1.舞踏会
ざまぁ初挑戦。
よろしくお願いします。
災いだ。なんという災いだ。
嘆かわしい。
せめて苦しまずに。
ああ。
セレナ姫。
□■□
トキオ帝国650年。
皇帝チオダ8世の在位30年目を祝う祭のフィナーレとなる舞踏会が開かれていた。
隣国シンジュ公国やミナト商人連合のトップあるいはそれに近い身分の者達がこぞって最高の装いで集まり、偉大なるトキオ帝国の長きにわたる繁栄を寿いでいた。
そんな中、いつの間にそこにいたのか、黒いローブの人物が人波の中を縫うように歩いていた。
向かう先はこの場で最も高貴な御方のおわす場所。
皇帝と皇后が座す、周囲よりも高い位置に設けられた特別席。
魚が泳ぐように人波をスイスイとすり抜け近づく不審な人物に気づいた近衛騎士達が、ローブの人物の行く手を阻むように立つ。
どうしたことか、精鋭の近衛騎士が全く反応することができない滑らかな動きで、ローブの人物は騎士達をスルリスルリと交わしていく。
そしてとうとう皇帝に最も近い位置に立つ近衛騎士団長をも躱して皇帝と皇后の前までたどり着いた。
場に緊張が走る。
トキオ帝国が誇る近衛騎士団といえば、近隣に並ぶもの無しと謳われた誉れ高き精鋭中の精鋭だ。
当然、怪しげな人物に後れを取るなどあり得ない。
舞うように優雅に、いとも簡単に皇帝の前にたどり着いたローブの人物の異様さに誰もが息をのみ、あわや衆目の面前で皇帝が暗殺される可能性を思い描いた。
しかしチオダ皇帝の気概たるや見事なり。
面妖なる歩法を使い近衛騎士を手玉に取ったフードの人物に臆することなく目を細め顎を上げた。
「何者だ」
皇帝の低い声に場のざわめきはピタリと止んだ。
2000万人の臣民を擁するトキオ大帝国の国父にして、臣民の財産や生命すらも己が所有物であると認められた唯一絶対の帝。
そんな皇帝の剣呑な一言は会場にいる者達を震え上がらせた。
フードの人物が優雅に立ち止まると、すかさず近衛騎士達が取り囲む。
号令あらばいつでもフードの人物に切りかかれるよう剣に手をかけている。
近衛騎士団所属の魔術師達はフードの人物にわざと聞こえるように詠唱を始める。
皇帝をはじめ会場にいる誰もが思った。
これで終わりだ、と。
フードの人物は動かない。
頭をすっぽりと覆うフードのせいで男なのか女なのかもわからない。
ローブの下に見えるのはズボンとブーツ。
どうやら旅装のようだが、荷物を持っているわけでもなし、一体どのような人物なのか、それを判断するのは外見では不可能だった。
「陛下の御前であるぞ。ひざまずいて陛下の問いに答えよ」
次に言葉を発したのは宰相のカンビルだった。
皇帝の乳兄弟として共に育った男である。
カンビルもまた眼光鋭くフードの人物を観察し、護身用の魔道具を忍ばせた懐に手を入れている。
いざとなれば魔道具を発動して皇帝の前に身を投げ出し、その盾として忠義に殉じる覚悟が見てとれた。
トキオ帝国見事なり。
自国の貴族はおろか、周辺国のトップ達も感心するほどの凛とした帝国の威容を、フードの人物は鼻で笑った。
フードの中から漏れた高い声に、その場にいる者達はその人物が女性であると思った。
しかし続く言葉にまた考えを改めることとなる。
「トキオ帝国の謝罪を受けにきた」
そう言ったフードの人物の声は、どう考えても幼い子供のものだった。
若干舌足らずな、5~7才くらいの子供の声。
しかしフードの人物の背格好は成人のそれだ。
異様なちぐはぐさに場が再びざわめく。
しかも発言の内容が異常である。
帝国の謝罪など、建国以来一度としてあり得たことのない、とんでもないことを言ってのけた。
それだけで不敬罪により処断されるだろう。
「閣下、魔の者である可能性もあります。ご命令を」
宰相に判断を仰ぐ近衛騎士団長の鋭い声に周りがいっそうざわつく。
魔の者。
それは魔族とか魔獣という人類の宿敵を意味する。
仮にこのフードの人物が魔族であった場合、近衛騎士団が取り囲んでいる状況であっても危険がないとは言い難い。
すでに各国トップの周りにはそれぞれの護衛が集まり警戒を始めている。
宰相カンビルは瞬時に考えを巡らせた。
大人の風体に幼子の声。
人間でないのは間違いないだろう。
そして皇帝に謝罪せよと言ってきたからにはそれなりの理由があるに違いない。
魔族だとしたら理由は知れている。
人間と魔族は敵対するもの同士だからだ。
