03.襲撃
ドカカッ、ドカカッ、ドカカッ。
少年の乗った馬車は今にも壊れそうな音を立てながら進んでいく。
山間の崖を通る道は非常に悪く、馬車に乗っているだけで身体がバラバラに砕けそうだった。
「ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ!」
「リオン様、もうしばらくのご辛抱です! まもなく宿営地でございますから、がんばってくだせえ!」
王都を出発してから実に6日、ようやく過酷な旅はついに最後の難所を迎え、ようやく終わりを告げようとしていた。舗装された道路など無い狭い道をひたすら馬車は走り続ける。おまけに、上空には真っ黒な雲がかかり今にも降り出しそうだった。どこからか雷の音も聞こえる。
先導する騎士たちは旅の当初からリオンの体調など慮るはずもなく、ただひたすらに先を急いだ。何度も揺れ、飛び跳ね、まともに休むこともままならない馬車の中で、血を吐きながらリオンは耐え続けた。もちろん御者のターキーは何度も騎士に休憩を多くしたり宿でゆっくり休めるよう懇願したが全て却下された。
「うるせぇうるせぇ! こっちだって忙しいんだよ! 俺たちが護衛して先導してやってるだけでも感謝しやがれ!」
と、騎士たちは言ってはばからない。王国内の主要な街道上は警備が行き届いており、北方の軍宿営地につくまでは護衛の必要がないのは明白で、つまり騎士たちはリオンの逃亡を防ぐ監視役だった。
さらに彼らはリオンが旅費として最後僅かに持ってきた資金にも勝手に手を付け、自分たちの酒や食い物代にし、リオンのほうが食べるものがないという有様だった。病をやわらげるためほんの数本持ってきた回復魔法薬のポーションも王都を出て早々に売り払われ、騎士たちが飲むビールへと変わった。
そんな旅もようやく終わる……リオンはわずかながらに希望を抱く。魔族の侵攻する危険な任地だが、這いずってでも生き延びれば明日へとつながる……、リオンがあらためてそう決意したときだった。
「あんれ、おかしいな? 騎士の奴らいつのまにどこいったんだ?」
御者台のターキーがすっとぼけたような声を上げた。ハッとしてリオンが身を起こせば、たしかに周囲が静かだ。普段あれほどうるさく鳴っていた騎士たちの鎧音がしない。
リオンは、なぜか急に背筋が冷えるのを感じた。
「まあいいや、アイツラにどやされながら急かされんのはうんざりしてたんだ。何にせよありがてえ。リオン様、ここはちぃ~っとばっかしゆっくり行きましょう。なあにのんびり言っても今日中には着くんです」
「ゲホッ、いけませんターキーさん! 周囲に、ケッホ、気をつけ……」
リオンが正面の窓から首だけだして叫んだときにはもう遅かった。
ヒュン、ドスッ!
何かがターキーと馬に突き刺さる。それが遠くの空から放たれた矢だと気づく頃には、追撃の矢が何十本も降り注いできた。
「っ、ターキーさんっっっ!!!」
ターキーを助け出す暇もない。リオンが慌てて馬車の中に戻り窓を閉めると、右側から飛んできた矢が次々と馬車の天井に刺さっていく。馬が狂奔していななき無茶苦茶に走り出した。
馬車の窓から、胸を貫かれたターキーがゆっくりと身体を倒して馬から落ちるのが見える。今すぐ外に飛び出したいのをリオンは歯を食いしばって我慢した。外に出れば狙い撃ちされるのは目に見えている。
しかし地獄の運命は彼を捕らえて離さない。
矢に射られて即死せず、混乱したまま駆け続けた2頭の馬はあっという間にコントロールを失って、急峻な崖の角を曲がりきれず谷底へと落下した。後ろにその牽く馬車を連れて……。
すぐに、馬と馬車が地面に激突する音が響いた。
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しばらく後、馬車が道を踏み外し崖底へと落ちていった箇所に十人分の影があった。フードを目深にかぶり、背に弓矢を背負ったその人影は小声で話し合う。
「やったか!?」
「いや、まだ油断するな。ここの崖はそんなに深くない。大怪我は免れまいが、生き残っている可能性もある」
「どうする。馬車に近づいて止めを確認するか?」
「そうだな、ここの崖は急だが俺たちなら降りれない高さじゃない。よし、班を2つに分けよう。三人崖の下に降りて獲物が死んでいるか確かめろ。俺を含めた残りは矢ををつがえて見張っておけ。もし馬車から助けを求めて出てきたら、射殺すんだ」
「おう、承知だ」
「お頭、御者のやつは死んでいるのを確認した」
「ご苦労だったな、よし、最後のひと仕事だ! ぬかりなくやれ」
十人の人影は手際よく散っていく。黒雲はますます濃くなり、夜が来たかとかと見紛うほど厚く空を覆った。ゴロゴロと雷鳴が轟き始める
崖の上の襲撃者は矢をつがえ、油断なく馬車を狙う。十分ほどで崖を降りた者たちは、崖下から五メートルほど離れて横転している馬車へと慎重に近づいていった。馬車を引いていた馬は2頭とも死んでいるらしく、ピクリとも動かない。
その時だ、馬車の扉が内側から開き、人影が現れる。ほとんど幽鬼のような姿の少年が必死に這いずって馬車から脱出しようとする。
お頭と呼ばれた男がすぐに手を上げた
「悪運の強い野郎だ、生きてるぞ! 殺せ! 矢を放て!」
お頭の声に合わせて男たちが弓を引き絞った時、彼らにも信じられないことが起こる。
先程から頭上でゴロゴロと雷鳴を轟かしていた黒雲から、まるではかったかのようにひときわ大きい閃光が走ったのだ。
ピシャッ! ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!!!
