Verre-3 この靴にぴったりな人2
リオンが靴を履けたことに、継母達は驚いて顔を見合わせた。舞踏会に現れたガラスの君と家で仕事に追われていたリオンが結び付かない三人は、靴がぴったりだったのは偶然だと思っている。こんな偶然があるのだろうかと、目を丸くした。
「灰かぶり……リオン、おまえどうしてその靴が」
継母に問われて、答えたのはアンブロワーズだった。リオンの体に腕を回したまま、継母に嘲笑に似た顔を向ける。
「俺がいつからこの家に来ているか覚えていますか?」
「鳩は一昨年からだろ。一昨年の秋頃」
「舞踏会の後からですよ。どうして俺がここにいるのか。それは俺が、リオンに魔法をかけた魔法使いだからです」
「意味の分からないことを言うんじゃないよ」
「待ってお母様。つまり、アンブロワーズはリオンに対して何かをしたってことじゃないかしら。魔法で……絵本の魔法使いのように手助けしたとか」
継母、クロエ、ナタリーの視線がアンブロワーズに向けられる。
舞踏会の翌朝、何もおかしいことなどないと言うように、ごくごく自然な行いであるかのように、アンブロワーズが屋敷に現れた。不審者の登場に三人の女が困惑しているのを全く気にせずに、当たり前のようにリオンの隣に並んでべたべたとしていた。リオンの手伝いをしているのを見て、灰かぶりの生活に音を上げたリオンが使用人を雇って連れ込んだのだと認識した。シトルイユを買って来た時と同じだ、と。
この鳩はただの鳩ではないのか? 三人に見つめられて、アンブロワーズはリオンを捕まえたまま得意げに笑う。
「衣装とガラスの靴をリオンに渡したのは俺ですよ。貴女達に邪魔をされて『これじゃあ舞踏会へ行けないわ。よよよ……』と泣いていたリオンを助けたのは俺です」
「泣いてない」
「彼こそがガラスの君! 王女様のお相手!」
「やっぱり貴方がわたくしのガラスの君!」
「二人で挟むのやめてくれるかな」
立ち上がったシャルロットがリオンの手を強く引いた。アンブロワーズの腕から離れて、リオンも椅子から立つ。そしてそのままシャルロットはぐんぐんとリオンのことを引っ張った。使用人の女性と御者の男性も加わって、半ば強引に馬車に押し込もうとする。
「わたくしのガラスの君! 共に城まで来てください!」
「えっ! ちょっと、今ですか!?」
この格好で!? という声に聞く耳を持たず、王宮からやって来た三人はリオンのことを馬車に乗せた。
継母とクロエとナタリーもリオンがすぐに連れて行かれるとは思っていなかったため、慌てたように、心配するように、おろおろとして様子を見ている。リオンのことを本心から心配しているのか、それとも中途半端になっている掃除やこの後の昼食のことを心配しているのか。
「ア、アンブロワーズっ……!」
「はい!」
「衣装を持って来て!」
「はいっ! お任せください!」
馬車のドアが閉まる直前、リオンが見たのは頼りにされて嬉しそうにしているアンブロワーズの姿だった。
馬達が嘶き、馬車が動き出す。車内の座席は座り心地がよく、動揺していたリオンもひとまず体を預けて一息吐くことにした。
向かい合う形でシャルロットが座っている。小さな頃と変わらないかわいらしさ。舞踏会で見た王女としての姿。目の前に彼女がいるという事実を噛み締め、リオンは緊張と焦りで強張っていた顔を少し緩める。
いかにも高級そうな車内にリオンの普段着は不釣り合いだ。しかし、そんなリオンのことをシャルロットはきらきらとした目で見ていた。
「リオン・ヴェルレーヌ様、少し手荒な真似をしてしまい申し訳ありません。両親から『ガラスの君が見付かったら早急に連れて帰って来ること』と言われていて」
「服を着替える時間くらいくれてもよかったんじゃないですか」
「すみません……。あの、改めて確認します。貴方はあの舞踏会の夜、わたくしと踊ってくださったガラスの君なのかしら?」
「私のようなみすぼらしい男が正体だったと知って、失望しましたか」
シャルロットは首を横に振る。ふわふわの金髪が揺れた。
「いいえ。だってわたくしは貴方が素敵な方だと知っているから。……ねえ、リオン。貴方は……。貴方は、わたくしと会ったことがある……? 舞踏会よりも前に」
「……小さい頃、に」
