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8.偽聖女の査問

 聖女のお勤めとして祈祷をするようになってから、マリアーネは疲れ果ててほとんど自室から出られなくなっていた。

 以前なら華やかに着飾って社交の場で笑顔を振りまいていたのに、最近は夜会どころが茶会にすら顔を出さない。

 マリアーネを伴った皇子が現れると、議場は非難のざわめきに埋め尽くされた。

 「あの女が……」「なんと愚かな……」「婚約者でもない殿下に腕を絡めてみっともない……」

 皇子はまるで舞踏会にエスコートでもするように腕をマリアーネに取られ、疲れ果てた顔にもうっすら微笑みを浮かべている。

 マリアーネは急いで支度したのであろうことがわかるものの上質なドレスと高価な装飾品を身につけている。

 皇帝が呼んでいるとでも聞いて浮かれているのだろう。

 期待に満ちた瞳で議場を見回している。


 議場にいる者にとってもはや皇子とマリアーネはヒト族すべての敵と言っても過言ではない。

 あの二人の不貞の結果、聖女はヒト族から失われるかもしれないのだ。

 そしてそれはヒト族の今後が過酷なものになるということ。

 その元凶たる2人が肩を寄せ合っている姿のなんと憎らしいことか。

 皇子はまるで先ほどの非難が無かったことかのように穏やかな瞳でマリアーネを見つめている。

 ここが査問と糾弾の場であることを忘れたのか、その目にはマリアーネしか映っていない。


 「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。本日はご機嫌うるわしく……」

 皇子に腕を引かれて皇帝の前に立ったマリアーネが優雅にカーテシーを行い皇帝に挨拶を述べる。

 その言葉を遮って宰相カンビルが声をかけた。

 「挨拶は結構。此度はあなたに尋ねなければならないことがあってお呼びだてした。皇帝陛下の御前であるゆえ、嘘偽りなく答えるように」

 期待していたものとは違う宰相の冷たい声に、マリアーネはコテンと首を傾げた。

 その仕草が可愛いとでも思っているのかと、周囲の誰もが苛立ちに眉を寄せる。

 普段なら愛らしい仕草かもしれないが、この期に及んでそれは挑発にも等しい。

 ただひとり事態を認識していないマリアーネのみが呑気に思考を停止させている。

 皇子はようやく先ほどの糾弾を思い出したのか、マリアーネの傍らで顔を青くさせている。


 「セレナ・マリンフィールド嬢が国外追放になったのは、あなたに対してセレナ嬢が嫌がらせをしたからという訴えであったが、それが虚偽であるということがわかった。それは間違いないかね?」

 宰相が簡潔に問う。

 マリアーネは数秒の間、目を瞬かせてから、目にたっぷり涙を溜めて声を上げた。

 「ち、違いますぅ!私はセレナ様にとても酷いことをされて…うぅ……とっても怖くてぇ……」

 そう言って横に立つ皇子に縋り付く。

 だがいつもなら優しく肩を抱いてくる皇子の反応がないことに気がついて皇子の顔を見上げる。

 泣きまねをしつつ怪訝な顔で皇子を見上げるという、滑稽なほどあざといその様子に、さらなる苛立ちが議場に満ちていく。

 こんな女にヒト族の未来が壊されたというのか!

 声なき叫びは評議会の総意であり、それほど脆弱なチオダ皇室への怨嗟となって皇帝と宰相の胃をキリキリと締め上げた。


 「マリアーネ嬢、あなたの訴えが虚偽であったということはその場にいた生徒の全てが証言している。また聖女に加護を与えていた精霊達から我々も直接聞いている。この件に関してあなたの訴えは虚偽であるという結論がすでに出ている。間違いないか問うたのは、せめて真摯な姿勢を見せてくれるかと期待したからだ。改めて問おう。あなたの訴えは虚偽であった。これは間違いないかね?」

