17.猛毒
大悪霊の口から黒煙が解き放たれる。
粘度を感じるほど濃厚なその煙はまたたく間に火竜の身体を覆った。
途端、何を思ったのか火竜が大きく息を吸い込み始める。小さな竜巻が発生したような恐るべき吸引力で、ボルカはその煙をまたたく間に吸い込み始めた。
10秒ほどして、ようやく黒煙を吐ききったのか大悪霊が口を閉じる、その瞳は悔しそうに瞬いていた。
ボルカも吸い込みをやめたが、すぐにがくんと、膝をついた。何事が起こったのかわからないでいるリオンの前で、ボルカが吸い込みきれなかったごく僅かな黒煙が、後方で射撃していた弓隊へと到達する。
久遠もまた状況についていけないでいたが、黒煙を嗅いだ瞬間口と鼻を押さえた。
「まずいっ、これ毒――」
警告は遅かった。毒煙を吸った久遠がまっさきに意識を手放し、続いて弓兵隊の5名が次々昏倒する。
突撃開始していたカタリーナたちはようやく足を止め、踵を返す。
「ボルカ殿、久遠殿っ!」
絶叫するカタリーナ。
その時リオンの後ろからオペラが半霊体化して現れた。
「待って! みんな近づかないで!!!」
突撃組が一斉に足を止める。圧倒的速さで飛んでいったオペラは、すぐに弓兵隊の様子を見る。
「呪殺系の死霊毒、なんてひどい。……すぐに毒消し呪文をかけるから、みんなは護衛をお願い」
言うとオペラは最初に一小節浄化呪文を唱える。それで周辺にまだわずかに残っていた毒煙が霧散した。オペラはゴーストで呼吸をしないから敵の毒は効かない。
続けて久遠たち弓兵隊の毒を治療し始める。こちらは1小節呪文とは行かず、オペラは3小節の詠唱を開始した(基本的に魔術は発動小節が長いほど強力となる。1、2小節のものを呪文、3小節以上のものを詠唱と呼ぶ)。
「オペラ殿、治療お頼み申します。皆様! 我らはすぐに回りをか、ため、て……」
カタリーナの指示が急に途切れていく。視線の先では、ボルカが倒したかに見えた大悪霊が再び黒炎を燃やし立ち上がっていた。すでに6本の腕も再生している。
大悪霊の下には、最初に戦団兵が倒したゴブリンとオークの死体があった。リオンの目にもはっきり見えるほど、どす黒い瘴気のような怨念が大悪霊のもとへと集まっている。新鮮な死体から発される怨念によって、大悪霊はさらなる力を得て復活しつつあった。
大悪霊の真下の地面が急速に盛り上がる。土を吹きとばし中から現れたのは、尾っぽまで10メートル近い長さを持つ脊柱だった。おそらく長竜系ドラゴンの白骨死体であるそれを、大悪霊は砕かれた腰骨の代わりに付け替えた。
大悪竜霊。
6本の怪腕を持つ上半身に、ワームの下半身。新鮮な死体とワームの怨念まで吸収したモンスターは、上位種にも引けを取らない魔力をみなぎらせ復活する。
「グガラアアアアアアア!!!!!!」
「なんと……」
カタリーナが絶句する。皆似たような思いだった。
これほどの怪物を相手に、どう立ち向かえばいいのかわからない。
「グガア、グガラアアアアアアアアアアア!!!!!」
そして怪物はこちらの事情など待ってはくれない。咆哮した大悪竜霊は、再び六本の腕に魔剣を持って上空から襲いかかってきた。
「ゴルアアアアア!!!」
しかしすんでのところで大悪竜霊の攻撃は横からの突進に阻まれる。再び立ち上がった火竜が死にものぐるいの突撃をしてくれたのだった。
ボルカはすでにぼろぼろだった。荒い息を吐き、足にも力が入っていない。大悪霊の死霊毒をまともに正面から浴びただけでなく、それをほとんど全て自ら吸い込んだのだ。
先程も今も、すべて後ろの仲間を守るための行動だったのだと今ならわかる。リオンは大悪竜霊への恐怖も忘れ、ボルカへの尊敬で胸が一杯になった。
