逆賊の娘と人質の皇子
プラトニックなおにロリ、からの成長後の恋愛っていいよね。
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「『ぎゃくぞく』って、どういう意味の言葉なのか、ライ兄さまはご存知かしら」
ミルクティー色の細く柔らかい髪を揺らして、少女は尋ねた。
年相応のあどけなく幼い口調と表情のままで、『さっき中庭で聞いたのだけど』と。
「……リーゼロッテ様。誰が、あなたにそのような言葉をお教えしたんですか」
「誰でもいいじゃない、そんなこと」
『ライ兄さま』と呼びかけられた彼女のお付き――彼女より六、七歳ほど年かさに見える少年は、ぎょっとして目を見開き、体をこわばらせる。
それは、彼女には――この国の『王女』には、絶対に聞かせてはならぬ言葉だったのに。
「やっぱりご存知なのね。あまり良くない意味なのと……お父様たちに関わる言葉なのは分かったわ。ねぇ、教えてちょうだいな。こんなこと、他の誰にも聞けないんだもの」
「それは……」
「言いなさい、ライマール皇子」
――わたくしが尋ねているのよ、『人質』のあなたに拒否権があると思っていて?
無邪気に微笑むリーゼロッテ王女は、自身の内心をちっとも悟らせない。それは今日に限らずいつものことだが、その笑みを見るたびにライマールは彼女のことを空恐ろしく感じるのだ。
「……主君にそむく、謀反を起こす賊のこと、です」
「なぁんだ。お父様のこと、そのものなのね。あのね、あの子がもしもあなたの知り合いだというのなら、『王宮の中では余計なことは言わないように』って、たしなめておいた方がいいわ。ちょっと不用心すぎると思うの」
「……それは、俺が反乱勢力とつながっている証拠を掴もうと?」
「違うわ、純粋な善意のつもり。民が死ぬのは、あなたが嫌がると思ったから。わたくしの勘違いなら気にしないで」
「……お心遣い、ありがとうございます、リーゼロッテ姫」
ライマールはリーゼロッテのことが恐ろしい。
悪魔のように残虐非道な僭主と恐れられる現国王のことよりも、『何を考えているのか分からない』目の前の小娘の方が、ずっと。
『わたくし、この男の子が欲しいわ! だってとっても綺麗なんだもの!』
ライマールが生まれ育ったこの城を謀反人の軍勢に攻め落とされて、悪趣味なほどにごてごてと着飾った男の前に引き出された時も。
殺すなら早く殺せばいいと、死ぬ覚悟なら既に決まっていたというのに……幼い声に邪魔をされた。
『ねぇ、お父様! おねがい!』
かつての父帝の玉座にふんぞり返って座る僭主も、可愛がっている末娘の懇願には弱いらしく、また、『血筋正しき高貴な皇子に女子供のおままごとの相手をさせる』というのは、彼にとっても気に入る余興であったらしい。
かくして彼女の一声でライマールの運命は決まった。――親兄弟を殺し、国土を荒廃させ、民を蹂躙した、その憎き仇の娘に仕えよ、と。
なぜ素直に死なせてくれなかったのかと、恨みがましく彼女を睨むライマールに、リーゼロッテはこう言った。
『あなた、わたくしのこと、大っ嫌いなんでしょう? ふふ、それって素敵ね。だって、嫌われきっていれば、わたくしのことを今よりもっと好きになるしかないでしょう?』
――ああ、あの時から、何を考えているのか分からない、気味の悪い子どもだった。
「中庭のあの子のこと、知らせてもらって、嬉しかった?」
「ええ、まあ、それなりに」
「ふふ。これでまた、わたくしのことを好きになったでしょう!」
「見返りを求めてたら、『善意』じゃないじゃないですか」
「むぅ……確かにそうね。『恋』って難しいのねぇ」
最近のリーゼロッテのお気に入りの遊びは『恋愛ごっこ』らしい。
ライマールが喜ぶであろうことを彼女なりに考えては、ああでもないこうでもない、と試行錯誤と反省会を繰り返している。……それを見るたびに、苛立ちが募る。
