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04.蘇生

「…………」


 ぐにぐに。


 なにかに自分の頬を引っ張られている感触がして、リオンの意識は急速に覚醒をはじめた。


 ちょっといたい。


 耐えられない痛みではないが、いつまでもぐにぐにされているのはやっぱり嫌だ。

 それになぜ引っ張られているのかわからない。

 頬の痛みを起点にして、思考が次第にクリアになっていく。

 瞼の裏から差す光を感じ、周囲の音が聞こえ始め、身体をもぞもぞと動かせるようになる。

 そこで、パチリと目が開いた。

 覚醒した瞬間視界いっぱいに悪魔の顔が飛び込んでくる。


「…………」


「げ、起きやがった」


 悪魔は驚いた風もなく真顔でそういった。


 対してリオンの方は起き抜けにいきなり悪魔を見た衝撃で固まっている。


 いや、本当に悪魔かはわからない。とっさに悪魔だと思ってしまったが、本当は違うかもしれない。


 でも目の前にある人物はどう見ても悪魔そのものだった。燃えるような真紅の髪に、ゆるやかなねじれを持つ二本の角が生えた頭、口からはするどい牙が除き、顔には大小様々な傷があり、よく見れば肌も薄赤色をしている。


 うん、どう見ても悪魔だ。


 このまま悲鳴を上げてよいかどうか、リオンは考える。いきなり悪魔が寝込みを覗き込んでいたのだからこの対応は当然だと思うが、顔立ちを見るに相手はどうも女性らしい。

 悪魔とはいえ女性にいきなり悲鳴を上げるのはいいのだろうか? 相手が傷ついたりしないか。

 リオンはそっと視線を下にめぐらして悪魔の体を見た。

 悪魔はかなり大柄で、ベッド脇に椅子に座りのしかかるようにしてリオンを覗いている。身につけているのは黒色のタンクトップに洗いざらした紺色のホットパンツで、胸元が豊かに膨らんでいる。それを見て、ああ、やっぱり女性なんだと思ったが、しかし他の裾から覗いている腕も両足も異様にたくましく、太い筋肉が盛り上がっており、肉体はやっぱり悪魔だ……と震えた。

 リオンは悲鳴を飲み込むことにして、おずおずと目の前の悪魔に尋ねる。


「あの……」


「うん?」


 うん? と、あん? の中間くらいの音で悪魔は返事した。


「ここはどこでしょう。そして、あなたはどなたですか? ぼくはもしかして助けてもらったんでしょうか? それとも、もしかしてここが地獄とかですか」


「お、気がついたばっかりだってのによく喋れるじゃねえか」


 相手は何がおかしいのかニッと笑い、


「先に言うとここは地獄じゃねえ。オレたち亜人戦団の宿営地だよ。助けたっちゃ助けたのかな? お前が崖の下で黒焦げになった馬車の近くで倒れてるからよ、ここに連れてきてヒーリング魔法かけただけだ。3日経っても目を覚まさねえからてっきり助からないと思ってたぜ」


 亜人戦団という単語を聞いてリオンは驚く。どういう経緯かはわからないが、自分は無事目的地にたどり着くことができたらしい。女悪魔の態度からしてリオンが部隊長に就任するということは知らないようだった。


 さらに意識を失う直前の記憶が一気に蘇ってくる。襲われたターキーと馬、崖下へと落ちていく馬車、必死の思いで脱出した先に落ちてきた雷……すべてを思い出し、今更ながらリオンの身は震えた。我ながらよく生きていたものだと思う。


