29.リオンの過去
リオンの生家、ケラヴノス家は、リバート王国でも屈指の大貴族だった。
リバート王国は国王が頂点として強力な政治権力を持っているが、絶対王政というわけではない。国王と、それによって選ばれた枢密院、貴族から選抜された元老院によって政治が行われている。現代風に言うならば国王が大統領、枢密院が内閣、元老院が国会のような役割をしている。政治に関与できるのは貴族だけだが、枢密院に関しては、もとは市民階級でも優秀であれば一代限りの貴族籍を与えて国務大臣に抜擢することもある。宮廷付き魔術師や技術開発局長官などがそれだ。元老院議員には生まれながらの貴族しかなれない。
リオンの父、ギルバート・フィラッファ・ケラヴノスは、元老院に議席があるのはもちろん、枢密院の長である宰相として国政を差配する立場だった。これは貴族としては最上位、事実上王国のナンバー2という立場であると言って良い。そう、数年前までは。
リオンの父がそれほどの地位につけたのは何より王家と密接な結び付きがあったためである。リオンの父、ギルバートと当時の国王ヘンリーⅢ世は親戚関係にあり、幼い頃からともに遊び学んで育った親友同士でもあった。ヘンリーⅢ世はギルバートに絶対の信頼を寄せており、ギルバートもまた同じだった。ヘンリーⅢ世がどれくらいギルバートのことを信頼していたかと言うと、国王に即位した途端まだ一回の元老院議員に過ぎなかったギルバートをいきなり宰相に任命したほどだ。
いきなり宰相に抜擢されたことにはギルバートも戸惑ったらしいが、彼は国王の信頼に完璧に応えた。
金銀の蓄積、鉱山の開発、国内産業の保護、育成。貿易差額主義による輸出貿易の保護、関税率の見直し、保護関税政策、中濃の保護政策、国内幹線道路の再整備、交通網整備による域内関税の統一化、etcetc……あらゆる重商主義政策をギルバートは打っていった。
ギルバートは国力の増大に尽力しただけではなく、大きな夢を持っていた。当時差別的な立場に置かれていた亜人と人間の融和だ。ギルバートは優秀な亜人や異民族も積極的に登用し、重要なポストに次々とつけていった。それまで300が定数だった元老院議員の議席を20増やし、亜人の元老院議員さえ誕生させた。
ギルバートの国内政策には、結果を出しているだけに口をつぐんでいた者たちも、これには公然と非難を開始した。貴族にとってすれば人間以下の亜人が自分のそばに近づくことすら許しがたいことだった。市民の中でさえ亜人や異民族に仕事を奪われたと感じて憤るものもいた。
ギルバート反対派による批難はまず彼を任命した国王へ届けられた。ヘンリーⅢ世はそれらの批難をすべて一蹴する。ヘンリーⅢ世こそギルバートの絶対の味方であり、強力な支援者であり、数少ない理解者だった。ヘンリーⅢ世は最初から亜人の登用に積極的なわけではなかったが、ギルバートの熱心な説得ですっかり感化されたのだった。後々、王国中枢に置いて国王しか理解者を得ていなかったことがギルバートの大きな軛となるが、この時点では何の問題もなかったのだ。
国王という、王国では絶対的な後ろ盾を持っていたギルバートは、反対派の存在を認めつつも、自分の政策を強力に押し進めた。様々な妨害は受けつつも、決してその歩みを止めることはしなかった。
卓越した行政家でありながら、ギルバートは自分の反対派を粛清して一掃すると言ったことを行っていない。これは彼の人格的甘さや優しさと捉えることもできるが、それ以上に彼の信念上の問題だったと考えられる。ギルバートはリバート王国内に亜人が安心して暮らせる環境を作りたかった。それは同時に、自分の反対派であっても安心して暮らせる環境にしたかったのだ。現代風に言えば多様性に富んだ社会づくりを目指していたと言える。たとえ自分に反対するものであっても、その存在を奪わないということにギルバートは自身の信義をかけていた。
ヘンリーⅢ世とギルバート宰相による政権は王国を豊かにした。亜人を受け入れることによって王国の魔法も科学も飛躍的に発展していった。国軍は精強となり、魔族相手にも近隣諸国にも圧倒する強さを誇るようになった。軍事力による領土拡張を求めなかったギルバートは、国境を安定させ交易を発展させた。
国が安定すれば市民の反対は次第に消えていく。貴族にはまだ根強く反対派が残り、それらをクリストフェルが次第にまとめ上げていったが、ギルバートはすべて把握しながらも見逃し続けた。これが後に致命的な結果を生むことになる。
