4.偽聖女~マリアーネ・フロイス侯爵令嬢~
「それではマリアーネ様、聖女様のお勤めをお願いいたします」
セレナを追放した翌日、朝食をとり終えたマリアーネを神官達が迎えに来た。
一瞬ポカンとしたマリアーネだったが、すぐに何のことかわかった。
「ああ朝のお祈りですね。わかりましたわ」
と言って席を立った。
セレナも朝食後にはどこかへ行って聖女の祈りをしていたことを思い出した。
祈るだけで聖女とは随分と楽なものだ。
セレナから奪った癒しの力を使う機会があれば賞賛を得られるのに。
国外追放などせず、地味な業務はセレナに押し付ければよかったかもしれない。
マリアーネは自分が転生した時に与えられた魅了のスキルを使ってミヒャエルや取り巻き達の心を操り、簒奪のスキルでセレナの聖女の力を奪った。
セレナの能力が高レベルすぎたため全てを奪うことはできなかったが、マリアーネが力を奪えば奪うほど、セレナの聖女としての力は衰えた。
礼拝堂のような祭壇のある部屋に通され、中央の魔法陣の中心で跪くよう言われる。
「それでは作物の実りを促進させる祈祷の魔術を起動します。聖女様には祈祷を通してその魔術に必要な聖なる魔力を込めていただければ大丈夫です。よろしいですか?」
魔法陣に必要な魔力を込めるだけなら容易いものだ。
学園の中でも自分の魔術の成績はトップクラス。
魔力量は学年トップであると思っている。
「では起動します」
神官の言葉に魔法陣が淡く光り、自分の体から魔力を取り込もうとする流れを感じる。
そして、
「死ぬかと思いましたわ」
魔術が無事に完了し、魔力を使い切ったマリアーネはげっそりしていた。
「聖女様、次は魔獣を沈静化させる祈祷をしていただきます」
その言葉に唖然として神官の顔を見る。
「まさか……まだやるつもりですの?」
今の魔術で自分の中に魔力はもう残っていない。
むしろ最後の方は魔力切れを起こしたマリアーネの体からなおも魔力を吸おうとする魔法陣が、生命活動に必要なエネルギーをも魔力に変換して無理矢理に吸い出していた。
あんなことをもう一度されたら命を落としかねない。
「い、嫌ですわ!私もう疲れてしまいましたの。き、今日はもう無理ですわ。明日にいたしましょう」
いやいやと首を振るマリアーネを不思議そうに眺める神官達。
「明日は明日のために祈りの儀式を行うのですから、今日の分は今日やっていただかないといけません」
神官達にしてみればマリアーネの言葉は「今日の昼食は明日食べます」と言っているのと同じことなのだが、一瞬で魔力を吸い尽くされ、さらに生命力をも魔力に変換されたマリアーネにしてみれば命に関わる問題だ。
「今の魔術でその…魔力がほとんど残っておりませんの」
空っぽを通り越してマイナスになったのだが、少しでも弱気を見せたくなくて虚勢を張るマリアーネに、神官の一人がにっこりと笑いかけた。
「初めての儀式で加減がわからなかったのですね。マリアーネ様はとても熱心でいらっしゃる」
ウンウンと頷く神官達。
「大丈夫ですよ。こちらに魔力回復用のポーションが揃っていますから、いくらでも使ってください」
魔力ポーションは通常のポーションと違って高価なものだ。
学園の授業でも高等魔術の試験の時以外は支給されない。
それをいくらでも使って良いとは豪勢なものだ。
マリアーネは貴重な魔力ポーションを試せることに少し心が躍ったが、その後の魔術で魔力の全てと体力をごっそり削られる恐怖に慄いた。
笑顔で「さあどうぞ」と差し出される魔力ポーションを飲みながら、無事に終わるのかしらと乾いた笑いを漏らした。