 判決文を読み上げられていることに気づかずマリアーネは涙声で訴える。

 「そんなぁ…信じてください…私はセレナ様に虐められていたんです…うぅ…ぐすん…」

 なおもおぞましい演技を続けるマリアーネにため息をついて宰相は続ける。


 「わかった。それでは次の問いに移ろう。マリアーネ嬢、あなたに聖女の力が現れたのと同時期にセレナ嬢から聖女の力が失われていったという報告がある。これは間違いないかね?」

 宰相の新たな問いにマリアーネは狼狽えるどころか意気を強めて答える。

 「そ、そうですぅ!私が本物の聖女だから、セレナ様は力を失ったんです!ミヒャエル様だって私が本物の聖女だって……ねえ?ミヒャエル様?」

 縋りついても微動だにしない皇子に自らの胸を押しつけて体を揺する。

 その振動にミヒャエルはマリアーネを見た。

 そしてマリアーネと目があった。

 その瞬間、ミヒャエルの心にマリアーネこそが真実を言っているという確信が芽生えた。

 「そうだとも。君こそが真なる聖女だ。癒しの力で傷を癒してもらった者達も沢山いるんだ。それが何よりの証拠だよ」

 「ミヒャエル様ぁ……」

 皇子の肯定にうっとりと目を潤ませるマリアーネ。

 なるほどこれは魅了の魔術だと議場の何人かが息を呑む。


 「あれは精神系の魔術や薬物を使用している者の特徴ではないか」

 誰かの声に非難とは別のざわめきが広がる。

 そうなのだ。

 幻惑系の薬物に溺れているものは極端な意識の切り替えをすることがある。

 都合の悪い現実を完全に無視して快楽を追い求めてしまう。

 そして精神操作系の魔術にかかった者も、同じように極端な現実認識をすることがある。

 先ほどの糾弾などなかったかのように振る舞う皇子の様子は、まるで精神操作を受けているようではないか。


 「魅了…だな」「魅了でしょうな」「あの様子を見るに間違いないかと」「嘆かわしい」


 他人の精神を操作する魔術は禁術に指定されており、行使した者は最低でも懲役刑が言い渡される。

 しかし魔術に明るい者は知識として魅了や隷属などの術の特徴を把握している。

 その者らの呟きに議場にいる全員が納得する。

 すなわち、皇子はマリアーネに魅了の術をかけられている、それが此度の騒動の原因であると。


 先ほどまでの憔悴しつつも正直に語っていた皇子は正しく現実を認識していたように思う。

 だが目の前の皇子は一切の疑問を持たずにマリアーネを肯定している。

 もしかしたら魅了とは、接触しているか目を合わせるかしないと、現実の認識が優先されるのかもしれない。

 だがそうだとすると普段から平民聖女を虐げていたのは魅了の術によるものではないということだ。

 皇子自身の感情を魅了の魔術が増幅していた可能性が高い。

 マリアーネと出会う前は皇子としてセレナ嬢に理性的に接しつつも、内心は平民として蔑んでいたのだろうと。

 だがそんなことはもはやどうでも良い。

 細かな事情などヒト族全ての問題にとっては些事であり、皇子にとっても自分か皇帝の死を賭け札に精霊達と交渉を行う以上、もはやマリアーネとの未来はない。

 今さら魅了の術にかかったところで一時の現実逃避にしかならないだろう。


 新たな発言者が議場に立ち、証人として数人の男女を呼んだ。

 呼ばれたのは服装からすると神殿の者だ。

 演壇に立った男が証人に尋ねる。

 「マリアーネ嬢がセレナ嬢に代わって聖女の勤めを果たしているが、あなた達から見てどうかね?」

 「どう…と申されましても…あの…」

 衆目に晒されることに慣れていないのだろう。

 証人の神官達は狼狽えた様子でモゴモゴと答える。

 「あなた方の目から見てどう思うかを正直に述べてほしい。マリアーネ嬢は聖女として不足はないかね?」

 「え、不足だらけです」

 答えやすかったのだろう、証人の女性神官が即答した。

 「ちょっと、あなた何を言っているの?」

 マリアーネが女性神官に厳しい目を向ける。

 「だって術を起動するたびに倒れているじゃないですか。毎度毎度魔力薬をガバガバ飲んで休憩もタップリして、それで起動できる時間は必要最低限。これで不足なしなんてとても言えないですよ」

