始祖の町をたずねて
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淡い灰青色の空が徐々に明るくなりつつある、その下。黄土色をまとった女と男が、露に湿った草道を歩いてゆく。
けっこうな速足だ。カヘルはファイーに合わせているつもりなのだが、それが普段の自分の歩き方とほとんど変わらない。これがファイーの通常速度らしい。
「カヘル侯、よく眠れましたか?」
相変わらずのぴしッとした調子で、ファイーが問うてくる。
「ええ」
いつも通りの冷えひえ調子で、カヘルも答える。
先ほど遠くに雄鶏の声を聞いて、自分でも驚くほどにカヘルはずばッと起きたのだった。信じられぬほどの爽快感、身体も頭もやたらに軽い! 何なのだこれは、むしろ気持ち悪いッ!
「なぜか、平生よりもよく眠れた気がします」
「そうですか、わたしもです。昨夜の濃い香湯が効いたのでしょう」
しゃかしゃかしゃか……。
騎士長靴で丈の短い草を踏みしだく音を規則正しくたてながら、女性文官は言った。
「香湯?」
怪訝そうにつぶやいたカヘルを、ファイーの青い双眸がすいと見る。
「ええ。香水山薄荷には、強力な催眠作用があります。個人差はありますが、わたしにはかなり効きますね」
「……ここまで効くものなのですか?」
この奇妙なまでの快眠をもたらしたものの正体を知り、カヘルは内心で驚いていた。
「はい。生前のヤンフィール氏はそれこそ、香水山薄荷を方々に売り歩いていたのかもしれませんよ。眠りに悩んでいる人はたくさんいますから」
――なるほど。薬湯材料の行商とは、そういう需要に応えるものであったのか……!
カヘルは身に沁みて感心した。薬効あらたかと言うからには、しぶしぶ我慢して飲むような苦いものを想像していたのだ。しかし昨夜ファイーと飲んだのは、香湯としてしか認識できない口当たりまろやかな飲料である。
――こんなもので睡眠困難が改善できるのなら実に手軽、かつ美味しいではないか! 帰宅したら、これから毎夕食後に香水山薄荷を淹れてもらうよう、母上に頼んでみよう……。
「ここを左に曲がります」
女性文官のぶれない経路案内、二人はくいっと細い脇道に入る。ここは列石群の周辺と同じく、樹々のまばらに生える農地がごくなだらかな起伏の上に広がっている。その先が、やや盛り上がって高台になっていた。
「目的地に到着しました。≪はじめの町≫の遺跡です」
こんなに小さなところだったか、と言うのがカヘルの正直な感想だ。
今夏の浜草が白く乾いて枯れかけた中に、灰白の石くれがごつごつと入り混じる。≪はじめの町≫は西向け段々に切り立った崖を間にして、紺色にさざめく海を臨んでいた。三百年の昔、始祖らが暮らした家々の痕跡は、もはや石床部分しか残っていない。
ごく小さな家の基盤は四角く狭く、軍用天幕のほうがよっぽど広々としていそうだった。そしてそのささやかな生活の名残すら、海からの風に日々削られてゆっくり砂塵となり、地に還ってゆく最中なのである。
「あの一帯です。夏の雨に傷んでしまったのは」
ファイーの指さす方向には、握りこぶし大の灰白石がごろごろと転がっていた。
こうなると、もう到底遺跡には見えない。ファイーが言う通り、埋めて少しでも風化を遅らせる方が賢明なのかもしれなかった。さもなくば、イリー植民の最初の礎はいつしか姿を消してしまうだろう……完全に。
そうしてデリアドの民は、やがて町がここにあったことを忘れる。名前すら語り継がれなくなる。イリーの礎は、存在した事実を忘れられてゆくのだ。忘れられてしまえば、それはもうなかったことと同じになる。
「カヘル侯。こちらが例の丘なのですが」
感傷をつつく侘しさのあふれる廃墟に、びしびしと安定した声が通る。
≪はじめの町≫の高台を北に少々下ったところ、そこに緑色の土まんじゅうがあった。
ファイーのすぐ後ろを歩いてついて行きながら、カヘルは首をかしげた。人工の丘と言うからには、それなりの山らしさを期待していたのだが……これは!
田舎の小家、それも室が一つっきりしかないようなのと同じくらいの、かわいらしい土の盛り上がりでしかない。子どもの遊び場にちょうど良さそうだった。戦争ごっこをするなら、てっぺんが本陣に適している。
見たところ緑色のまんじゅうであったが、近くに来てみれば、ごつごつした石の合間に草が吹き出してはびこっているのである。
「冬になって草が枯れてしまうと、石に覆われた表面があらわになるので、地元の人々には≪石ころ丘≫と呼ばれているのだそうです」
ファイーについて、極小の丘を回り込んでゆく。そこに、灰色の石が散らばっていた。
「夏の雨でここが崩れ、表面部分の石がずいぶん落ちてしまいました。そうして、この戸口があらわれたのです」
さりげなく置かれたような灌木の枝を、ファイーががしっと両手で取り除ける。カヘルは目を見張った。
「……巨石、ですね?」