これまで幾度となく戦争を行い、そのほとんどで帝国は勝利してきた。
ならば魔族だと判明した時点で騎士団に始末させれば良いだろう。
ここで理由も問いただすことなく切れと命じなかったのはカンビルの優秀さを物語っている。
しかしそれは長く続く帝国の苦悩の始まりでもあった。
「まずはフードを取りたまえ。無礼であろう。それで我が国にいかなる咎を見出したのか話してみるが良い」
宰相の言葉に近衛騎士達が身じろぎする。
切りかかれと命じられるものだとばかり思っていたからだろう。
皇帝は何も言わない。
宰相の考えは皇帝チオダにはよくわかっていた。
黙って見ているだけだが、その眼光たるや壮年となった今でも、大陸の覇者としての威厳を失ってはいなかった。
フードの人物はクスリと笑うとローブの前を留めている紐を解いた。
するりとローブが床に落ちる。
そこには誰も居らず、小さな光の球がいくつも浮かんでいた。
そしてよく見ると、その光の中に小さな人間のようなモノがいて、それ自身が光を纏っているのがわかった。
小さな裸のヒト。
背中には蝶を思わせる羽が生えている。
「精霊だ……」と誰かが言った。
そう。
あれは大陸全土に伝わる精霊教で信仰されている精霊の御姿に他ならない。
花や木の妖精ならば目視では光の球としか認識できないが、ヒトの姿に羽が生えているあの御姿は、紛れもなく妖精の上位存在である精霊の特徴そのものだった。
その光る精霊の球が十数個、いや十数人だろうか、フードの人物がいた場所にフヨフヨと浮かんでいた。
大神官達はその場にひざまずいて礼拝する姿勢を取った。
貴族達はざわめきを通り越して騒然としている。
皇帝も宰相も言葉を探しているらしく黙っているが、目には明らかな動揺が浮かんでいる。
クスクスと精霊達の間で話し合う声が聞こえる。
「みんな黙っちゃった」
「黙っちゃった」
クスクス
「次はなんて言う?」
「なんて言う?」
クスクス
「神の怒りとか言っちゃう?」
「言っちゃう?」
「ダメだよ。怒ってるのは神様じゃなくて僕達なんだから」
「それもそうか」
「そうかそうか」
クスクス
「うふふ。楽しいね」
「今まで我慢してきたからね。うふふ」
「楽しい楽しい」
「ちゃんと反省してもらわなきゃね」
クスクス クスクス
全てを聞き取れた者はいないはずだが、精霊達の不穏な語らいに、宰相がようやく口を開いた。
「それで、精霊教で信仰されている精霊様…精霊の方々とお見受けするが、我が国にいかなる咎を見出されたのか。それが正当な主張であるかを我々は知らぬ。ここは舞踏会の場にて、謁見の間に場所を移してそちら方の主張をお聞きしたいと思うが、どうだろうか?」
トキオ帝国自体は皇帝が権力の頂点に位置するため国教を定めては居らず、精霊教も民間での布教を認可するにとどめているが、大陸全土に信徒を持つ世界最大宗教の信仰対象に謝罪せよと言われるのは非常にまずい。
ここにはそれこそ精霊教を国教とする国々の重鎮達も揃っているのだ。
宰相は震えそうになる舌を懸命に動かして精霊達に場所を移す提案をする。
このままここでなんらかの咎めを受けるわけにはいかない。
宰相の言葉に精霊達はまたクスクスと笑い合っている。
「場所を変えようだって」
クスクス
「時と場所を考えろ」
クスクス
「人間がよく言うやつだね」
クスクス
「僕達は時も場所も選んで来たのにね」
クスクスクスクス
「あの、精霊の方々?」
宰相の問いかけに精霊達が声をそろえた。
「「「「「トキオ帝国の謝罪を受けにきた」」」」」
完璧にハモったその言葉は美しい旋律となって舞踏会の会場に染み渡った。
特に大きな声でもないのに、会場の誰一人としてその言葉を聞き逃す者はいなかった。
「……謝罪とはいかなる咎によるものか?」
話の通じぬ相手に苛立ちを感じながら宰相は問い返した。
精霊達はまた声をそろえて答える。
「「「「「恩寵の姫に対する帝国の罪を贖え」」」」」
恩寵の姫?罪を?贖う?
何を言っているんだ?
「恩寵の姫…とやらはどなたのことですかな?我が国にはそのような称号を持つ姫はおりませ――」
「「「「「セレナ姫だよ」」」」」
宰相の言葉を遮って精霊達が告げた名前に、一部の貴族達が悲鳴を以て反応した。
そしてガタッと音を立てて椅子から転げ落ちたのは、帝国の第二皇子であるミヒャエルだった。