 気絶してしまったのでわからないが、落雷は当たったように見えて近くに落ちただけだったのだろう。もし雷に打たれていたらいくらなんでも無事でいられるとは思えない。


 ところで……。


 女悪魔に大事なあることを聞きたいとリオンは思った。

 しかし相手の名前を知らないことに思い当たり、自分から名乗ることにする。


「あの――、僕は、リオンと言います」


「そうか。オレはボルカ・リベリウス、ボルカで構わねえ」


「そうですか。はじめましてボルカさん」


 あっさりと名前を教えてくれて、リオンはほっと息をつく。改めて意を決し、彼は尋ねた。


「あの、なんでまだぼくのほっぺたを伸ばしているのでしょう……?」


「うん? お前のほっぺたが思いのほかやわらかくて気持ちいいからだな」


「そうですか……。その、やめてもらうことは……」


「おー、伸びる伸びる」


「はの、ひゃめてもりゃふことは……」


 リオンが小さいながら抗議を続けようとした時、突然部屋の奥にある扉が開いた。


「怪我してた子の目が覚めたって!? て、ボルカ! あなた一体何してるの!?」


 ボルカとは雰囲気がまるで違うがやはり長身の女性が慌てた表情で入ってくる。

 東洋人風の聡明な顔立ちをした美人で、緩やかにうねる黒髪を背中に流していた。肌や体格は人間と変わりないが、額の上にやはり耳と短い角を生やしている。角はボルカのものと違い、普通の牛のものに似ていた。

 服装は白の半袖シャツ黒のショートパンツ、膝まで覆う黒のロングブーツを履いている。シャツは何故か下半分ほどで切られており、驚くほど細い腰を晒していた。


「おう、久遠(くおん)。見てのとおりだ。よくこいつが起きたってわかったな」


「それはルルカが教えてくれたから……じゃなくて、なんでいきなり子供いじめてるのよ!?」


「いじめちゃいねえよ。こいつのほっぺたが意外とよく伸びるから、つい遊んで……嘘だ嘘、頬引っ張ったら起きるんじゃないかと思ってよ」


「怪我人相手に何やってるの! あんたさっさと出ていきなさい。というか起きたんならまっさきに人を呼びなさい!」


「いった! ケツ蹴るんじゃねえよ。ま、たしかにオレにできることはなにもないしな。素直に退散するわ。――おいリオンって言ったか? お前が団長なんて、オレは絶対認めねえからな」


「ちょっとなんてこと言って……何考えているの!? ――まったく、」


 ボルカが出ていったのを確認すると、久遠と呼ばれていた女性はため息を付いた。そのまま後ろ手に扉を閉める。


 苦笑しながらリオンのベッド脇へ近づいた。


「ごめんなさいね、目が覚めたら突然ボルカがいてびっくりしたでしょう」


「い、いえ……」


「遠慮しなくていいから。今更だけど私は久遠。花霞 久遠(はなずみ くおん)。目が覚めたのね。本当に良かった」


「あ、はじめまして、ぼくはリオンといいます。」


 リオンがぺっこりと頭を下げる。

 その姿に久遠がまじまじと目を見開いた。


「礼儀正しいのね。ごめんなさい、そういうタイプの人に久しく出会ってなかったから。……具合はどう?」


「悪くないみたいです。あの、あなたもぼくを助けてくれたんですか?」


「私とさっきのボルカの二人でね。状況が状況だから色々と聞きたいことはあるのだけど、まずはあなたの体を診ましょうか。服を脱いでくれる?」


「えええええっ!?」


 久遠の言葉にリオンは今日一番大きな声を出した。


「その、いま、ここでですか?」


「そうよ」


「えっと、お姉さんの前でですか?」


「そうよ」


 そこで獣人らしい女性がいたずらっぽく笑う。


「なあに? もしかして恥ずかしいの?」


「はい……」


「フフ、そうよね、男の子だもんね。ごめんなさい、そういう反応受けるの珍しくて。なんせうちは女所帯だからね。フ、ボルカがからかいたくなった気持ちちょっとわかる気がするわね」


 コホン、と久遠はそこで一つ咳払いをして、


「申し訳ないけど、恥ずかしいのは我慢してあなたの裸を見せてくれる? その様子なら大丈夫そうだけど、何しろ3日も寝ていたんだから。あとでオペラさん、うちの救護兵長がちゃんとあなたの体を診てくれるけど、とりあえず大きな怪我がないか確認したいわ」