ギルバート宰相の執政が12年目を迎えた頃、ヘンリーⅢ世の健康状態が悪化した。幼い頃から頑健で知られ、まだ40歳にもなっていない国王が突然血を吐き、病床に伏すようになる。ギルバート宰相はじめ王宮の誰もが手を尽くし、懸命な看病が続けられたが、1年後ヘンリーⅢ世は儚く世を去った。
ヘンリーⅢ世の後国王に即位したのが、いまの国王であるレオナルドⅠ世だ。まだ19歳という若さで即位した彼は、あらゆる意味で王にふさわしくない男だった。ヘンリーⅢ世の国葬もそこそこに後宮へ閉じこもった彼は、そのまま国政を放り捨てて入り浸った。
その傍若無人ぶりに国民もすぐレオナルドⅠ世へ愛想を尽かしたが、まだ彼らは希望を捨てていなかった。ヘンリーⅢ世の治世は事実上ギルバート宰相が執り行ってきたことを誰もが知っており、ギルバートさえいれば国は安泰だと考えていたからだ。
希望は早晩打ち砕かれることととなる。ヘンリーⅢ世の国葬が終わって一ヶ月もしないうちに、ギルバート宰相が国家反逆罪で捕まったのだった。理由は、ヘンリーⅢ世の身体からは死後毒物が検出されており、ギルバートが暗殺したというものだった。
幼い頃から兄弟のように育ったヘンリーⅢ世を、ギルバートが殺すはずがない。また論理的、政治的に考えても、唯一の後ろ盾である国王を宰相が殺す理由がなかった。
まぎれもない冤罪。
しかし弁明は聞かれず、迅速に逮捕は実行され、ギルバートは妻とともに投獄された。
ギルバートによって登用された人間、亜人の役人、ギルバート派の元老院議員、貴族、国内の大商人やはては絶対中立の王国裁判所までもがこの逮捕に反対した。しかしそれらの意見はすべて天上の存在によって退けられる。ギルバート逮捕を命じたのは現国王レオナルドⅠ世、弾劾の責任者はギルバート反対派の頭目クリストフェルだった。
クリストフェルは嬉々としてあらん限りの捏造資料、証拠、でっちあげの殺害状況と作り上げた証言者によって歪みきった弾劾裁判を行った。国王がそれを認めている以上、誰も批判することはできなかった。勇気ある者はギルバートともに投獄された。
すでに宰相を罷免されたギルバートは牢獄で悔しさに歯噛みした。ヘンリーⅢ世を毒殺したのは、他でもないクリストフェルとレオナルドだと今は理解していた。自分がもっと奴らの底しれぬ悪意に敏感であれば……。自分の身よりも、ヘンリーⅢ世をみすみす殺させてしまったことに後悔したが、もう遅い。
ギルバートに近いものから、次々と違法な拷問にかけられていった。それはギルバートの妻にさえ及んだ。それでもギルバートを支持する者に一人として、嘘の証言をして助かろうとするものはいなかった。
3ヶ月続いた違法捜査でも、結局クリストフェルは決定的な証拠を作り出すことができなかった。冤罪なのだから当然だが、クリストフェルは地団駄を踏んで悔しがった。
リバート王国の法治主義は優秀で、証拠のないギルバートの国家反逆罪は消えた。結局クリストフェルは「国王暗殺を共謀した疑い」というあやふやな罪で裁くしかなかった。それでも国王レオナルドの大命がある以上、ギルバートの処刑は揺らがない。ただ、連座制は免れた。
国王レオナルドが即位した年の8月、ギルバート前宰相は粗末な衣服を着せられ広場に引きずり出され、大衆の面前で首をはねられた。クリストフェルが期待していた、公開処刑につきものの拍手喝采はなかった。詳しい事情はわからないながらも、国民は皆優秀な宰相の無残な最期に涙した。
ギルバートの処刑によって事件に一応の決着がついたことで、投獄された人々も順次釈放された。しかし中には度重なる拷問で獄死したものもいた。ギルバートの妻も、その一人だった。
予定とは違ったものの、首尾良くギルバートを排除したクリストフェルは満を持して宰相に就任した。王国にとって暗黒の時代がやってきた。
ギルバートが登用した優秀な官僚、元老院はすべて職を追放された。とくに亜人は徹底的に排除され、リバート王国は再び差別的な政策を取るようになった。
ケラヴノス家は一切の領地と財産を没収の上貴族籍を剥奪された。まだ11歳の一人息子は、王都のスラム街へと叩き出されることとなった。
そのまま野垂れ死ぬか野犬の餌となるしかないような状況だったが、、ギルバートから受けた恩を忘れない人々がこっそりと支援してくれたことで少年はようやく1年を生き延びることができた。
そして1年後、いよいよ王国内を恐怖で支配したクリストフェルが、ギルバートの忘れ形見――リオンを北部辺境へ追放したのである。
暗い話ですみません。リオンくんのつらい過去をちょっとでも知ってもらえれば……




