9.決着
翌日、評議会に現れた皇帝は大病を患ったのかと思うほどに顔色が悪かった。
そして開会の宣言の後にこう言った。
「昨日までの話し合いによって、何が起きたのかは概ねわかったと思う。誰が、なんのために、どのような方法で、ということはもう良い。時間の無駄だ。余に残された数日をせめてこの国のために使いたいと思う」
「陛下!それはなりません!」
宰相をはじめとした評議員達が皇帝の言葉を遮ろうとするが、皇帝は右手を挙げて傾注を促す。
「余の命をもってセレナ嬢の命の贖いとする」
「なりません!それだけはお考え直しください!」
宰相カンビルが絶叫する。
皇帝に近い者から席を立って皇帝に詰め寄る。
項垂れて動かない第二皇子の周りでもヒソヒソと言葉が交わされる。
「なんということだ」
「陛下のお命とあの皇子のお命とでは…」
「なぜ皇子は自らの罪を陛下に負わせるのか…」
夜を徹して行われた家族会議でも第二皇子ミヒャエルは自分が責任を取ると口にすることはできなかった。
ただただ恐ろしかった。
父が自分の代わりに命を差し出すと言い出しても、悲痛な顔で父を見上げるのみで何も言わなかった。
毒杯ならまだいい、せめてギロチンならば貴族の矜持でもって自分を律することができたかもしれない。
ただ生きたまま魔獣に食われるというのだけはどうしても受け入れられなかった。
恐ろしい想像をするだけで全身が震え、自らの罪に向き合えず責任を転嫁する道だけを求めて思考を巡らしていた。
なぜ自分はセレナにあんなことをしたのか。
なぜ国外追放だけにとどまらず魔獣に食わせるようなことをしたのか。
その答えは評議会で散々口にした通りだ。
マリアーネに良いところを見せたかった。
それだけのことだ。
「…………」
今更ながら取り返しのつかない愚かさに吐き気がしてくる。
せめて魔獣だけはと何度も神や精霊に祈り、その精霊達に怒りを向けられていることに絶望した。
なんでこんなことに。
「僕はただ、マリアーネと幸せになりたかっただけなんだ」
自分の行動を動機で正当化するしかできない。
ミヒャエルが自分の罪と向き合うことは、最後までなかった。
「なぜ皇子は平然としておられるのか」
周りの声が嫌でも耳に入ってミヒャエルの自尊心を打ちのめす。
皇族の自分があからさまに蔑まれていることに苛立つものの、その貴族を睨みつけることもできない。
誰もが自分の死を望んでいる。
その現実が恐ろしかった。
ただ惨めに俯いて、この暴虐の嵐が過ぎ去るのを待っていた。
「そうなっちゃったかー」
「なっちゃった」
「なっちゃった」
「ラッタッタ」
「バカ皇子フォーエバー」
トキオ帝国の狂騒を冷めた目で覗き見ていたエイダリアの周りを精霊がぶんぶんと飛び回る。
鬱陶しそうに顔の前で手を振り、エイダリアはフムとため息をついた。
皇子が自ら責任を取るならばそれでよしと思っていた。
魔獣に食われる直前に介錯してやろうとも思っていた。
「…………」
チオダ皇帝といえど人の親だったか。
国家の元首としては失格。
だが気持ちはわかる。
皇帝の苦悩を余すところなく観察して、エイダリアは憐れの心を催していた。
「精霊達よ。ひとつ忠告なのだが、このことをセレナが知ったら悲しむと思うぞ」
「えー」
「そんなことあるわけないじゃん」
「じゃんじゃん」
「知らせなければ大丈夫ー」
「記憶を消しちゃう手もあるー」
精霊達は呑気で残酷だ。
人に対する愛情があるんだかないんだかもよく分からない。
おそらくはないのだろうが。
恩寵の姫を大事にすることが精霊達の全てであり、精霊と人との関わりなどそんなものだ。
ヒト族、エルフ族、ドワーフ族、獣人族、その他の亜人種に至るまで、全ての人類の代表として恩寵の姫を愛する。
それだけのことなのだ。
「…………」
子を持つ親として、もう一度だけチオダ皇帝の肩を持ってやろうと決める。
「もしセレナがかつての友人達に会いたいと願ったら、それを叶えてやりたいと私は思う」
精霊たちはぶんぶんと飛び回るだけで何も言わない。
エイダリアの言葉の続きを待っているのだろう。
「あの子の本当の両親もあの子に会いたいと願っているだろう。私はこの里にあの子を迎えるつもりでいるが、あちら側の関係性を全て絶ってしまおうとは思っていない。それは幸せとは言えないからな」
「そうなのー?」
「そうなのー?」
「わかんないー」
「しあわせ大事ー」
「セレナの幸せー」
「そうだ。あの子の幸せを考えるならば、あの子の過去を断ち切ってはならない。会いたい者とは会わせるべきだし、そこに嘘や隠し事があっては幸せも紛い物になるだろう」
「ダメダメー」
「本物の幸せー」
「溺れさせたいー」
「しあわせー」
「しあわせ大事ー」
「あの子の死を贖うために皇子はともかく父親が命を差し出したと知ったら、あの子は責任を感じてしまうだろう」
純粋な精霊達に対して卑怯な言い方だなとは思うが、チオダ皇帝が親としての覚悟を決めた時点で、こうなることは決まっていたのかもしれない。
もしもチオダ皇帝の決断まで見通した上での神の御心ならば…。
そこまで考えて不敬な考えを頭から振り払う。
「死の直前で助けてやるのが、帝国にもっとも深く罪を認識させ、かつセレナの心を傷つけない方法だと私は思う」
