18.麒麟
光りに包まれたリオンは、そのままふわりと浮かび上がる。カタリーナの背を離れた彼は、そのまま空中へ10メートルほども浮かび上がった。
リオンの全身に、今まで感じたことのないような力が満ちる。元ある体を覆うように、なにか別の身体が備わっていくのを彼は感じた。
『すごい……これが幻怪』
一瞬現実世界から意識を浮遊させたリオンは、どこか冷静に自身の変化を俯瞰していた。体の周囲に魔力的な肉体が生まれ、まったく別の生き物の一部となっていくのを茫洋と眺める。
両足、両手、胴体、首、頭と全く別の生き物へと変化していく。
同時にリオンの頭の中には知らないはずの知識が流れ込んできた。その獣になったときの走り方、飛び方、身の守り方、そして、戦い方を。
変身に要したのはわずかな時間だった。新しくこの世に生まれ直すように、幻獣となったリオンが光から姿を表す。
その頭と鱗は龍のよう、胴体は鹿のよう、足は馬、尾は牛、額から生える一本角はどの生き物にも似ていなかった。身体に輝くような金の毛が生えているが、たてがみは五色に彩られている。そして全身のいたる所が青白い電光を纏っていた。
聖獣「麒麟」。
四聖獣と四瑞獣両方に名を連ね、鳳凰と並び『獣の王』として讃えられる幻獣。この世界の、とりわけ東方で最強と謳われる一種。
リオンの頭にはそれらの情報が、膨大な伝説伝承とともに押し寄せてきた。それまで鍵がかかったように閉じられていた記憶の蓋が開けられ、瀕死の麒麟と融合したときのことも詳細に思い出す。
『ああそうだ……彼は自分のことをキリンと呼んでいた』
こんなに大事なことを、どうして今まで忘れていたのだろう。キリン。麒麟。リオンの命を救ってくれた獣。
麒麟は言っていた。自分の力を好きに奮ってよいと。
もともと麒麟のものだった力を、自分の力のように行使できるほどリオンは豪胆な性格をしていない。
だけど……いま、この瞬間ならば、その力を使うことを麒麟もまた許してくれるだろう。
リオンはゆっくりと麒麟としての目を開いた。
――バリッ。
眼下に映るのは、突然の事態にあっけに取られた戦団の面々。それを包囲しつつ、急な発光に思わず足を止めているワイト兵たち、そして後方のボルカと大悪竜霊も戦いを忘れてこちらを凝視していた。
――バリリッ。
それら全ての立ち位置を把握した麒麟は、喉をわななかせ高く鳴く。天界の鐘のように澄んだ鳴き声が響いた直後、天から巨大な雷が降り注ぎ大悪竜霊を貫いた。
――バリリリリリリリリリッ!!!! ゴロロロッッ!!!
「グガラアアアアアアアアアアアア!!!???」
大悪竜霊が絶叫する。天から放たれたその雷は、ほとんど青白い円柱と見えるほどの巨大なものだった。しかも不思議なことに、すぐ側で立つボルカのことは毛ほども傷つけていない。
麒麟が敵と見定めたもののみ攻撃する神雷だ。
3秒ほども雷に打たれ続けた大悪竜霊は、なすすべなく地面へと横たわった。
ようやく雷撃が収まったあとも指一本動かすことができない。むしろ麒麟の雷にぎりぎり耐え抜いただけ破格の頑強さと言えた。
大悪竜霊はそれでも諦めていなかった。
最後の力を振り絞り、叫ぶ。
「グガラアアアア!!!」
大悪竜霊の号叫を聞いて、ワイト兵が一斉に剣を振り上げ突進を開始した。1000体の骸骨兵に襲われればいくら亜人戦団兵でも無事では済まない。
しかしリオンは慌てなかった。優雅な仕草で地表まで降りてくると、戦団を守るようにワイト兵へと立ちふさがる。
麒麟の体格は火竜に比べるとかなり見劣りのするものだった、体高はせいぜい3メートルほど。額の角以外に鋭く尖った部分もない。むしろその外見はやさしげでさえある獣だ。
にもかかわらず麒麟が降り立った時、オペラは、カタリーナは、ウルフは、言葉にできない安心感が全身に広がった。
迫るワイト兵の群れ。
もはや戦列も戦術も捨て、全骸骨がただただ麒麟を狙い突撃を仕掛けていた。
対して麒麟は全身に散っていた電光を足元へと集める。たちまち四肢へ雷光が無数に走り、蹄は青く発光した。
そのまま麒麟はただ走り出す。呪文も、牙も、角も必要ない。
ただ走る、それだけの動作で――敵はただただ一方的に蹴散らされた。
最下級の一種とはいえれっきとした魔物であるワイト兵が、胡桃のように踏み砕かれていく。四方へ発される蹄の雷撃は、周囲を白熱する嵐と変えた。
麒麟は円を描くように駆け、周囲のワイト兵を蹴散らしていく。ぐっと距離を詰めて包囲していたためかえって逃げることもできず、ワイト兵はひたすらに蹂躙され続けた。それはまるで、神に刃向かった亡者の群れのようだった。
