Verre-1 灰かぶりと魔法使い1
穏やかな昼下がり、とある貴族の屋敷でお茶会が開かれていた。父であるサンドール子爵に同行した幼い息子のリオンは、大人達の難しい話から距離を取って庭に咲く花を観察しながらお茶菓子を口に運んでいる。
「ねえ! ねえ、そこのあなた!」
イチゴのタルトをフォークでつついていたリオンは、茂みの中から飛び出して来た女の子を見て目を丸くする。びっくりして動けなくなっているリオンをよそに、ふわふわの金髪の女の子は髪や服に付いた葉を払い落しながら距離を詰めて来た。
どうしてこんなところから女の子が出て来るんだろう。リオンは女の子の様子を窺う。貴族の屋敷にいるのだから、この女の子も自分のようにどこかの貴族のお嬢様なのだろう。そう考えて彼女の装いを確認し、豪奢なワンピースを纏っているのを見てうんうんと頷く。
「あなた、そのお菓子美味しそうね。わたくしにもくれない?」
「これはぼくのものです」
「えーっ、くれないの。それじゃあ持って来てちょうだい!」
「お菓子はそこのテーブルにありますよ。自分の食べる分は自分で持って来るべきです」
大きなイチゴを頬張るリオンのことを女の子は羨ましそうに見ている。
「あげませんよ!」
「むー。分かったわ! 分かったわよ!」
女の子は口を尖らせ、地団太を踏んでからテーブルへ向かった。しかし、どうやら背が届かないらしい。小さなリオンよりも小さな女の子には、大人達も使っているテーブルは高すぎたようである。
しばらく様子を見ていたリオンは、やれやれと溜息を吐きながら皿とフォークを取ってあげることにした。少し背伸びをしてタルトの載っている皿を取ってあげると、女の子は目をきらきらとさせながらリオンを見上げた。フォークを渡してあげると、さらに目がきらきらする。
「ありがとう! 素敵な方! さっきは嫌なやつだと思ってしまってごめんなさい!」
「困っていたら助けるのは当然なので。……きみはどこのお嬢様? どうしてあんなところから?」
イチゴのタルトを嬉しそうに頬張って、女の子はリオンを見つめる。
「わたくしはシャルロット。お母様の用事で、少しの間近くにいるの。ふふ、ここに来たのは内緒よ」
「内緒」
「こっそり抜け出して来たの。ここでお茶会があるって聞いて、気になって。おじさんやおばさんばっかりだなって思っていたらあなたがいて安心したわ! タルトも取ってくれたし!」
「大人の人に言わないでお出かけするのはよくないです」
「もう、みんなみたいなこと言わないで。ねえ、あなたのお屋敷は近くにあるの?」
「夏の間はここから近い別荘に滞在しています」
「そう! そうなのね優しい方。あなたのお名前は?」
シャルロットはタルトをぺろりと平らげた。
「ぼくはリオンです」
「リオン! 素敵なお名前ね。素敵なあなたにぴったりだわ」
それが、リオンとシャルロットの出会い。
リオンが別荘に滞在している間、シャルロットは時折彼の元を訪れた。シャルロットはいつも塀の隙間や生垣の間や木の上から現れる。家の人に言わずに出かけるのはよくないとリオンは毎回のように注意をしたが、その度にシャルロットは少しだけ寂しそうな顔をした。
交流を重ねるうちに、二人は少しずつ仲良くなった。
「ねえ、リオン。わたくしね、運命の人って自分で見付けるものだと思うの」
「そうなんだ」
「でもね。わたくしはきっとお父様達が決めた人と結婚するの」
貴族の子供であれば、親が決めた許嫁と結婚したり政略結婚の駒にされたりすることは少なくない。結婚なんて何年も先のことだから、シャルロットが今から深刻そうにしているのがリオンにはなぜなのかよく分からなかった。
「あのね、リオン。わたくしね、あなたが好きなの。優しくて、綺麗で、素敵で。だからね、大人になったらわたくしと結婚してくださらないかしら」
「え」
「リオン、大きくなったらわたくしのお婿さんになって!」
〇
「……ン……リオン……。……リオン、起きて。起きてください、リオン。こんなところでうたた寝していたら風邪を引いてしまいますよ」
「ん……」
肩を叩かれて、リオンは目を覚ました。差し込む光に銀の髪と青い瞳が煌く。
「にやにやしてましたよぉ」
「にやにやしてない」
「いい夢でも見てたんですか?」
「……昔の夢を見ていた気がする」
リオンは椅子から立ち上がり、東屋から退出した。声をかけてくれた真っ白な男が後に続く。
銀暦二四七五年、春。ペロア大陸東部レヴオルロージュ王国。王都パンデュールから川を一本越えた郊外の森の中にサンドール子爵ヴェルレーヌ家の別邸は建てられている。元々は王都により近い場所に大きな屋敷を構えて煌びやかな生活を送っていたが、十年前を境にヴェルレーヌ家は輝きを失って行った。
