6.精霊の怒り
「「「「「トキオ帝国の謝罪を受けにきた」」」」」
舞踏会の会場に染み渡るように響いた不思議な声に、会場は静まり返った。
「「「「「恩寵の姫に対する帝国の罪を贖え」」」」」
恩寵の姫という聞きなれない称号に顔を見合わせる。
「「「「「セレナ姫だよ」」」」」
その言葉に反応したのは一部の貴族の令嬢や令息達だった。
そしてガタッと無様な音を立てて椅子から転げ落ちたのはトキオ帝国の第二皇子ミヒャエルだ。
「セレナ姫とはどの国の姫君のことですかな?我が国にはそのような名前の皇族はおらぬのだが」
宰相カンビルが不愉快そうな顔で問う。
「セレナ・マリンフィールドという少女を殺しただろう」
まったく突然、1人の女が精霊達のそばに現れた。
幾人かは転移だと気づいたかもしれないが、大多数はヒト族と変わらぬ身体の大きさから、より上位の精霊が現れたのかと息を呑んだ。
透き通るような銀髪に尖った耳。
人の領域を超えた美しい顔立ちにゾッとするほど冷ややかな瞳。
まるで塵芥でも見るかのような、とてもチオダ皇帝に向けて良い目ではない。
「誰かね?皇帝の御前であるぞ。エルフといえど無礼な物言いは慎みたまえ」
エルフ。
かつて木の精霊が肉体を持ったとされる亜人種で、基本的にはヒト族と関わることはない。
長命で魔術に長け、過去に何度か帝国から臣下に加わるよう脅されても、一度として屈したことのない誇り高い種族だ。
帝国が武力で従わせようとしてもエルフの不思議な魔術に翻弄され帝国はエルフを屈服させることは出来なかった。
「私はエルフの女王エイダリア。ヒト族の王に垂れる頭は持っていない」
エルフの女王というのが本当かどうかはどうでもいい。
ただエイダリアが桁違いの魔力を持っていることはその場の誰もがわかった。
見えるのだ、魔力が。
エイダリアの周囲だけ薄い緑の光が粒子となって舞っている。
その粒子の一つ一つが膨大な魔力を内包しているのが直感で分かった。
特別魔力に鈍感な者でなければエイダリアの纏う光の粒子が魔力の塊であると認識できたはずだ。
そしてそれほどの魔力を隠しもせず纏っているということがエイダリアの内心を物語っている。
すなわち、エイダリアは戦闘態勢でこの場に立っている。
近衛騎士団の魔術師は腰を抜かしてガクガクと震えている。
騎士達は直感で悟っていた。
「閣下……この者を切れる者はこの場におりません。お逃げください」
騎士団長の敗北宣言に各国の重鎮がそろりそろりと出口の方へ動き出す。
「ダメだ。動くな」
エイダリアの声と共に会場の空気が質量を持ったかのように重くなった。
自分の体重が倍になったかと思うほどの重圧。
足は床に縫い止められたかのように動かない。
そんな中、精霊達が楽しそうにエイダリアの周りを飛び交っている。
「エイダリアー」
「リアリアー」
「なんで来たのー?」
「嫌だって言ってたじゃん」
「ねー」
エイダリアは眉間に皺を寄せて顔の周りを手で払うような仕草をした。
「神官のムートスから貴方がたのサポートをするよう言われましたので。さて――」
エイダリアは宰相カンビルに顔を向けて顎を上げた。
「聞こえなかったのか?セレナ・マリンフィールドという少女を殺しただろう」
宰相は言葉を探しているのか黙っている。
「カンビルよ。どうやら余は虎の尾を踏んだようだ。全てをありのままに話すが良い」
ため息と共に出た皇帝の言葉もまた、会場にいるすべての者にハッキリと聞こえた。
「かしこまりました陛下。エルフの女王よ、セレナ・マリンフィールドという女を国外追放したのは事実だが、我々は彼女を殺していない」
「そうだな。だが魔力を封じて魔獣のいる森に一人で置き去りにするというのは殺したと同義だろう」