****
リオンの変身を一部始終見ていた戦団兵は、呆然として誰も動けなかった。
時々どこからか、「すごい…」とか、「うわえっぐ」とか、「強すぎでしょ」とか、「もう逆にワイトに同情するわ」と言った言葉が漏れ聞こえるのみである。
リオンが、やがて3列目のワイト兵を蹂躙し始めたところで、ウルフが獣化を解く。人間体に戻った彼女に、カタリーナが声をかけた。
「おや、よろしいのですか?」
「もういらねえだろ。あれ見せられたらな」
ウルフが肩をすくめ親指でリオンを指す。たしかに、とカタリーナは頷いた。すでに彼女たちの周りには無残な骨片が散らばるばかりだ。
そこで、慌てたように後ろのオペラが叫ぶ。
「ああーー! 見とれている場合じゃなかった、治療の続きしなきゃ!」
叫んだオペラはあたふたと治療術を詠唱していく。あまりの大逆転劇にほとんどのものが我を忘れていたのだから無理もない。
オペラと対称的にウルフはすっかり緊張を解くように両手を首の後へと回すと、カタリーナへと話しかけた
「なあ――、あれってリオンでいいんだよな?」
「はい、おそらくは。リオン殿がすうっとまるで体重を失ったように私の背から離れましたら、光りに包まれて、あのように」
「あれがリオンの幻怪なのか? あたしはあの幻獣を見るのは初めてだけど、強いな」
「ええ。私も兵士となってからそれなりの数魔獣と戦ってきましたが、あれほど強い魔物は見たこともありません。
一体何の魔獣でしょう? それにリオン殿は幻人になったばかりなのになぜ幻怪ができたのでしょうか? さらには魔力をほとんど持っていなかったのに、なぜあれほどの雷術を放てるのか」
「さーな、さっぱりわかんね。べつにいんじゃね? リオンが戻ってきたら全部答えてくれるだろ」
「ふふ、左様ですな」
「ああ~~、なんだよもう。あたしの活躍全部とられちったじゃねえか。せっかく久しぶりに獣化したってのに」
「何をおっしゃいます。ウルフ殿がいなければ最初の窮地を脱することかなわなかったではありませんか。もちろんみんな感謝しておりますとも」
「けどよう。こんな大活躍見せられたらちっと自信なくすぜ。ボルカは元々めちゃ強だからいいけど、リオンにまで先越されるのはなあ――と、話してたらちょうど終わったみたいだな」
そう言ってウルフが後方を振り向いたので、カタリーナもそちらへ目を向ける。
視線の先では火竜が大悪竜霊の本体を叩き壊して吠えている姿だった。大悪竜霊が今度こそ滅ぼされた証拠に、手や尾の末端からポロポロと砂になって崩れていった。これは死霊系の魔物に見られる特徴で、限界を超えて力を使い果たした死霊は崩れて砂や灰のようになる。
それを確認して、火竜はついに限界を迎えどうと地面に倒れた。振動がウルフやカタリーナのところまで伝わってくる。
折よく毒を浴びた弓兵5人の治療を終えたオペラが、超特急でボルカのもとへ飛んでいく。オペラの持つ巨大な魔力と術制御によって、毒の浄化と回復術が同時にかけられ始めた。
次第に傷の癒えていく火竜の姿を見ながら、ウルフは荒っぽい笑顔を浮かべた。
「やれやれ、一時はかなりやばかったけどなんとかなったな。リオンのおかげで命拾いしたぜ」
「まことに。我らの団長に、いきなり命を救われてしまいましたな」
「なあに戦場で命の貸し借りなんざ日常茶飯事さ。いちいち覚えているやつなんざいねーよ。まあでっかい借りを作っちまったことは確かだけどよ、それはまたあたしらがあいつの背中を守って返していけばいいさ」
「はい。私はこの御恩に必ず報いたいと思います」
「だからそう固く考えんなって話なんだが……。ま、カタリーナがそれでいいんならいんじゃね?」
「仕方ありますまい。つい先程まで私は、12歳の小さな少年を守っているつもりだったのですよ。それが気づけばこのように助けられてしまって……私の心も大いに揺れ動こうというものです」
「真面目だねえ。ま、そういうんならさ……少しリオンを手伝うか? 弓兵隊もここの護衛で大丈夫だろうし、あたし達で取りこぼしを片付けてやろうぜ。もちろんリオンの雷には当たらないよう気をつけて、な」
「良き考えと思います」
「よしっ、最後にもう一働きするかあ!」
ウルフとカタリーナは再び武器を握り直すと、リオンの大範囲攻撃にあって奇跡的に破壊を逃れた骸骨兵へと向かった。
哀れな亡者の兵士たちは、二人によって徹底的に借り尽くされることとなる。
やっとリオンくんが変身しました! 長かった~。