優しく穏やかな母が病に倒れたのだ。散歩に出れば小鳥達が安心して寄って来るほどの優しさとまで言われた母は、病床にあってもにこにこ笑ってリオンを心配させまいとした。「白い鳥を助けて、それ以来鳥さんと仲良しなのよ。困った時に、きっと貴方を助けてくれるわ」と、面白おかしい話をしてくれたのをリオンは今でもよく覚えている。
一家は療養のため自然に囲まれた別邸に移り住み、長年尽くしてくれた使用人達には本邸を売り払った金を分け与えて長い長い休暇を与えた。生活は質素になり、父のサンドール子爵も豪奢な社交界から身を引いた。三人だけの静かな日々を過ごしていた時が一番平和だったと子爵は語る。リオンの母はそれから五年後に亡くなった。よく頑張ったと医者は言っていた。そしてしばらくして現れたのが子爵の後妻、今のリオンの継母である。妻を失い傷心の子爵の元に二人の娘を連れてやって来た彼女は子爵に優しい言葉をかけ、リオンにも慈しむような目を向けた。しかし、信頼関係をしっかりと築き上げた頃、継母達は本性を現したのだった。
落ちぶれたように見えていても、貴族である。王都に足繫く通って議会に出席し、子爵は仕事に精を出していた。庶民と比べればまだまだ金はある。継母はそれを目当てに子爵に近付いたのだ。気の強い彼女に押され、子爵は次第に元気をなくして行った。そして、まさに好機と言わんばかりに継母と娘達はヴェルレーヌ家を乗っ取ったのである。リオンは頼りない父だとは思わなかった。ずっと傍にいたからこそ子爵の辛さや苦しさ、悔しさが分かっていた。心労が祟ったのか、子爵は数年前から議会に顔を出すことが減り、ベッドで横になっていることが多い。
また、継母と義姉達はリオンにきつく当たった。本邸での暮らしを僅かに語っていた服を奪い、家事を押し付け、自分達は街に出かけたり綺麗な服を着たりした。貴族の嫡男に向かってなんて仕打ちをするのかと抗議をしたが、まだ子供だったリオンは継母に打ち勝つことはできなかった。子爵は三人の行いを注意してリオンに昔から変わらない愛情を向け続けたが、三人を止めることはできなかった。「すまない、すまない」と憔悴しきった顔で謝る父にリオンは心を痛めた。
転機は、一年半前。
母譲りの栗色の髪がすっかり灰に染まってしまった灰かぶりのリオンの前に、魔法使いを名乗る男が現れたのである。
王宮で舞踏会が開かれるという知らせがヴェルレーヌ家に届いた。社交界から退いて久しい子爵の元に、プライベートでも交流のあった貴族から連絡があったのだ。曰く、第二王女の誕生日を兼ねた大きなパーティーになるから、たくさんの人が来る。大勢の中に紛れ込んでしまえば久し振りでもきっと大丈夫だから、貴方もよければ参加しないか、と。
子爵はベッドと仲良くしているので出席することはできない。名代でリオンが赴くべきだが、着ていく服などどこにもない。身に纏っているのは背が伸びたせいですっかり寸足らずになっているぼろぼろの服だけだ。部屋を散らかしてリオンの仕事を増やしてから、継母と義姉達は着飾って舞踏会へ出かけて行った。
惨めな自分を嘆いていると、真っ白な男が訪ねて来た。魔法使いだという彼はリオンに美しい衣装とガラスの靴を与えてくれた。魔法など御伽噺の中にしか存在しないもの。それでも、その時のリオンは魔法使いを信じて縋り付いた。どうしても舞踏会へ行きたかった。なぜなら、会いたい人がいたからだ。
幼い頃に仲良くなったシャルロットという令嬢。あの夏以降会えていない彼女も、大勢が集う舞踏会ならば参加しているかもしれない。国中から数多の人々が集まる舞踏会など次はいつ開かれるか分からないのだから、今行かずしてどうするのか。一縷の望みを胸に、リオンは美しい衣装を纏って愛馬を走らせた。
斯くしてリオンはシャルロットと再会するのだが、なんと彼女は第二王女その人だったのである。少しだけ一緒に踊って、名乗らないままリオンは帰宅した。魔法使いとの約束があったからだ。十二時になれば魔法は解けてしまう。とどのつまり、継母達が帰宅するまでに部屋の片付けやその他の家事を終わらせていなければ怪しまれてしまうから早く帰って来いということだ。舞踏会を最後まで楽しんでから帰宅すれば、衣装は取り上げられてリオンはただの灰かぶりに戻ってしまう。「結局魔法なんかじゃないじゃないですか」とリオンは言ったが、魔法使いは「無事なんだからよかったじゃないですか」と言って軽薄そうに笑った。
以後、不審な魔法使い――アンブロワーズ――はリオンに手を貸してくれるようになった。




