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Prologue 舞踏会の夜

 本が開かれる。


「時計の針が十二時を回った時、貴方の魔法は解けてしまいます。……ただの灰かぶりに戻ってしまう前に、帰って来てね」


 魔法使いはそう言って、ページを捲った。





 銀暦ぎんれき二四七三年、晩秋。ペロア大陸東部レヴオルロージュ王国。


 城下町を駆け抜ける人馬の影が一つ。丁寧に舗装された石の道を蹄が蹴る。


 手綱を掴んでいるのは月明かりに照らされて輝く美しい人物である。父の再婚相手とその娘達に酷い仕打ちを受け「灰かぶり」と笑われる日々を送っていたが、突然現れた魔法使いから衣装を受け取ってすっかり見違えた。馬を走らせ、灰かぶりが目指すのは王宮だ。


 今宵は舞踏会。豪勢な食事が振る舞われ、楽団の演奏が大広間に響き渡り、着飾った紳士淑女が手を取り合って踊る。集まった人々の美しい装いが大広間の装飾と相まってきらびやかな空間を作り上げていた。


 貴族達の馬車に並べて馬を休ませ、灰かぶりは大きな扉を抜けて大広間へ進む。先に到着していた義姉達の傍を通ったが、彼女達はいつもと違う灰かぶりには全く気が付かなかった。


 やがて大広間に王子が姿を現すと歓声が上がった。フリルとレースに覆われた女性達は王子の姿を一目見ようと、そして王子の視界に一度でもいいから収まろうと、熱い視線を彼に向けながら我先にと距離を詰めた。皆一様に笑顔を浮かべているが、彼女達はドレスの下で互いの足を踏み付け合うようにして王子の周りで犇めいている。次期国王である王子は十九歳。色恋の話題があまり上がらないおとなしく控えめな少年である。末永く王子の隣に座る権利を得ようと女性達は自らを見せ付けるが、王子は勢いに押されて苦笑しているだけだった。


「順番、順番にね。僕はいなくなりませんから」


 押し合いへし合いをしている女性達を宥めながら王子は言う。さて、それではこの中の誰と最初に踊ろうか? 自分を取り囲むフリルとレースの塊達を見回した王子の目に留まったのは、流れるように揺れる美しい銀色の髪だった。灰かぶりである。灰かぶりは王子にも、それを囲む女性達にも目もくれず、大広間を颯爽と歩いて行く。


 銀の髪、青い瞳、金の刺繍が施された衣装。ひときわ目を引くのは足をぴったりと包む透明な靴である。そんな靴、誰も見たことがなかった。王子も、女性達もその姿を目で追った。楽器の音や人々の声の中、固くて脆いガラスの靴が床を蹴る。


「そこの貴女。マドモワゼル、もしよろしければ僕と踊っていただけませんか」


 フリルを割るように進んで、王子は灰かぶりに声をかけた。


「えっ……。私、ですか……?」


 灰かぶりは立ち止まり、王子を振り返る。イヤリングの紫色の石がシャンデリアを反射して光った。艶やかな唇から発せられた声に、王子は目を丸くして一歩後退った。「どこの女だ」と言って付いて来ていた女性達も驚きを隠せない。


 皆が想定していたよりも、明らかに声が低い。


「えっと……マドモワゼル……?」

「申し訳ありません殿下。私は男です」

「パンツスタイルの方もいるから、貴方もそういうファッションなのだと……。これは……。ムッシュ、大変失礼いたしました」

「いえ、たまにあることなので気にしていませんよ。それでは」


 優雅にお辞儀をして、灰かぶりは踵を返す。一体どこの御令息だろうか、と王子と女性達は灰かぶりの後ろ姿を見送った。王宮の舞踏会に来ているのだから貴族や富豪の関係者なのだろうが、皆には全く見当がつかなかった。


 数人の女性の相手をしつつ大広間を歩き回っていた灰かぶりは、そこここをうろついているうちにバルコニーへ辿り着いた。一休みしようとしたところには先客がおり、フリルの塊が手すりに手を載せて夜風を浴びていた。金色のふんわりとした髪がかわいらしい少女である。