「そんな物騒な恩の押し売りばかりでなくて。……『恋人』ならもっと、愛の言葉をささやくだとか」
「ライ兄さまがささやいてくださるの!?」
「いや、それは無理ですが」
「でしょう?」
少女は傷ついたり落ち込む素振りさえ見せることはなく――当たり前のように、『あなたがわたくし相手に愛をささやくなんて無理でしょう』と言ってのけた。
ああ、無理だとも。だって彼女は俺にとって仇の娘で……それなのに、どうして、彼女の『やっぱりね』と納得がいったような反応を見て、これほどまでに腹が立つのか。
「……今は思い浮かばなかっただけです。次までに考えておきますね」
「たのしみね! ねぇ、わたくしは、ライ兄さまの好きなところ、たくさんあるのよ」
「へぇ。たとえば、どこですか」
「琥珀色の瞳! 光の加減で色が変わって見えるところ!」
ほらね、と近くからライマールの顔を覗き込んだリーゼロッテは屈託なく笑った。
『だってとっても綺麗なんだもの!』――どこにでもありふれた色のことを、彼女はいつも宝物を愛でるように褒めそやす。
ああ、やっぱり、彼女のことは分からない。
「……あの時も、俺を庇ってくださったのですか」
「違うわ。綺麗な色が血で汚れるのは、もったいないと思ったからよ」
「俺を戦場に出さないように頼んだのも」
「違うわ。もしもライ兄さまが首だけになってしまったら、こうしてわたくしと遊んでくださらないでしょう?」
ライマールは知っている。
現国王が、帝国下での有力貴族や騎士たちを反乱軍を弾圧する陣の先頭に立たせていることを知っている。目の前の反乱軍を――『僭主の支配に反対する義勇軍』を――叩き切り撃破せねば、王国民としての地位を認めないと、辛い選択を強いていることを知っている。
でも……リーゼロッテが考えることなど、何ひとつ分からない。分かりたくない。
「……あなたなら、いい。もしも、あなたが次の王になるというのなら、俺は――」
「――それ以上を言ってはいけないわ」
少女は、しぃ、と人差し指を唇の前に立てた。
「あなたのために流れた血と、これから流れる血のことを思いなさい。……『逆賊の娘を許す』なんてこと、簡単に言ってはいけないわ」
「……ならば、君がこちらに来ればいい」
「それも無理よ。多くの犠牲を払って手に入れた地位を、娘がありがたがらないなんて、お父様がおかわいそうだもの」
やっぱり『恋愛ごっこ』は今日で終わりにしましょうか、と少女は言った。
わたくしの首がまだ繋がっているうちに素敵な『恋』ができてよかったわ、と。……元から『次』の機会を与える気なんて、彼女には無かったのだ。
最後ならば何か言わなくては、と焦った彼の口から飛び出したのは、まるで使い古されたプロポーズのようだった。
「君はこんなところで死ぬべきじゃない。今の君も素敵だが、大人になった君も見てみたい」
「『一緒に歳を取りたい』って? ありきたりね。でも……そうね、いつか、その日が来たら――」
案外ベタな台詞が好きなのかとからかうように笑った後で、『できるだけ綺麗な死に顔になるように頑張るつもりだから見に来たらいいわ』と彼女が呟くものだから、彼は『分かった、見届けよう』と返すことしかできなかった。
僭主の建てた王国は、それから五年ももたなかった。いや、各地の反乱が続く中で、逆によく五年近くも保ったという話なのかもしれない。
僭主の娘、『王女』の位を剥奪されたリーゼロッテも、王宮を制圧した義勇軍によって捕らえられ、監獄へと送られた。
名目だけの裁判にかけられて、彼女に下された判決は『死刑』――罪状は、『王女として国費を浪費したこと』……つまり、『僭主の娘であること』それ自体だった。
法廷で告げられた時、彼女は取り乱すことも無く、小さく溜息をついただけだった。
「……逃がしてあげられてよかった」
ライマールは五年前のあのやりとりを交わしてから数日のうちに、リーゼロッテのもとを去った。大方、潜入していた帝国派とうまく合流して王宮を脱出したのだろう。