何ということか、巨大な稲光はまっすぐ馬車へと向かって落ちた。そこから今にも這い出そうとしていた少年も無論巻き込んで。
目のくらむような閃光と、大気を切り裂く凄まじい音が鳴り響いた。
そして異臭。馬車も馬も人間も焼け焦げる匂いがあたりに漂う。
さすがの襲撃者も、突然の事態に呆然とする。多くが、目に閃光が焼き付いたり鼓膜がしびれたりしてろくろく周囲の状況も把握できなかった。やがてお頭と呼ばれた男が最初に雷光の衝撃から脱する。
「え、獲物は! 獲物はどうしてやがる!?」
それは部下に確かめさせるまでもなかった。馬車のそばにある少年の死体は、焼け跡も無残に転がっている。手や足先は焦げプスプスと煙を上がっていた。仕事上死体を見慣れているお頭の男ですら寒気のするような光景だった。
襲撃の頭も、その部下たちもしばし呆然として言葉も出なかった。ややしてお頭の男が呟く。
「さっき俺は悪運の強ぇ野郎だと言ったが、撤回する。こんなに不運なやつは、見たことがねえよ……」
「お頭、持ち帰る証拠はどうします?」
困惑した表情のまま部下が尋ねる。頭は唸った。彼らは雇い主から、計画が首尾よくいったらなにか証拠を持ち帰れと命令されている。と言っても首を持ち帰るわけではない。今回はあくまで暗殺ではなく事故、野盗の襲撃に見せかけるよう言い含められている。故意に殺害されたように見えるものは持ち帰れない。しかしこんな異常な死体から、なにか証拠になるようなものを持ち帰れるのか。
すると、下に降りていた勇気ある部下たちが近づき、雷に打たれた死体をあらためはじめた。やがて彼らは崖下に戻ってくると大声でお頭を呼ぶ。
「お頭! 死体を漁ったら溶けかかった銀製の十字架を見つけやした! たぶん最後まで肌見放さず持ってたんでしょう! こいつなら証拠になりやせんか?」
「ギリギリですが家紋も読み取れやす」
「でかしたぞお前ら!」
お頭が破顔して叫ぶ。獲物の死体が焼け焦げてしまった以上、これが望みうる限り最上の証拠品だろう。
「よし、お前らも早く上がってこい! これで仕事は終わりだ。長居することはねえ、引き上げるぞ」
「承知です!」
崖下に降りていた三人を引き上げて、襲撃犯はあっという間にその場から去った。
あとには襲撃者が立ち去るのを待っていたかのように、空が大粒の雨を落としはじめた。たちまち本降りとなった雨は襲撃の痕跡も何もかも洗い流していく。雷撃にあってくすぶっていた馬車の火もすぐに消された。
雨の振り込める崖下に残るのは静寂のみ。
黒焦げになった落雷跡の周囲に音を発する者はいない。しかし――。
雷に打たれ、襲撃者たちも死亡を確かめたはずの死体の指に光が灯った。淡い光は次第に体全体を包んでいき小さな拍動を始める。
やがて別の馬蹄の音が近づいてくるまで、その光は少年の死体を包み込んでいた。
主人公がひどい目に合うのはこれが最後となります。ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました。
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