「なにそれー」
「なにそれー」
「償ってなくないー?」
「同じだけの苦痛だよー」
「フリだけじゃだめじゃん」
「そうだな。同じだけの苦痛というならば全く足りない。だがそれはあなた達の復讐だろう。結果としてセレナを悲しませるなら、私は違う意見だ」
「なにそれー」
「わかんないー」
「エイダリアに任せるー」
「任せるー」
「よきにはからえー」
「わかった。感謝する。ではあの子にことの顛末を隠さず教えてやろう。それであの子がどう思うのか、それが一番大事だからな」
エイダリアの執務室。
過去と現在を映し出す記録用魔道具の水晶を覗き込んで、セレナはエイダリアから説明を受けていた。
ヒト族国家の代表者達の前で頭を下げる皇帝と皇后。
各国からの激しい糾弾に一切の反論をせず詫び続けるトキオ帝国の面々。
エイダリアが赴いての二度目の対面で、皇子はいまだ未熟ゆえその責は親の自分にあると宣言する皇帝。
皇城の城門前で式典用の豪奢な衣を脱いだ皇帝が質素なローブを纏って馬車に乗る。
涙を流して見送る皇后と宰相。
皇帝の権力を削ぐために苛烈な言説で第二皇子を追い詰めていた貴族達も、この期に及んでは悲痛な眼差しで皇帝の最後を見送っている。
決意の灯った瞳で父を見る皇太子はなかなか芯がありそうな男だ。
それら全ての場面において俯いて何も見ず誰の声も聞こえないよう歯を食いしばっている第二皇子。
一連の映像を見届けたセレナがため息をつく。
「結局、責任を取らなければいけないあの方は最後まで黙っているんですね」
「そうだな。あの男が罰を受けるのはこれからだ。父親を見捨てた息子として永遠に蔑まれて、その名誉が回復することはないだろう」
「皇帝陛下はあんなに立派なのに」
「最後だけはな。もともとあの男が無関心だったのが原因でもあるし、そもそもこの国の平民に対する価値観が異常だ」
その言葉に再びため息をつく。
「私が…決めて良いんですよね」
「ああ、同じだけの苦痛を差し出せと言ったのは精霊だが、それはお前のためだからな。お前が望むのならば私があの男の命を助けてやっても良い。あるいは苦痛のない死を与えるのも立派な慈悲だよ。あの国にとってこれからは紛れもない地獄だ」
精霊の恩寵を失うことになった原因も、その責任の所在も、全てのヒト族に公開されることだろう。
その上で各国は対応に追われるのだから。
魔獣の脅威は増し、大地の恵みは減少する。
それだけでも途方もない損害を与えたことになる。
賠償するのかしないのか、どこまで賠償すれば許されるのか、果てしない非難の中で交渉を続けていかなければならない。
「望みませんよ、命なんて」
そう言ってエイダリアの目を見る。
「お前の命を奪った奴らだぞ?」
エイダリアの冷たい声に怯む様子はない。
「だとしても、です。あんなに怖くて苦しい思いをしてもらったからって、私の心が晴れるなんてありえないです。まして本人ではないのですから」
ふふ、とエイダリアの口から声が漏れた。
この優しい子をどれだけ甘やかしてやろうか。
確か男のひ孫が産まれて20年ほど経っているはずだから、セレナを甘やかす役目を与えても良いかもしれない。
エルフ族に託された恩寵の姫をデロデロに甘やかして一切の不安を抱かせずに天寿を全うさせる。
それもエルフ王族の立派な務めだろう。
そんなことを考えながらセレナの手を握り皇帝の最期を見守る。
深き森の手前で馬車を降りた皇帝は、同行すると言い張る御者を叱りつけてから1人で森へと入っていく。
「この人、近衛騎士団の団長さんですよ」
セレナが御者の男を指差す。
「忠義に厚い騎士だな。皇帝と最期を共にする気だったか」
「お嬢様がちょっと意地悪で、団長さんもけっこう辛辣な人だったから意外です」
なるほどこの騎士もセレナを軽んじていた1人だったか。
水晶を操作して騎士とセレナとの関わりを見ていくと確かに辛辣、というかあからさまな侮蔑が見て取れる。
ため息をついて水晶の映像を現在の皇帝付近に戻す。
「…………」
皇帝にはここまでの忠義を示すくせに、平民だからというだけでセレナを疎んじていた。
やはりこの帝国の価値観はどうにも不可解なものだと思った。
皇帝が森に入ってしばらく、皇帝の周りを狼型の魔獣が取り囲んだ。
皇帝はまだ気づいていない。
「あ…」
セレナが魔獣に気づいて声を上げる。
その目に恐怖の色が見えて、エイダリアはセレナの頭を撫でた。
そのまま自分にもたれかからせて、背中をさすってやる。
「私がいるから、もう怖くない」
「はい」といって肩に頭を擦り付けてくる。
打ち解け合えた喜びとセレナの支えになれた嬉しさにエイダリアの胸が熱くなる。
「これからあの男を助けに行く。セレナはここで待ってるといい」
「いえ、私も行きます」
「怖いだろう?無理をすることはない」
「エイダリア様が一緒なら平気です。それよりも皇帝陛下にはひと言くらい言いたい気分なんです。ダメでしょうか?」
「ダメなことは何もないさ」
セレナの心に怒りが芽生えたなら、それもまた立派な強さだ。
恐れを乗り越える糧になることだろう。
現に狼型の魔獣がいるにも関わらず、セレナは皇帝に文句を言ってやることを選んだ。
「魔獣など私が蹴散らしてやるから、言いたいことを言ってやれ」
「はい」