「うう、わかりました……」


 相手は純粋な好意から言っているようだし、これ以上抵抗するのは無駄と覚ってリオンは服を脱ぎだした。と言っても上は下着とシャツのたった2着しか着ていないのですぐに脱ぎ終えてしまう。いまさらにリオンは部屋がよく温められていることに気づいた。暖炉がないので魔法を使っているのだろうが、とても心地よい暖かさだった。北方に駐屯している軍団の宿営地であるに関わらず、住環境は良いらしい。


 リオンが上半身裸になったところで、久遠が小首をかしげる。


「あら、下がまだのようだけど」


「それはどうか許して下さい!!!」


「うそうそ、冗談よ。リオンくん、本当におもしろいわね」


 久遠はクスクス笑ってから、さて、と表情を引き締める。順に身体の様子を確かめていった。


「――うん、たしかに問題ないみたい。ヒーリング魔法がよく効いたみたいね。かすり傷一つ無いわ」


「ありがとうございます」


「リオンくん、あなた顔だけじゃなくて身体もきれいなのね。女の子みたい」


「ひぅっ!? 何を言っているんですか」


 妙な方向から自身の身体を褒められてリオンが悲鳴を上げる。顔を赤くしながら衣類を着直した。


「からかわないでください。ぼくの身体がきれいだなんて……痩せぎすでぼろぼろで……醜いでしょう?」


「そんなことないわよ。確かに線は細いけど、肉付きが悪いとは思わなかったわ。怪我さえなければ健康体と言っていいと思うわよ」


「またからかって……」


「ほんとよほんと。自分の体なんだしわかるでしょう?」


 言われて確かめれば、自分が王都を出るときのような痩せた身体でないことにリオンは驚いた。久遠の言う通り、これはたしかに健康体だ。

 さらに、起きてから一度も咳をしていないことにも気づく。覚醒してから目まぐるしい状況に忘れていたが、呼吸が楽で肺に重たい不快感がない。ずっと頭の奥に残っていた熱も消えているようだった。代わりに頭の前が少し重いようだが、頭痛のようなものではない。


「咳が出ない、身体が治ってる……?」


「咳? 寝ている間、あなた咳はしていなかったみたいだけど。救護兵の子も、熱はないし病気はなさそうって言っていたわ」


「急に病気が治るなんて、いったい……? どうしたんでしょう」


 自分をあれほど苦しめていた病気が嘘のように消えたことで、喜びより先に驚きがある。自分はいったいどうしてしまったのか。あの落雷の瞬間、何が起こったのだろう。リオンは再び混乱しはじめた。


 久遠はひょいと肩をすくめて、


「あなたにわからないことは私にもわからないわね」


 と告げる。加えて、


「でも、あなた悪い病気だったの? 亜人は(やまい)にかかりにくいのに珍しいわね」


 と、さらりと続けた。


「亜人?」


 思ってもみないことを言われてリオンが瞬きする。リオン自身は普通の人間のはずだ。亜人とは誰のことだろう。


 不思議そうな顔をするリオンに、久遠はいよいよ呆れた顔をした。


「おどろいた。あなた自分が亜人ってことまで忘れちゃったの? ちょっと待ってなさい――――ほら鏡」


 久遠は椅子から立つと、部屋の衣装棚の上に置かれていた鏡をとってくる。手渡されたそれをリオンは恐る恐る覗いた。


 瞬間、息を呑む。


 顔は、そのままだ。リオンが記憶にある通りの顔をしている。

 だが、まず髪の色が違った。リオンの髪はかなり純粋な銀髪だったのに、いつの間にか淡い白金の輝きを放っていた。さらには瞳も、蒼からわずかに碧の加わった翡翠色となっている。


 なにより、額の中央に自分が人間でないことを雄弁に語るものが一つ。


 リオンの頭には、知らないうちに5センチほどの白い角が生えていた。


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