「それは我が国の法に則ったまでのこと。罪人は法の元に裁かれ罰を受けねばならない」
「どのような罪を犯せば、斯様な悲惨な刑を課せられるというのだ?」
「それは…少々お待ちいただけるだろうか」
そう言って宰相は皇帝と何事か相談する。
宰相も皇帝も平民の聖女がどんな罪で処断されたのか覚えていないのだから答えられるわけがない。
「ミヒャエルよ」
皇帝が第二皇子の名を呼んだ。
第二皇子は椅子から転げ落ちた姿勢のままエイダリアの重圧を受けて動けない。
真っ青な顔で皇帝を見る皇子に皇帝が続ける。
「セレナ嬢を裁いた理由と経緯をエルフの女王に答えよ」
エイダリアがミヒャエルに目を向けると、ミヒャエルは動けるようになったらしくノロノロと立ち上がった。
「わ、私がセレナ・マリンフィールドを国外追放にしたのは……」
皇子の言葉は続かない。
どう言えばエルフの女王が納得するのか考えているのだろう。
「あの女が…そ、そうだ…あの女が私の大切な女性を執拗に苦しめ、殺そうとしたからだ。私は正しい裁きを下してあの女を国外追放にした」
その言葉にエイダリアが目を細める。
「精霊達よ。あの者はああ言っている」
その言葉に精霊達が一斉に反論する。
「嘘だねー」
「嘘だねー」
「セレナ姫がそんなことしてないのは僕達が知ってるよ」
「ずっと見守ってたんだから」
「嘘つき」
「嘘つき皇子」
精霊達はビュンビュンと飛び回りながら口々に皇子の言葉を否定する。
「だそうだ。恩寵の姫は精霊達に愛される存在ゆえに、精霊達はいつも恩寵の姫を見守っている。恩寵の姫に関して偽証しても意味はないぞ」
「そんなことはない!私は被害者から直接聞いているし証人だっている。それを」
「だから偽証に意味はないと言っている。恩寵の姫に関しては精霊達の見解が全てだ」
そう言ってエイダリアは会場を見回した。
「誰かいないか?この男がセレナ姫を断罪する場に居合わせた者は?」
その言葉に応える者はいない。
「いいのか?このままではこの場にいる全員生きては帰れないぞ?」
その言葉に会場は再びざわめく。
「誰かいるだろ?」「うちの娘が卒業パーティーで見たと言っていた」「殿下と同じ学園の生徒なら皆が見ているはずだ」「早く名乗り出ろ!」「ああこのままでは…」
誰もがエイダリアの武力に怯え、名乗り出ろと囁きあった。
「あの…私…見ていましたわ」
貴族達の言葉にか細い声が応えた。
その言葉に会場の視線がひとりの少女に集まる。
「私…カロンヌ侯爵家のフェリスと申します。私は殿下がセレナ様を断罪なさる所を見ておりました」
「フェリス。名乗り出てくれてありがとう。何もしないから怖がらないで。こっちへ来てくれる?」
エイダリアは優しい声でフェリスに言った。
それまでの剣呑な雰囲気がなりをひそめ、フェリスにニッコリと笑いかけた。
その柔らかい雰囲気にフェリスはコクリと頷いてエイダリアの元へ歩み出た。
エイダリアはフェリスの両手を取って視線を合わせた。
「あの男のことは見ないでいいから、私を見ながら答えてくれる?あの男がセレナ姫を断罪した時の様子はどうだった?」
まるで母親のような口調でエイダリアはフェリスに問いかけた。
「はい。あの…殿下は…婚約者であるセレナ様のことを一方的に罵っておられました。一切の反論は許さぬと。それからマリアーネ様を未来の皇后とおっしゃって、だからセレナ様は魔力を封じて深き森へ追放すると…ああ…私達は殿下がとても怖くて!…殿下のお心ひとつで私達も深き森へ送られるかもしれないと…」
フェリスはいくらか大袈裟に声を振わせながら、傍観者であったことを糺されないように自分の立場を訴えた。
「フェリスありがとう。それは怖いわよねえ。愚かな男がそれだけの権力を持っているのだもの。勇気を出して名乗り出てくれた貴方をきっと悪いようにはしないわ。精霊達に貴方のことを取りなしてあげるから。安心してちょうだい」