 普段から溜め込んでいたのであろう女性神官は一息で言い切った。

 その態度にマリアーネは歯をギリと噛み締め睨みつけるが、反論は出てこない。

 「セレナ様の時は1時間で終わってたお勤めが半日かかっても終わらないんですよ。それからようやく私達は自分の仕事を始められるんです。ウチの部署全体で残業が多くなっているのは勤務日報からも確認できると思います」

 女性神官はマリアーネを冷ややかな目で一瞥してから演壇の評議員の目を見て言った。


 「つまりマリアーネ嬢は聖女としての能力に欠けていると?」

 その言葉に今度は第二皇子が声を張り上げた。

 「違う!マリアーネはまだ聖女になって日が浅いから慣れていないのだろう。仕事を熟していけばセレナのようにできるはずだ」

 その言葉に別の男性神官がハッと笑い声を漏らし、皇子の視線を受けて慌てて表情を取り繕う。

 「貴様いま笑ったな?皇子である私に対して不敬だぞ!」

 「いえその、いえ、笑っておりません」

 「ではなんだと言うのだ!」

 「申し訳ありません、クシャミを我慢しただけでして」

 そう言って頭を下げる神官の男に、演壇から声がかかる。

 「この場で不敬などに問われることはない。君の意見も言ってみてくれないか?」

 「あ、はい。あー、ええと、ですね」

 「遠慮することはない」

 宰相からも声がかかり、男性神官は気まずそうな顔で周りを見渡してから言った。

 「お勤めと言っても聖女様には祈っていただくだけなんですよ。魔法陣の中心に座ってお祈りする。それだけなんです。なので慣れるとかそういう問題じゃないんですよね。単純に魔力の質と量の問題です」

 「セレナ嬢にはお勤めに充分な魔力があったと?」

 「はい。充分どころじゃないですよ。なんなら一日中だって祈れるって言ってましたから」

 演壇の男と証人の男性神官のやり取りが続く中、皇子が声を張り上げる。

 「貴様らが魔法陣に細工をしてマリアーネから魔力を余計に奪ったのではないか?」

 「そんなことをする理由がどこにあるんです?」

 意外な質問に目を丸くして男性神官が皇子に問う。

 「マリアーネを認めたくないのだろう!」

 「あのですね、聖女様のお勤めって国家のインフラなんですよ。個人の気持ちでどうこうできるシステムじゃないですし、衛兵と記録用の魔道具で24時間監視されてるんで、どれだけ腕の立つ魔術師でもあれに手を加えるのは不可能ですね」

 不敬に問わないと言われて安心したのだろう。

 証人の男はやれやれというふうに説明する。


 「もう良いでしょう。殿下はマリアーネ嬢のことになると冷静さを失われるようだ」

 演壇に立っている評議員がため息と共に言った。

 「なんだと!?」

 「殿下の態度が全てを物語っていますよ。この場にいる全員が殿下の様子に只ならないものを感じていると思います。魅了にかかっていると言われたら納得できますね」

 さて、と間をおかず続ける。

 第二皇子の反論を演壇の男は無視して証人に問いかける。

 「最後にあなた方に聞きます。セレナ嬢とマリアーネ嬢、どちらが真の聖女だと考えますか?」

 「「「セレナ様です」」」

 証人達の声が重なった。


 「そんなぁ…違いますぅ、本物の聖女は私なんです。うぅ…ぐすん…」

 この期に及んでなおも不愉快な泣き真似を続けるマリアーネの様子に議場の温度がさらに低くなった。

 演壇の男はマリアーネをチラと見てから皇帝に向き直り頭を下げる。

 「陛下におかれましてはもう全てをご理解のことと思います。なぜセレナ嬢から魔力が失われ、なぜマリアーネ嬢に癒しの力が現れたのか、そのカラクリまでは分からずとも、何が起きたのかは明白でございます」

 その言葉に皇帝は深くため息をつき、その日の評議会の解散を告げた。

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