「こんばんは。貴女は踊らないのですか」

「あら、見付かってしまったわね。お兄様やお姉様のように囲まれてしまうからこっそり抜け出して来たのに」

「……あ。殿下……?」

「なあに、その顔。わたくしだと分からないで声をかけたのね」

「すみません、こういう場には不慣れで……。やんごとなき方々のお顔もあまり分かっていなくて……」


 まごつく灰かぶりを見て、王女は小さく笑った。見目麗しいどこかの令息が舞踏会に慣れていない様が物珍しく面白かったのだろう。


「ムッシュ、よかったらわたくしと踊ってくださらない? その美しい衣装ならばわたくしとも釣り合うでしょう」

「殿下と? よろしいのですか」

「シャルロットよ。今宵は無礼講だもの、折角だから名前で呼んでちょうだい」

「シャル……ロット……」


 王女の名前を聞いて灰かぶりは瞳を揺らすが、彼の驚きになど王女は気が付かない。絹の手袋で包まれた小さな手で灰かぶりを大広間へ引っ張って行く。


 やあ、王女が戻って来たぞ。まあ、どこかの御令息と一緒だわ。どこの坊主だろう。綺麗な殿方。音楽に合わせて踊る灰かぶりと王女を見て、人々が声を上げる。ステップを踏んでいるうちに、二人は大広間の主役になっていた。


「貴方、そんなに美しかったら引く手数多でしょう」

「いえ、そんな、私なんて」

「ふふ、謙虚なところも素敵ね」


 銀と金の髪が広がり、衣装が揺れる。


「よかった、楽しい時間になって。本当は今日の舞踏会嫌だったのよ」

「なぜです、こんなにも素敵な宴なのに」

「だって、だってね……」


 宴は夜遅くまで続き、そろそろ日付が変わりそうだ。しかし演奏も踊りも食事も、まだまだ終わらない。なぜなら、日付が変わってからが本番だからである。


 王女は軽く目を伏せる。心配そうに覗き込む灰かぶりに、王女は困ったように笑った。


「明日はわたくしの誕生日。日付が変わると同時に祝われて、そして……。そして、婚約者が発表されるのよ。わたくし自身の気持ちなんて知らずに、きっとみんなおめでとうって拍手するわね」

「おめでたいことなので、おめでとうと言うのは当然だと思うのですが」

「そうね。でもわたくし、運命の人って自分で見付けるものだと思うの」

「……いい考えだとは思います」

「ありがとう。でも、お父様達に決められてしまうのよ。……ねえ、貴方。このまま一緒に抜け出してしまわない?」

「えっ。シャル――」


 鐘が鳴った。十二時だ。


 灰かぶりはダンスをやめ、王女から離れる。十二時になれば魔法は解けてしまう。あと十一回鳴る鐘が止まらないうちに抜け出さなくてはならない。大勢が見守る中でみすぼらしい姿に戻ってしまうわけにはいかない。


「貴方、どうしたの」

「申し訳ありません、シャルロット様。私はもう帰らなくては」

「えっ、何。そんな、いきなり。お忙しいのかしら?」


 二人のダンスを眺めていた一同に深々とお辞儀をしてから、灰かぶりは大広間を走り出た。装飾の多い衣装を纏っているうえに足元はガラスの靴だというのに、その動きはまるで牡鹿が草むらを駆けるかのように軽やかで強いものだった。


 どこの令息なのか、と王女が呼び止める声にも答えず、灰かぶりは階段を駆け下りる。あまりにも慌てて走っていたものだから、その足からガラスの靴が片方脱げてしまった。拾っている暇などない。灰かぶりはそのまま走る。


 ドレスを摘まんで、王女はゆっくりと階段を下りた。転がっているガラスの靴を拾い上げ、灰かぶりの去って行った方を少し寂しそうに見つめる。


「素敵な方……。貴方は……誰なの」


 十二回目の鐘が鳴る。


 退場したどこかの令息のことなどもう忘れ、人々は楽しく踊り続けている。お誕生日のお祝いをするよという声を背に聞きながら、王女はガラスの靴を手にしたまましばらく階段を見下ろしていた。

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