背後のオペラが、治癒魔法をかけながら悔しそうに言う。
「ドラゴンは全魔獣で最強の毒耐性があるのに、あんなに消耗するなんて……早く助けてあげなくちゃ」
「オペラさん、ボルカさんは後どれくらい持ちそうですか」
「今はドラゴンの巨体に変身しているから、毒のめぐりは遅いと思うけど……それでも10分を超えたら危険だと思う」
「10分……そんな」
後10分以内に、大悪竜霊を倒し、後ろのワイト兵から守りつつ、ボルカを治療しなければならない。不可能とも思える数字にリオンは目眩がする。
しかし最悪の状況にはさらなる深穴があった。
「グルル!」
リオンたちが弓兵隊を護衛している場所へ、突然獣化中のウルフがやってきた。ワイト兵と戦っているはずの彼女がなぜここへ……と誰もが疑問に思っていると、グル、とウルフが一声唸って鼻先で周囲を指し示す。
「な……」
骨、骨、骨。戦団の周囲にはさらに生み出されたワイト兵がこちらへ進撃を開始していた。数えるのも馬鹿らしくなるような軍勢だがおそらく――1000体を超えている。
「グルルルル!」
こんなときでもどこか皮肉っぽい表情でウルフが唸る。彼女風に言うならば、『こいつはマジでヤベえぞ』だろうか。
前では、全身を毒に侵されたボルカが大悪竜霊と戦い、後ろと左右からは、1000体のワイト兵が迫ってくる。一体どうすればこの状況から生還できるというのか。
「グガラアアアアアアアア!!!!」
大悪竜霊は勝ち誇るように雄叫びを上げ、6本の魔剣を縦横無尽に振り回していた。硬質な鱗を持つはずのボルカがすでに浅く皮膚を切り裂かれ、防戦一方の状態だ。このままでは毒より先に殺されてしまいかねない。
ワイト兵はもはや眼前に迫っている。考えている時間はない。
ウルフが突撃のため全身を弛めた。カタリーナたちもまた、それぞれの武器を取る。オペラはすでに4人目の治療に着手していた。
「リオンくん、怖がらないで。大丈夫、まだ負けたわけじゃないんだから。これだけの魔力衝突だもの、宿営地でもとっくに気づいて援軍を出してくれてるはず。」
「リオン殿、ワイト兵の数は厄介ですが、こちらを包囲している分、囲みは薄いです。どこか一点に絞り込めば突破できる可能性はあります。貴方のことは必ず我々が守りますからご安心を」
「グルル!」
全員がまだ、希望を捨てていない。あきらめていない。
「みなさん……」
リオンは心の中で懺悔する。
『ぼくは、守られてばかりだ。産まれてから今までずっとそうだった。せっかく不思議な幻獣の力で生き延びたのに、また何もできない』
リオンはまだ12歳、守られて当然の立場だったが、彼はそう考えなかった。ただただ自分の不甲斐なさを嘆く。
『ぼくの命を救ってくれたみんなを助けたい。なんでもいい、自分ができるなら、何でもするから』
ただただそれだけを祈り、考える。12歳の少年が背負うにはあまりにおもすぎる責任感を持って、リオンはあらゆる方策を考え続けた。
それは、渦巻く思考の果てでの、無意識からの行動だった。
ボルカの圧倒的な強さと、みんなを守ろうとする勇姿に憧れて、口をついて出た言葉だ。
もし自分が久遠の言う通り幻人であるのなら。
自分が、かつて夢で見た幻獣の力を使えたとしたら。
成功する算段など何もなかった。ただただリオンは、仲間を守りたいとおいう思いだけでその言葉を口にする。
「幻怪!!!」
リオンの身体の中から、真っ白な光があふれ出した。
仕事が立て込み4日ほどお休みしてしまいました! 本当にすみません。
更新再開です!