そう言ってエイダリアはフェリスの頭を優しく撫で、背中を押して彼女を両親の元へ返した。
「さて、他にはいないか?」
再び凛とした声でエイダリアが会場に呼びかけると、ひとり、またひとりとフェリスのように学園の卒業生達が名乗りを上げた。
名乗り出たフェリスが悪いようにされないのなら、名乗り出なかったら精霊に何をされてもおかしくないということだ。
訴え出た者を不敬罪で罰するならエルフの軍を以て報復するとエイダリアが宣言してからは、ひきも切らぬほどの告発の大合唱となった。
皆が怯えていたのだ。
エイダリアの武力に。
そして神々しく輝きながら飛び回る精霊たちの存在に。
ヒト族国家の覇者たるチオダ皇帝すら匙を投げた皇子の行く末など、構っていられるはずもなかった。
「どうやら皇子の愚行は皆が知るところのようだ。さて皇帝よ、右も左もわからぬ子供の責は親に問うというのが常識だと思うが、いかがだろうか」
チオダ皇帝は黙っている。
愛しの我が子であるミヒャエルの愚行を未熟さゆえとするならば自分が責を問われることになる。
そんなことはありえないし許されることでもない。
600年以上に渡って受け継がれてきた皇帝の威厳を貶める権利は自分にもない。
すでに立派な大人であるとして第二皇子であるミヒャエルを裁くならば、すぐさま第三皇子を擁立する動きに直結するだろう。
盤石な第一皇子派をなんとか弱体化させようと、無闇にミヒャエルを担いでいた第二皇子派は第三皇子派を作りミヒャエルなどあっさりと切り捨てるだろう。
第三皇子派がまず行うのは第二皇子であるミヒャエルの抹殺だ。
自分を切り捨て第三皇子に鞍替えした貴族をミヒャエルが恨まないはずはないのだから、禍根を残すようなことはしないだろう。
後ろ盾のなくなったミヒャエルを暗殺することなど造作もない。
ミヒャエルを廃嫡にし、どこかの領地でも与えて隠居させるくらいしか、息子の命を繋ぐことは出来なさそうだ。
「ミヒャエルは廃嫡とし、臣下に降らせる。私からはセレナ嬢の遺族に対して賠償を行う」
逡巡の末に皇帝が発した重々しい言葉に会場はどよめいた。
「父上!それはあまりにも早計です……お考え直しください!……どうか!」
真っ青になって皇帝に訴えるミヒャエルに皇帝は冷たい眼差しを向け、息子の懇願を切って捨てようと言葉を吐こうとした。
が、それを遮ったのはエイダリアだった。
「だそうだ。精霊達よ、それで納得するかね?」
その言葉に会場が静寂に包まれる。
そして。
「するわけないじゃん」
「じゃんじゃん」
「納得なんてしないよー」
「馬鹿じゃないの?」
「馬鹿皇帝」
「ダメ親父」
口々に容赦ない言葉を吐きながらビュンビュンと勢いよく飛び回る精霊達を鬱陶しそうに眺めてエイダリアは言った。
「では貴方達の望む謝罪とは何か?」
その言葉に精霊達はピタリと動きを止め、言った。
「「「「「同じだけの苦痛を差し出せ」」」」」
誰も言葉が出なかった。
最初は何を言われているのかわからなかったし、言葉の意味を理解してからはあまりの要求に絶句した。
生きたまま魔獣に食われて死ぬという、絶望的な恐怖と苦痛を差し出せと、そういうのか。
馬鹿な。
たかが平民を殺しただけの咎で皇族がそのような罰を受けるなど、あってはならない。
そしてその罰を誰が受けるのか?
仮に罰を受けるとしても、第二皇子が魔獣に食われるということか?
先ほどエイダリアはなんと言った?
『息子の責は親に問う』と言ってなかったか?
まさか、まさかまさか、皇帝陛下に魔獣に食われろと、そう言っているのか?
「だそうだ。まずは同じだけの苦痛を差し出す事。それをもってセレナ姫に対する謝罪とする」
誰が?
