しているその地下組織は、のどかなるデリアド辺境にまで既に見えぬ根を生やして、我々をからめ捕ろうとしているのだろうか、と副騎士団長はたびたび自問していた。
今も深く考察しかけたカヘルだったが、背後にふと、もっさりとした気配を察知する。振り返ったローディアが慌てて立ち上がり、ノスコに席を空けた。
「ちょっと、……大丈夫なんですか? 起きちゃって」
宿据え付けのねまきに部屋がけを巻き付けた病人姿で、よろよろと衛生文官は腰掛ける。
「ノスコ侯。昨日から貴侯には何度も話を聞いていますが、依然として記憶にあやふやな部分はないのですか?」
「ありません! カヘル侯」
やたらぴかぴかした笑顔にて、ノスコは答える。プローメルとバンクラーナが顔を見合わせた。
「なのでもういっぺん、お話しします。はっ、おかえりなさい! バンクラーナ侯にプローメル侯! じつは私、昨日人生で初めて捕虜になってしまったのです。いや、人質と言うかー!」
カヘルも、ローディアと顔を見合わせた。
真犯人の前、そうとは知らずに医療進歩について饒舌に語り聞かせて油断させ、最新の揉み療治を実験台……もとい被験者に喜ばれて、ノスコは気を良くした。一人で来ていることの危険性をまるきり忘れて、スウィーンにヤンフィールのことをたずねてしまったのである。
もう何年間も屋敷に寝たきりで引きこもったまま、外で何が起こっているかを知らずにいた老女は、ノスコの質問に素直に答えていった。
「スウィーンさんは長いこと、痛み止めの薬湯類を様々服用していたのです。だから耐性がついてしまった。ヤンフィールの幻覚きのこ薬湯も、他の方ほど強くは効かなかったのでしょう! ヤンフィールと名のる男が来て、それが亡くなった旦那さんのように見えたこと。いくばくかのお金を小切手でわけた後に出て行ったと言うことを、時系列ではっきり認識していたのです。スウィーンさんの語った事実、死亡直前にヤンフィールがメムイー村の屋敷に来ていたことを我々が知れば、真犯人は言い逃れのできない状態になると察したのでしょう! よって真犯人は、私の記憶を薬でもみくちゃにしようとしたのです!」
普段の様子とはだいぶ異なる、演説調にてノスコは堂々語り上げた。言い回しは少々違っても、もう三度聞いているカヘルとローディアは首をかしげる……本当に何度聞いても同じ話、一貫して整合している。ノスコの頭は、さべ茸に毒されなかったらしい。
「私は女中さんが台所へ飲みものを作りに行っている間に、スウィーンさんから話を聞きました。しかし戻ってきた真犯人に、湯のみでなく手巾の一撃をいただき、……」
美しい白い歯並みをきらーと輝かして、ノスコは視線を泳がせ宙を見上げた。
「そこで。もも色みかんをふたつ携えた、黒羽の女神さまに笑いかけられたのです……。何と言う恍惚、イアルラ・ナ・ノスコは果報者です! 我らがうつくしき守護神に栄えあれ」
がくり、夢みる衛生文官の身体が後方に沈む。腰掛からずり落ちかけたところを、間一髪でローディアがもじゃもじゃ抱きとめた!
「うわっ、だめだ。やっぱりまだまだ、もも色みかんだ」
「どうしようもないな、……室に寝かしてきます。階上だっけ?」
バンクラーナとプローメルが左右から肩を入れて、若き衛生文官をずりずり引きずっていった。
「ついでに少々、室で休んでください。午後一で帰城しますから」
直属部下二人の背中に声をかけてから、カヘルはローディアに座り直すよう視線で示す。
目の前に広げられた何枚もの筆記布を眺めて、カヘルは低く鼻から息を抜いたらしい。
――今回の事件解決にも、納得いってないんだな……。
側近騎士は、副団長の胸中をおしはかった。