「あ……! そう、そうなのね! 貴方、あの時のリオンなの。わたくし、貴方のことをずっと探していたの。あぁ、よかった。会えてよかった。すっかり見た目が変わっているから確信が持てなくて。しかも貴方がガラスの君だったなんて!」
ガラスの靴を履かせて回りながら、シャルロットは令息達に名前を尋ねた。名前を尋ねて、昔会ったことがあるかと訊いた。何人もの令息の元を訪ねたが、あの時のリオンに会うことはできなかった。
シャルロットはリオンの手を握る。王女の柔らかな手は、灰かぶりの荒れた手を優しく包む。
「シャルロット殿下、私のことを覚えていてくださったのですね」
「えぇ、忘れないわ。忘れるものですか」
同乗している使用人の女性にこれより先は口外しないよう言ってから、シャルロットはリオンに向き直る。
「忘れるわけがないわ。貴方はわたくしの運命の人だもの。言ったじゃないの、わたくしのお婿さんになって、って」
使用人の女性が「えっ」と声を漏らすが、彼女は慌てて口を抑えた。窓から外を眺めて、シャルロットとリオンの会話をあくまで聞いていないという形を取る。
リオンは重なっている自分達の手に目を落とす。かさかさのくたびれた手に触れるシャルロットの手が、柔らかくて温かい。思わず指を動かすと、シャルロットは強く握り返して来た。
「貴方はモーントル学園にいなかった。学園にいればもっと早く会えたのに。貴方の歳ならまだ在籍していてもいいでしょう? それとも、わたくしのように家庭教師を雇っているのかしら」
「学校には行っていません。行けるような状態ではなかったから」
「村の外れ、森の中のお家……あの別荘地に別荘を持っている家のお家があの大きさだとは思えないの。以前別荘の持ち主達も探したけれど、そこに貴方はいなかった。貴方の家が持っていた別荘はもうなくなっているか、誰かの物になっている。ねえ、リオン。何かあったの」
シャルロットの紫色の瞳がリオンを見つめる。ばっちりと補足されたリオンは逃げることなどできない。リオンはシャルロットから手を離し、膝の上に載せて居住まいを正す。
幼い日シャルロットと出会った、その後のこと。リオンはヴェルレーヌ家に起こった出来事を掻い摘んで説明した。シャルロットはぼさぼさの髪からぼろぼろの右足の靴まで、リオンのことを見る。怒っているのか、悲しんでいるのか、シャルロットの手は微かに震えていた。
見た目がみすぼらしいだけではなく、家まで昔とは違う状態になっている。今度こそ相手にふさわしくないと失望されてしまっただろうか。話しているうちに徐々に俯いていたリオンが顔を上げると、水に濡れた紫が目に入った。ぽたり、とシャルロットの目から雫が落ちる。
「わ……。で、殿下! すみません! 殿下を泣かせてしまうなんて。私は何かの罪に問われてしまうのでしょうか」
「わたくしが勝手に泣いているだけだから貴方は何も悪くないわ」
「同情しますよね、こんな……。いいんですよ無理に憐れんで泣かなくたって」
「違うの。わたくしは悔しいの。貴方が辛い時間を過ごしたことはとても悲しいことだわ。話を聞いているだけでわたくしまで悲しくなってしまいそう。わたくしは……。わたくしは、貴方に手を差し伸べられなかった自分が……貴方を助けてあげられなかったのが悔しいの。大切な人一人守れないなんて、王族として恥ずべきことだわ!」
わぁっ、と声を上げてシャルロットが泣き出してしまった。
別荘で顔を合わせていた頃。無邪気に走っていたシャルロットがリオンの目の前で転んだことがあった。幸いにも怪我はなかったが痛みはあり、ワンピースにも土が付いてしまった。リオンは土を払ってやり、わんわん泣くシャルロットに寄り添った。
その時と同じように、リオンはシャルロットに手を伸ばす。すると、揺れ動く馬車の中で躊躇いもなくシャルロットが席を立って飛び付いてきた。フリルの塊を受け止め、優しく抱き締める。
わぁわぁという泣き声は馬車の外にも漏れているらしく、御者の男性がどうしたのかと声をかけて来た。使用人の女性は問題ないことを伝え、そのまま王宮へ向かって走り続けるように言う。
「リオン……。リオン……! 会いたかった……!」
「はい。私もです、シャルロット殿下」
金色のふわふわと銀色のぼさぼさが触れ合う。シャルロットはリオンの腕の中でしばらくの間泣き続けた。