誰がその苦痛を差し出すのか精霊もエイダリアも明言していない。
誰の命を差し出すかによって帝国の誠意を計ろうとしているのか。
「ちなみに恩寵の姫の身柄はエルフの里で丁重に保護している。これまでヒト族に対して与えられていた恩寵は今後エルフに与えられることとなる」
エイダリアの言葉に宰相カンビルが顔を向けた。
「待ってほしい。セレナ嬢は死んだのでは?」
「ああ死んださ。生きたまま魔獣に食われてな。セレナ姫の命が尽きた時、正確には心臓が鼓動を止めた時、精霊達がセレナ姫の時間を止めた。そして我々エルフの元に彼女を保護するよう頼んできたのさ」
「では結局は死んでいるのか?」
宰相の言葉をエイダリアは鼻で笑った。
「心臓が止まった直後なら蘇生は可能なのさ。そしてエルフの秘術なら失われた身体を再生させることもできる。お前達が捨てた命を精霊が拾い上げ、我々が保護している。そういうことだ」
「では、セレナ嬢の命の贖いなど不要ではないか!」
「馬鹿なことを言うな。お前達は確かにセレナ姫を殺したんだ。その責を問われるのは道理だろう」
なおも抗おうとする宰相の言葉を遮るように一人の男が軽く手を上げた。
「もし、エルフの女王よ。発言をしても構わないだろうか」
そう声をかけたのは隣国の重鎮だった。
「構わないぞ。ここにいる者は誰でも好きに発言するが良い。我々エルフには人間のように発言を許可するしないのマナーはない」
「ありがたい。では一つ質問をさせてほしいのだが、帝国がセレナ嬢…セレナ姫の死にどうやって贖うのかは帝国の問題だから我々は預かり知るところではない。ただ先ほど貴方が言った『これまでヒト族に対して与えられていた恩寵が今後エルフに与えられる』というのは、どのような意味があるのだろうか?」
その問いにエイダリアはフフと小さく笑った。
嘲笑したのだと示すかのようにニイと口の端を持ち上げる。
「恩寵の姫とは世代ごとに1人生まれる神子のことだ。お前達の言葉で言うなら聖女だな。その祈りは魔獣を沈静化させ、作物の実りをもたらし、雨を降らせ、人々を健やかにする。お前たちは魔術でそれを強化しているだろう。その恩寵が今後エルフに与えられると言うことは、すなわち、お前達ヒト族の周囲では魔獣が活性化し、作物の実りは減り、雨が降らず、怪我や病気も治りにくくなる。次世代の恩寵の姫は今後エルフから生まれることになる。精霊の恩恵を受ける対象がお前達ヒト族からエルフ族に変わったということだ」
その言葉に今度こそ完全な静寂が会場を満たした。
静まり返った会場を見渡してエイダリアが勝利者のように宣言する。
「どうやらわかってくれたようだな。ああ、ちなみにこの場で私を殺してもなんの意味もないぞ?お前達ヒト族が精霊から愛されることは当分ないだろう。まずはセレナ姫に与えたのと同じだけの苦痛を差し出して謝罪しろ。それから精霊達と交渉するなら仲介くらいはしてやろう」
「…………」
誰も口を開かなかった。
先ほどまでは第二皇子の愚かさを嘲笑し、皇帝か皇子のどちらかが魔獣に食われるという恐れ多くも痛快な精霊達の罰に胸を踊らせていた。
世界最高の権威とはいえ、あくまで親子の問題だったはずだ。
それがエイダリアの一言によってヒト族全体の問題に変わった。
先ほどエイダリアに質問をした隣国の重鎮が、皇帝に向かって深々と頭を下げた。
「チオダ皇帝陛下に申し上げます。この件はもはやトキオ帝国のみの問題ではありませぬ。我々ヒト族全ての問題です。どうか賢明なご判断を」
死ねと言った。
この男はトキオ帝国の現皇帝に魔獣に食われて死ねと言ったのだ。
もしくは息子を魔獣に食わせろと。
あまりにも不敬。
だがそれを咎める空気はどこにもなかった。
「エルフの女王よ、少し時間をくれるだろうか?」
真っ青な顔をした皇帝はようやくそれだけ口にした。
それに対してエイダリアは大仰に頷いた。
「もちろんだとも。重大な決断だ。ヒト族全てで話し合い、しっかりと結論を出してくれ。1週間後にまた来る。その時にこの場にいない国は委任したとみなす。ゆめゆめ忘れるな」
その言葉を最後にエイダリアと精霊達は姿を消した。
エイダリアが現れた時と同じように転移の魔術を使ったのだろう。
全ての国のトップや重鎮達は国に帰ることができなくなった。
1週間後にヒト族の運命を左右する会談が行われるのだ。
そしてその会談の前提条件となるのが筆舌に尽くしがたいほどの苦痛を差し出すこと。
いったいどのような罪ならそれほどの罰を与えられるのか。
そこまで考えて、エイダリアが発した問いを思い出す。
『どのような罪を犯せば、斯様な悲惨な刑を課せられるというのだ?』
最初にその刑を課された少女の罪とはなんだったか?
第二皇子のめちゃくちゃな断罪劇で少女はなんと言われていた?
皇子の愛する女性に嫌がらせをした?
階段から突き落とした?
そんなことであれほどの刑を言い渡したのか?
しかも全て冤罪だというではないか!
先ほど次々に少女の冤罪を証言した令嬢令息達が全て偽証なはずがない。
第二皇子の、たった1人の暴挙がここまでの事態を引き起こしてしまった。
皇子の馬鹿さも、皇帝の管理の甘さも、皇子に言い寄った売女も、止めなかった周囲も、その全てが憎い。
大陸の覇者などという権威はもはや地に落ちた。
各国から集まった者達は影に日向に会談を繰り返し、こぞってチオダ皇室を非難するのだった。