もしも僭主の首が落とされるその時まで、皇子が王女のそばにつき従っていたとしたら、彼は正しく『人質』として使われていたかもしれない。仮に命は助かったとしても、帝国再建後の彼の立場を不安定なものにしてしまうところだった。
早くに義勇軍側に転じて王宮の情報をもたらしたことで、彼は造反を疑われることもなく、功労者として讃えられていることだろう。
「よかった」
これでよかった。
好きなひとのために役に立てて良かった。彼が『一緒に逃げよう』と誘ってくれたとき、本当は涙が出るほど嬉しかったけれど、『逆賊の娘』に居場所なんてあるわけがない、彼と一緒になんて行けるわけがなかった。
でも、彼に生を与えることができたなら、このちっぽけな生にも確かに意味はあったのだ。
「――リーゼロッテ殿下とお見受けする」
監獄の重い鉄の扉を開ける音がした。
ひそめた声は男のものだろうとは判別がつくが、石造りの監獄では壁に吸い込まれてしまってよく聞こえない。天井まではめられた格子の傍にリーゼロッテがにじり寄ると、フードを目深にかぶり死刑執行人の制服を着た男が、鍵の束をガチャガチャと鳴らした。
「わたくしはただのリーゼロッテですが、なんの御用でしょう」
「……ほんとうに、あなたなのか」
「替え玉を疑ってらっしゃるの? それとも、明日の処刑の前に個人的な恨みを晴らそうと?」
「…………後者だ」
「申し訳ございませんが、わたくしには処刑台の上でおびただしい血を散らして死ぬという最後の役目が残っておりますので、顔など目立つところに傷をつけるのは……きゃっ!?」
「相変わらず、ちっとも怖がりもしない! いいから来てくれ!」
出入口の錠を開かれ、無理に引っ張り出されて、リーゼロッテは男に連れられるままに外に出た。監獄の中で過ごすうちに暦も巡って、今宵は新月――月のない真っ暗な夜だった。
「馬車に乗るなんて……処刑の日程が変更になりましたの? それとも、場所が?」
「……」
「鍵を持っておられるなら正規の処刑人の方なのでしょうし……」
「……」
「あの、合っているか間違っているかだけでも、答えていただけると」
「まだ分からないのか!」
監獄から十分に距離を取り、隠してあった馬車に乗り込んでから、男は被っていたフードを取り払った。その下から現れた顔を見て、リーゼロッテは目を丸くする。
「ライ兄さま……! ごめんなさい、『恋愛ごっこ』をはじめとする諸々の遊びの恨みがそこまで深いとは思わず……まさか、自らわたくしに手を下されたいとは」
「違うっ!」
「違うのですか?」
「……まさか、君は『何を考えているか分からない』じゃなくて、『何も考えていなかった』のか?」
「そんなことありませんわ! わたくしなりにいろいろと考えて……!」
「その結果が、あの、ずれた気遣いか? わかった、君は『普通』が分からないんだな」
呆れて途中から頭を抱えていた男、こと、ライマールは、まず第一に、と人差し指を立てて示した。
――この馬車は国境に向かっている、このまま二人でこの国から逃げるぞ、と。
「ちょっとっ!? わたくしが死なないと、不満の収まりが……!」
「正しく罪を償わせる『処刑』なら僭主と一部の取り巻きだけで十分だろう。民の悪趣味な娯楽に君が付き合ってやる必要はない」
「でもっ! あなたはせっかく『皇子』に戻れたのに、こんな馬鹿なことをして!」
「君がいなければどうせ無かった命だ。好きに使わせてもらう」
「……このっ、馬鹿!」
「悪口の語彙が少ないな。要らないことばかりぺらぺらと口達者なのに」
「むぅ……」
わたくしは真剣に言っているのに、とリーゼロッテが睨みつけると、ライマールは嬉しそうに笑った。
「その顔の方が好きだな。ずっと、『いい子』の仮面を引っぺがしてやりたいと思ってた」
「……わたくしの死に顔を見てくださるんじゃありませんの? うそつき」
「数十年後に、ベッドの上で、安らかな死を見届けてさしあげますよ、リーゼロッテ」