作物の実りを促進させる祈り、魔獣を沈静化させる祈り、国民の病や怪我の治癒を助ける祈り、敵国の侵入を防ぐ結界の祈り、必要な雨を必要な地域に降らせる祈りなどなど、全ての祈りの儀式を終えた頃には、マリアーネは生命力のほとんどを使い果たして抜け殻のようになっていた。
「お疲れ様でした聖女様。初日にしてはまずまずの魔力効率だと思います。明日また同じ時間にお迎えに参りますので、頑張っていきましょうね!」
良い笑顔でグッと親指を上げる神官の言葉に絶望を突きつけられるのだった。
「なによこれ!?こんなの聞いてない!毎日こんなことしてたら死んじゃうわ」
学生寮の自室に戻ったマリアーネは鏡の前で憤慨していた。
鏡の中には精気を使い果たし疲れ切った顔の自分がいる。
たった数分の魔術でここまで消耗するなんて考えもしなかった。
「目の下にクマが……こんなこんな……!……嫌だ……せっかく美しい体に転生したのにこんなこと……」
かつて日本という国で普通のOLをしていた女は、神様の手違いでトラックに轢かれて死んだ。
お詫びに好きなスキルを2つ持って転生させてあげるよと神様から提示されたスキルの中から自分が選んだのが魅了と簒奪だ。
剣聖とか剛力みたいなガチムチ系のスキルなんて興味なかったから消去法的に選んだスキルだったが、この世界では大いに役立った。
特にこの美しい見た目に魅了のスキルの組み合わせは反則だと思う。
このスキルを使えば男は誰もがマリアーネのことが大好きになり、多少無茶な要求でもすんなりと聞いてくれるようになる。
そして学園に入りこの世で最高の権力者の息子と出会った。
皇子や取り巻きのイケメン達を全員攻略して逆ハーレムを完成させたマリアーネは学園内では完全に無敵だった。
女生徒からのやっかみの視線も最高の興奮剤だった。
そしてついに自分が持つ簒奪のスキルの使い道に気がついた。
聖女セレナ。
彼女から聖女の力を簒奪して自分が聖女となり、名実共に皇子の婚約者となる。
そして自分の力を使えば第一皇子から継承権を奪うのも容易い。
学園で男達を骨抜きにしたのを皇城で再現するだけだ。
マリアーネは自分にチートを二つも授けてくれた神様に感謝した。
第二皇子にそれとなく皇位を得られる方法があると囁けば、魅了にかかった皇子はその言葉を容易く信じた。
手違いで死んで別の世界に転生したとはいえ、日本でOLやってるより最高に楽しい人生を過ごせている。
この世界で最高の冠を手にする日を見据えて、マリアーネはセレナから少しずつ聖女の力を簒奪していった。
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「新しい聖女様は随分と虚弱のようですね」
祈祷の魔法陣をメンテナンスしながら、神官の男が同僚の女に言った。
「そうですねえ。祈祷を行うたびに随分とくたびれていらっしゃった。まあ貴族のご令嬢なんてそんなものかもね」
二人の会話に儀式の場にいた同僚達が入ってくる。
「昨日までの聖女様は平民でしたからな。連続で祈祷をこなしてもケロリとしていらっしゃったから、今日の聖女様には正直ビビりましたぞ」
「魔力ポーションがぶ飲みしてましたね笑。ご令嬢のあんな姿はじめて見ましたよ」
「平民聖女様は魔力ポーション使ってましたっけ?」
「いやあ私は見たことありませんな」
「まずまずどころか激マズの魔力効率でしたね」
「まあ我々としては日々の業務がこなせれば問題ないですから、新しい聖女様には早いところ慣れていただくしかないですね」
「ええ。実際のところこの祈祷の魔術が本当に必要なのかどうかもわかりませんし、いつも通りにやってお給料がもらえれば私としてはそれで良いですよ」
「まったくです」
神官達はまだマリアーネが偽物だとは思っていなかった。